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すべてのものに「あるべき場所」が存在する

電車に揺られて2時間。バスに揺られて1時間。
降り立った駅で「あぁ…ここに繋がってるのか」と見えないリンクが繋がったり、バスから見える日本海の、その下の美味しい海産物を想像したり。
片道3時間かけて、僕は伊根にウィスキーを飲みに行った。

今日は仕事のついでにきたの?とみんなに聞かれる。
「いえ、飲みにきました」と伝えると「あ、こいつ頭おかしいな」の気づきの後に生粋の飲兵衛やなと、ポジティブな方に着地していく。
前から噂で聞いていた「ウィスキーナイト」のために旅に出たようなものだ。たった1杯のウィスキー。そのために使うお金や時間。
今まで使ったどのお金や時間より、いい使い方ができたと思う。

舟屋で有名な伊根を少し早くついて散策する。
旅館化がすごい速度で進んでるのかもしれない、観光客を多く散見する。
舟屋ももちろん美しいが、家と家の隙間からスッと現れる夕日をうつした海がキラキラと輝く風景が一番美しいと思った。ベンチに座ると隣に中学生の女の子が学校のジャージを来て、絵を描いている。話すこともなく、しばらくベンチで風景を眺める。

刻々と町の見え方が変わっていく。光を失うに連れて暗闇が家々の隙間から侵食していく。黒から逃げるように光の灯るウィスキーナイトの集合場所へ向かう。空も海も真っ黒に変わると今までそこにいたはずの星空が広がる。水面を眺めると黒い巨大な生き物の息吹のようにうごめいている。畏怖の念というのは今の時代感じにくいのかもしれない。こういう瞬間が減ってしまったのだろう。

室内でウィスキーを飲む。「あなたの感じ方で味を覚えてください」口に含むと棘があり、転がすと少しずつ奥の方に甘みを感じる。香りはとてもスモーキー。うん、覚えた。確実に覚えたぞ。半分ほど残したウィスキーに蓋をして、25人くらいでぞろぞろ海辺へ移動する。暗闇の中にグラスを大切に抱えたご一行は謎の風景だったろう。

深く深呼吸をしてください。
言われるがままに深く息を吸い込むとふわっと潮風を感じた。
さっきまでたくさん歩いてて気がつかなかった、ほんのりと潮風はそこにいた。蓋をあけ、先ほどのウィスキーを口に運ぶ。

あれ?おかしい。さっきと全然違う。
最初、自分が壊れたのかと思った。つい数分前まで飲んでいたはずのウィスキーが全く違う生き物のように感じる。かつて、僕を通り過ぎていった無数のウィスキーの顔を思い出す。そして、申し訳なかったと思った。
こんなうまいウィスキー飲んだことない。言葉でいうと安っぽく聞こえていやだ。しかし、これを伝える言葉を僕は持ち合わせていない。寒いからじゃなくて鳥肌がたった。グラスの中の液体の「あるべき場所」を感じたのだ。

このウィスキーを作った人は限りなく今の環境に近い状態で製造と出荷をしている。その人たちが最高のものだと自信を持って送り出した場所が、潮風がたち、15−2度あたりの限りなく伊根の環境に近い場所。すごくしっくりきた。そこがお前の居場所か。もう残りわずかになったグラスの中の液体を見つめて思った。

その後、みんなで飯を食べながら盛り上がる一方。
あたまのなかで「あるべき場所」という考えが、ぐるぐると回る。
自分の悪い癖だが、このウィスキーナイトでの気付きが今僕が向き合う他の物事に密接に関係している気がして、考えてしまう。

部屋の隅っこでウィスキーと美味しいご飯を食べながら、会場を見渡すとみんな良い笑顔をしている。この中に不幸せなんて人はいないのかもしれない。隣に目をやると背中に背負われた赤ちゃんがこちらをみている。まっすぐな眼差しとピタリと親の背中にくっつく姿をみて「そこが君のあるべき場所か」と思った。時間とともにその場所は変わっていくのだろう。この会場にいるたくさんの人も、丹後に住み、自分の仕事と向き合い、飯を食い、酒を飲み、笑っている。都内の人たちより確実に違うのは、言葉にこそしないが、「ここが私の場所」という雰囲気だ。

ここの人たちは、みな、あるべき場所をもっている。
ウィスキーのあるべき場所。そこで出会うのが最高の出会いだ。
人も同じなのだ。丹後で出会った人たち全てがあるべき場所を持っている気がする。さて、自分の「あるべき場所」はなんだろう。
そう感じながら車窓を眺めて、思考の海へ潜り込む。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。