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盗んだ本とお礼と謝罪

僕は本を盗んだことがある。とても悪いことだと自覚はあったし、今でも申し訳ないと思っている。15,16の僕に比べると35歳の僕の謝罪の気持ちは琵琶湖より広く深い。ちなみに深さはわからない。おそらく深いはず。

盗んだのは学校の図書室の本。すいません。図書館の仕事しておきながら…倍返し以上でお返ししますので。でも、ここで白状しておきたいと思ったのには理由がある。盗むのだめということと、でもその本のおかげで今があるということ。

高校時代の僕は夏になると隣の牧場から牛糞の香りが教室内に侵入してくる「あれ?これ地獄かな?」という広大な土地にぽつねんと立つ高校に入学した。家から2時間かけて登校するので部活には入れず、もっぱら読書と彼女を作ることに必死になっていた。

何かの授業で図書室にクラスのみんなで移動していた。確か窓が広かったのを覚えている。ぼーっとできる場所だなーくらいの印象で本棚に囲まれた道をウロウロと目的もなく練り歩く。

今でも覚えているが、本棚の一番下段に開封前のビニールに包まれたままの分厚くでかい本があった。なんだこれは?と手に取ると本にメダルがついてる。ADC2000と大きく書いた本はズシッと重く、気づいたらビニールを剥がしペラペラとめくっていた。

あの時、なんの授業だったのか思い出せない。
みんなテーブルに座ってなんかしていたはずだ。僕はそれを無視して、その本をペラペラ床に座って眺めていた。眺めていたというか目が奪われていた。美人が目の前を通り過ぎるみたいに本能的に惹きつけられていたという方が正しい。

なんだこれは?

かっこいい、美しい、面白いが集結して一冊の絵の辞書のようになっている。ネバーエンディングストーリーの少年のように本の中に惹きつけられていく。僕はデザインとコピーという存在をそこで初めて知る。

チャイムが鳴ってハッと本から顔をあげる。
気がつけば授業が終わりぞろぞろとクラスメイトが図書室をでていく。
その人混みに混ざりながらブレザーの中に本を隠して盗み出してしまった。15,16の僕にとって、どうしても続きが読みたいと思ってしまった。出来心ってこういうことか。

クラスメイトだけになって、教室へ戻る廊下でごそっと本を出して、え、お前それパクったの?とか、なにこの本?って会話をした。なんかわからないけどすごくてさ、って感じで、友達たちはふーんというリアクション。あれこれ僕にしかわかってない?

次の授業もバレないようにずっと膝の上でペラペラ見続ける。
もっと読みたいから、これは僕が読むべき本だ!というなんの根拠もない確信みたいなものに変わっていた。

そして、その結果、その本は今も京都の自宅の本棚に鎮座している。
僕を現在地まで運んだ最初のきっかけが、この1冊の本だった。

大人になって、流石に盗んだままはダメだろうと返す機会を考えたが北海道にも戻らず京都に居座っている。申し訳ないなという思いは日に日に高まる中、ふとしたキッカケで当時の高校の校長が京都で学長をしていると聞く。

そうだ、謝りに行こう。
そう思った。そして、お礼を伝えようと。
ADC年鑑が高校の図書室に入ってる理由がまず謎だ。
美術の先生がいれたのかな?詳細はわからない。でも僕はあの高校に行って、あの本に出会って今のクリエイティブ領域の仕事をしている。もし出会わなかったら僕はなにをしているのだろう。

なにが人生を動かすのかはわからない。
たった1冊の本が僕の人生を動かした。
もう20年近くの年月が経ち、罪滅ぼしになるのかわからないけど倍以上のクリエイティブにまつわる本を母校に寄贈したいなと思う。

それどうやったらいいんですかね?ってのことも含めて、校長に会いに行こう。そうしよう。今日はちょっとした昔話でした。

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。