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講師紹介#3 神島裕子先生 ー社会正義を学ぶ3つの理由ー

こんにちは!Social Change Agency研修プログラムチームの齊藤です。

10月にスタートした弊法人の研修プログラム。
12月に行われる講義は、立命館大学総合心理学部 教授の神島裕子先生をお招きし「社会正義」というテーマでご講義いただきます。

本noteで、「社会正義」というテーマで講義を設けた背景をお話をさせてください!

なぜ「社会正義」なのか

「社会正義、人権、集団的責任、および多様性尊重の諸原理は、ソーシャルワークの中核をなす」
これは、ソーシャルワーク専門職のグローバル定義の一文です。「社会正義」の講義を設けようと思った出発点は非常にシンプルで、グローバル定義には「社会正義が中核」とあるものの、社会正義についての学びの機会はそれほど多くない現状があり、そこに問題意識を持ったため、です。ただ、それではこのnoteが終わってしまうので(笑)少し話を広げて「正義を学ぶ意味」にどのようなものがあるか、考えてみたいと思います。

「人それぞれの正義がある」は正しいか

近年、SNSの発展をはじめとし、人とつながる手段は格段に進化しました。これまで地理的な距離の遠さを理由に、連帯が難しかった人々が、インターネット上での連帯を表明できるなど、この進化は凝集性を高める方向にも働いていますが、これまで交わることがなかった人々がむき出しでコミュニケーションを取れてしまうことで、対立が増え、時に激化していることも事実でしょう。

そのような対立が発生した際に「人それぞれの正義がある」というようなセリフが、理性的に見える言い回しとしてなされることがあります。これは「人にはそれぞれ信念や正しさの基準がある(から、それを尊重しよう)」という意味の、一種の慣用表現に近いので、間違いとは言えないとは思うのですが、この「正義」という言葉の使い方にはいささか違和感を覚えます。

「合意できる正義」を探す

この違和感は、現代正義論が「合意できる正義」を考えることに、苦心してきたことを知っているから、生まれるのかもしれません。

現代正義論は、ジョン・ロールズの『正義論』に端を発します。このnoteでは正義の理論の詳細には踏み込みませんが(詳細は是非講義に視聴や、この後紹介する神島先生の著作をご覧ください!)、ロールズは、ある状況に人間が置かれたら、すべての人がロールズの提唱する正義の原理を満たすルールに「合意」するはずだと考えます。ある状況というのは、「無知のヴェール」と呼ばれる”仮定的な”状況です。非常にざっくり言うと、自分や他人の置かれている立場や条件がまったくわからなくなるマジカルな布が「無知のヴェール」で、その布に覆われた時に、私たちは「誰にも侵されないもの」が各々にあることを認め、それを尊重し合うことに合意するよ!というのが、ロールズの正義論の一部主張といえます。無知のヴェールは、私たちが正義の合意に至るために、ロールズが生み出した「発明」という訳です。

現代正義論はロールズを批判的に継承、あるいはロールズの理論との違いを説明しながら発展していきます。「小さな政府」を志向するリバタリアニズム、女性を正義の射程に入れることこそが人間にとっての正義であるというフェミニズム、その他にも様々な理論が提唱されています。「合意できる正義」を各論者が追究した結果、「多様な正義」が存在するという意味では、「人(=哲学者)それぞれの正義」は正しいと言えるかもしれません。

「人それぞれの正義」を学ぶ意味はあるのか?

「そんな各人がバラバラに主張している正義の理論を学ぶ意味ってあるの?」という疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれません。あくまで個人的な考えではありますが、3つあるのではないかと思っています。

(1) 自身の信念の相対化と実践指針の獲得
例えば「人には誰でも保障されるべき人権がある」という考えを、福祉に携わる多くの人は、自然と身に着けているのではないでしょうか。しかしながらこの考えは、社会正義の観点からは、それほど「当たり前の考え方」ではありません。人権保障に優越するものがあるという考えもあれば、人権保障が重要であるという一致はあれど、人権とは何かの考えに違いがあるケースもあります。

「どんな社会に自分は生きたいか」という考えは、大なり小なり実践の場の自身の行動に影響しているものです。ただその考えは自分とっては「当たり前」で普段は意識していないことも多いでしょう。そこで意識化し、どの理論に近いのかを自覚することで「自分は何を目指したいのか」が一層クリアになるのではないでしょうか。そして目指す姿を、自身の行動に反映させやすくなります。

(2) 他者の信念の理解促進(共感はできなくとも)
ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン氏は、現代正義論へも多大な貢献をしています。彼は、著作『不平等の再検討』の中で「問わなければならないのは『何の平等か』ということである」と言及しています。現代の正義の理論はほとんどが「平等を目指している」が、「何を平等にするべきなのか」については意見が割れている、ということです。

私自身は、自分の信念・価値観に沿わない正義の理論についても、概観してみることで、それぞれに説得力がある論なのだと理解ができました。共感に至るというのは、なかなか難しいかもしれませんが。また例えばですが、「〇〇さんの意見は受け入れづらい」と考えるより、「○○というXX主義の考えは受け入れづらい」と、人ではなく理論にフォーカスすることで、建設的な思考ができるということも、あるのではないかと思います。

(3) 協働の端緒になる可能性はある
異なる正義感を持つ者同士が、全き共感に至るということは、やはりなかなか難しいものだと思います。それでも、正義の理論を知ることで、協働の端緒になることはあるのではないかと感じます。

一見、水と油のように見える理論でも、詳細を知っていくと「あれ、もしかしてこの部分は似てる?」と思えることがあります。最終的に追及したい社会像は異なるとしても、その過程で目指す目標は同じものを持てることもあるかもしれません。その可能性を知るためにも、正義の理論を概観する意味があると思っています。

神島先生プロフィール・著書のご紹介

「社会正義」を学ぶ意味について、私なりの見解を紹介しましたが、他にも様々な意味付けができるかと思います。登壇いただく神島先生のプロフィール・著書をご紹介します。

神島 裕子(かみしま ゆうこ)氏
立命館大学総合心理学部教授。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程修了。博士(学術)。専門は哲学・倫理学。主にケイパビリティ・アプローチに基づいて、よい生き方や正しい社会のあり方について研究している。著書に『ポスト・ロールズの正義論——ポッゲ・セン・ヌスバウム』(ミネルヴァ書房)、『正義とは何か』(中公新書)、訳書にロールズ『正義論 改訂版』(共訳、紀伊國屋書店)、ヌスバウム『正義のフロンティア——障碍者・外国人・動物という境界を越えて』(法政大学出版局)、ハミルトン『アマルティア・センの思想——政治的リアリズムからの批判的考察』(みすず書房)ほか。


神島先生の研究基盤であるケイパビリティ・アプローチについて、ソーシャルワーカーや対人援助職の方々と親和性があると感じています。講義でも少し厚めに取り扱ってもらう予定です!

事務局からのお知らせ

神島先生の「社会正義」の講義の概要はこちらです。
日時: 2021/12/19(日)10:00-12:00
講師:立命館大学総合心理学部 教授 神島 裕子 氏
テーマ:社会正義

前日20時まで申し込みを受け付けています。単発参加も可能です。

みなさまのご参加、心よりお待ちしております!