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問いの設計と結果の考察

京都駅の前で重低音を効かせたビートがなっている。ドレッドヘアの黒人たちがリズムに乗って踊っている。その隣を女子高生の格好と着物を着たアジア人が横切ってセルフィー。

これでホログラムビジョンで広告とか流れて、浮いた自動運転タクシーが走っていれば完全にSFの世界だ。古都らしい京都といっても住んでる側からすると奈良の方が古い町並みを残しているし寺社仏閣では人混みしか見えないのだから、もうこの混沌とした京都でもおもしおいのか面白くていいのかもなと思う。

日に日に冷めていくものがあって、例えばデザインとかクリエイティブ、派手な仕事というものからスッと視線が外れている感じがある。なのでコンセプトとかプランニングがメインでもあるが、表装したアウトプットよりは経過と結果にこそ意味がある。

問いを立てる、仮説を出す、実施する、結果を見る。これらシンプルな行為が一番興味がある。その始点でもある問いの設計が結果に大きく左右する。

古都らしさを感じない京都はどこで問い建てを誤ったのか。オーバーツーリズムの状況は問いすらないのではないか。特に攻め立てたいわけではない。先ほど見たネオ京都的な風景もまたいいなと思ったのだ。想定されなかった未来。そういうものも好きである。

結果の予想できない問いの設計は仕事では不安視されるが、それは安定して生産する野菜みたいに同じ味、同じ大きさであって、別のスーパーでも売っている。

どうせならいいどこにも売っていないものを食べてもらいたい。簡単なことではないけれど、根本的には問いの設計と出し方のだと思う。

京都でいくつかの打ち合わせを終え、大阪へ。途中豪雨が窓を打つ。数分すると雨は止んだ。むしかえる湿気が窓の隙間から流れ込んできた。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。