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おじさん、うれしい。

昨年末、女子高生達と一緒に物を作る機会があった。
やりたいことはあるがどう作っていいかわからない。
その初期衝動の「やりたい」って気持ちは超大事だし、大人になっても背中を押してくれるものなので、おじさん的にこの子達に貢献したいと思ったのだった。

そこから、「デザインおじさん」と「コピーおじさん」と「イラストおじさん」にすぐ相談。「応援しよう!」と快くお引き受けいただいて(仕事ではなくボランティアとしてなのです)そして僕「アイデアおじさん」も加わり、チーム「クリエイティブおじさん」が誕生した。(こういう時、クリエイティブって言葉が超便利だなと思った)

全てこちらで作れるけど、全部やったら意味がない。
なので女子高生たちは企画書を書いたり、ラフスケッチ描いたり、コピー書いてみたりとクライアントと制作者の関係ではなく、制作チームとして一緒に動きながら、こういう風にやるともっと良くなるよとか、伝わるよ、ということを教えていった。

最後の整える作業をクリエイティブおじさんたちでガッとまとめて完成した。僕のモチベーションは、デザイナー/コピーライター/イラストレーター/プランナーという仕事の意味を知ってもらうことであったし、ひいては、物作りや事を自分から仕掛ける事の楽しさを知ってもらえたら長い目で見て僕たちの業界に良い影響がでるかもしれないと考えていた。

結果、彼女達がつくったものは、たくさんの大人を唸らせて、その現場にも彼女達はいてもらうことで、自分たちのやりたいが、こうやって人を動かすんだよというのを見せてプロジェクトは終了した。良い時間だったなと思った。

そして、数日前に女子高生達からメールが届き、「作りたいものがあります」と連絡が届いた。おじさん嬉しくて嬉しくて、じゃあまたやろう!と動き出すことになった。

自分たちの「やりたい」が人の心を動かす。
どう作るか、どう伝えるか、どこで触れるか、といった様々な事を設計して、それらすべてをチームで実現していく。チームで作るという事を選んだ時にここの働きを見る、知る。それを知れると世界の風景のもう一つ奥のレイヤーが透かして見える。それを手繰り寄せていくと女子高生が抱いた「やりたい」という初期衝動と同じ感情と、そこに力を合わせた無数の人が見えてくる。

このチームで作ったものはささやかなものだ。
この世界で見れば小さな小さなアウトプットだ。
でも、そこで学んだことは(僕も女子高生も)とても大きなものだった。
僕にとってはセラピーのように物作りの原点に立ち返る最高の機会だったし、彼女達は世界を透かして見える双眼鏡のようなものを手に入れた。

そこには1円も動いてない。
お互いの持ってるものを交換しあって出来上がったものが人の心を動かした。
そう考えると今仕事で携わる物事全てにフィードバックがある。
教えているということは教わるということでもある。
今度も一緒にワクワクしたい。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。