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愛のあるやりとり


はじめに。


オナニーが悪いわけじゃない。

してはいけないこと、だとは思っていない。


でも、

誰かのことを思って行う愛のあるセックス。

この考え方は、人として生きていく上で、必要。




僕は毎日、気づいたこと、思ったことをnoteに書く。これは自分の勝手。自己満足。

言わばオナニー。



それに対して、他者のことを思って、どうして欲しいかを考えて、自分にできることを、無理せず行う。

これはセックスと言える。




急にこんなことを言い出したのは、

自分の行いがいかに独りよがりなものか、

ふと…恥ずかしく、薄っぺらいものに感じたので。




熊本の大雨。

僕も微かながら、支援させていただいた。


少し前の僕なら、たぶん支援の仕方も分からず、遠巻きに、『大変だなぁ…』と思っていただけだっただろう。

あぁ、この文章なら、言わばこれは妄想、になるのかな。

行動せず、思うだけ。何も起こらない。

「何かしたい」という悶々とした想いだけが膨らんでいく。




今は、支援の仕方はわかる。

他の方が上げてくれる支援の受け皿に、僅かながらの想いを託すことができる。

一人で、コッソリと。


これでも、前までのことを思えば、かなり前に進んだ。健全な行為ができるようになったもんだ、と思う。

これでいいと思っていた。だって、いいことをしてるので。

オナニーは、一人でするものだ、と。





でも、違ったんだなぁ。




タイムラインに流れてくる、他の方のnoteやSNSには、皆への支援の呼びかけ、クラウドファンディングのリンクの貼り付け、リツイート、など、優しさや愛が溢れていた。



そう。愛が。



それが、今までは愛だと思っていなかった。わかっていなかった。

どこか遠い世界の、自分とは関係ないところで起こっている出来事だと思っていた。

オナニーの見せつけ、のように感じていた。




それはオナニーじゃなかった。確実に、その向こうには誰かがいた。支援をする人は、他者の存在を確かに感じていた。その誰かに向けての愛を、放っていた、綴っていた、託していた。

相手のことを想ってのやりとりを、されていたんだ。



みんななんて優しいんだろう。

恥ずかしい。聞いたことはないけども、多分僕セックス下手だろう。





今もまだ遠いけども、前よりは少し身近に感じることができるようになった、明るい世界。愛のあるやりとりに、興味を持てるようになった。

もう少し、やりとりをしていこう。

独りよがりじゃない、愛のあるやりとりを。














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