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「働く場所の遍在化による、働く時間の細分化」についての思考。

柴田一哉

新型コロナウィルス感染拡大以降の、つまりポストコロナの世の中が大きく変化していくという未来予測の類の話に、うまく思考の矛先を向けられない日々をボクは過ごしています。

いまKAGAN HOTELの1室でリモートワークをしながらこの文章を書いています。

4月の末日、気持ちの良い風が吹いてカーテンが揺れていて、雲一つない晴天。この快適な空間で仕事をしていると、本当に新型コロナウィルス感染拡大が起こっているのか、自分だけが別世界にいるような、外出自粛での静けさも相まって、そんな気分にすらなります。もしかすると、ボクが呑気なだけなのかもしれませんが。

そして、いまボクはある言葉を思い浮かべています。

“「働く場所の遍在化による、働く時間の細分化」について。”

この数年ボクがおいかぜのスタッフに呪文のように言い続けている言葉です。

インターネットの進化はコミュニケーションを拡張し、ITテクノロジーの技術革新は仕事の処理能力の向上をもたらし、交通網の発展によって移動のハードルは下がりました。いまボクたちはスマートフォンやタブレット端末、そしてあらゆるデバイスによって、どこでもコミュケーションすることが可能になり、そのコミュニケーションによる分業と、ITテクノロジーを駆使したマルチタスク化の恩恵を受け、さまざまな処理をバックグラウンドで走らせながら、高速化した交通網で移動を繰り返しているのです。正確に言うと“繰り返していた“のです。この有事までは。

ボクはこの4月までの2年間、東京の会社と京都の会社を毎週のように行き来し、働く場所を遍在させ、インターネットとITテクノロジーを使って、リソースを拡張することで、膨大なタスクと向き合ってきました。

どんどん増えるメッセージグループ、Slackのワークスペースやメールアカウントを切り替え続け、ディレクトリの構成は複雑になり、スタッフにリマインドに次ぐリマインドを受けながら、Googleカレンダーがデフラグツールのようにカラフルに細切れに、そこに生活・子育てが重なっていく。そんな2年間でした。

「暮らし」に「働くこと」が食い込み、「働くこと」に「暮らし」が食い込む。京都の会社、東京の会社、新幹線の移動の時間、自宅のリビング、書斎、ホテル、カフェなどがオフィスとなり、まさに「働く場所の遍在化」を体現する日々でした。働く場所が遍在化したとき、カテゴリーを越えたタスクによって働く時間は細分化し、そして「暮らし」と「働くこと」のそれぞれが溶け始め、液状化していく。それはもはやボクにとっては当たり前のことになっていました。

チャレンジという側面での何かしらの負荷は想定内で、この液状化はボク自身が望んだこと。自らの、そしておいかぜの進化のために選んだ道です。もっと賢いやり方はあったかもしれないけれど、リソースを拡張することで何かを得るという割と正攻法なやり方だったと思うし、この2年間のボクの拡張の結果は、今は何か明確な結果として返ってきているわけではないけれど、朧げながらも手応えを感じています

また、このチャレンジは一つの仮説検証でもありました。ボク自身、大学を卒業してからの4年半、場所が固定化されたサラリーマンとしての働き方から、会社設立を経て働く場所を固定化されない自由を得て、そしてこの2年間はボクが考え得る範囲での自由な働き方の極の経験でもあったのです。

“中庸とは、両極を経験する、あるいは本当の意味で両極を理解したものにしかたどり着けない新しいバランスである。“

自身の立ち位置の正当化のような言葉。それはサラリーマン時代の極から、この2年間で経験した極までの振り幅、からのおいかぜという組織を新しいバランスへ導くボクの使命。おいかぜのリモートワーク制度はボクのそんな使命から生まれています。

そんな折の新型コロナウィルス感染拡大騒動でした。

ボクにはまったく想像できなかったけれど、ほとんど自宅から出ることができないリモートワークという、ある意味での働き方の極、この未曾有の出来事を経験した多くの働く人たちは「暮らし」に「はたらくこと」が食い込み、「はたらくこと」に「暮らし」が食い込むということ、「はたらく場所の遍在化による、はたらく時間の細分化」の本質的なところに触れることとなったのです。

この経験は新型コロナウィルス感染拡大騒動によってもたらされたものではなく、有事以前からリモートワークを含んだ新しい働き方への変化の予兆、小さいながらも種のように芽のように存在してと思っています。少なくともボクにはそう感じ取れていました。世の中は緩やかに変化し続けていて、なにかの出来事で加速することはあるのだけれど、あくまでもその緩やかさの延長のなかで変化していくものだと思っています。

「“はたらくをデザインする” おいかぜ的リモートワーク術」というエントリーでも書いたのですが、リモートワークを礼賛するわけでもなく、それぞれの人にとって働くことが尊重され、最適な働き方を選べることができることこそが、いま一番必要なことだと思っています。

ポストコロナの働き方に大きな変革が起きるという耳触りの良い言葉ではなく、もっと手元の、今の働き方から地続きにある、それぞれの中庸な働き方が見つかるはずだと信じています。

世の中が、この有事における働き方の極を経験することによって、すべての組織で働く人たちにとって、すべての会社を経営する人にとって、すべてのフリーランサーにとって、誰もが働きやすい社会が訪れることを心から願っています。

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