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日本型集産主義という仮説


『チャーリーとチョコレート工場』という映画を観た。

両親とその両祖父母の7人で貧しくもむつまじく暮らすチャーリー少年が、ウォンカというショコラティエ兼工場主の経営する巨大なチョコレート工場に招待されるという話だ。

昨今は、フェアトレードのカカオやコーヒー豆なんてことが言われる。

この映画は、あまり過酷な労働を強いる農園から買い叩いたカカオで作ったチョコレートを、無自覚に食っていると、強欲な資本の自己増殖に巻き込まれて、賃金が下がり、失業者が増え、子供が精神的におかしくなる、といったような資本主義システムへの批判を、真面目に説いているのか、茶化しているか、わからないような作品だった。


ここまでなネタ振りなのだが、集産主義と社会主義の関係である。

私は、今、ハイエクの『隷従への道』という本を精読している。

第3章に『個人主義と集産主義』という章があり、

集産主義が解説されている。

「集産主義(しゅうさんしゅぎ、英語: collectivism)とは、経済思想の用語の一つで、生産手段などの集約化・計画化・統制化などを進める思想や傾向」

と、ウィキペディアにある。

ハイエクは、「社会主義は、集産主義の一種であ」ると説いている。

(隷従への道 東京創元社版 P.46)

この辺はわかりづらいので、さらに説明が必要だ。

論理学に「必要条件 十分条件」という用語がある。

高校の数学で学ぶ。私は苦手だった。

必要条件十分条件は、日本人にとって理解するのが難しいと、

よく社会学者の小室直樹博士が著作で言っていた。

私も、理解するのが大変だった。

よく「りんごは果物の十分条件 果物はりんごの必要条件」

こういう風に例示されている。


「もしAならば、Bである」という命題があって


「AはBであるための十分条件」

「BはAであるための必要条件」ということだ。 


(全然わかんないでしょ。)

Aは、「仮説」 Bは「結果」 という風に考えればわかりやすい。

りんごが果物だと仮説を立てれば、


りんごは果物であるための十分条件 すなわち、仮説から導かれる結果。

結果を導くに十分な仮説だということだ。

また果物は、りんごであることに必要な条件

(結果を導くのに必要な条件=仮説)

ということだ。

ネットでひろってきた絵がある。このサイトから拝借

あと、この動画がわかりやすかった。


ここで、ハイエクの話に戻る。

ハイエクは、社会主義=りんご、集産主義=果物

と捉えているということだ。

社会主義を仮説として考えれば、それは結果として集産主義となる。

全てのりんごは果物の一種であるように

全ての社会主義(国家社会主義であろうが社会民主主義であろうが)

は集産主義の一種である。

集産主義に必要な条件は、社会主義である。

つまり結果であるために必要な仮説 

果物であることはりんごの必要条件であるというように、

集産主義は、社会主義であることの必要条件だ。

(ただ、「集産主義は、社会主義である」

というのが「必要十分条件」かどうかは、私はわからない。

その部分はハイエクがどう考えているか、まだ読んでいない。)

ハイエクの言わんとすることは。

生産手段などの集約化・計画化・統制化などを進める

思想や傾向(=集産主義)は、果物であり、

社会主義は、その中の一種のりんごだということだ。

乱暴な例えだが、

共産主義は、みかんであり、

国家社会主義(ナチスなど)は、毒りんご

社会民主主義は、バナナ

ということだ。

もう少しわかりやすく言えば、

集めたり、計画したり、統制したりするような手段で

社会を良くしようと思う政治的傾向は

その中に、社会主義を育てているということだ。

すると、「税金で再分配」して格差を無くそうという政治的傾向も、

「増税して税金を集める」という点では、集産主義であるがゆえに

その中に社会主義の芽を育てていることになる。

現在の日本の政治状況を見ていると

「格差社会の是正が、社会にとって正義である」ということに

どの政治勢力も、疑いはない。

格差を是とする政治勢力は、表立っては存在しない。

問題は、格差の是正の是正の手段である。

その中の一つに「税金で再分配」がある。

しかし、「税金で再分配」という集産主義的政策は

社会主義へ至る道のりの入り一里塚かもしれないということだ。

「税金で再分配」が、仮説に過ぎないとすれば、

社会主義は、生産手段の社会化と定義される。

生産手段を個人が独占すると、彼が、利潤を独占することになる。

そうならないために、生産手段を、社会化(実際は国有化)

しようという思想だ。

しかし、歴史上、社会主義はソ連を見れば失敗している。

中国も改革開放路線で、市場原理を導入して、社会主義を修正している。


「いや、北欧では税金の再分配で福祉の充実させている。

格差をある程度は是正している」という意見もあるだろう。

だから「税金で再分配」という集産主義が、

高福祉社会を実現するのは、真だと言える。

北欧型の高福祉社会は、 ある程度は格差を是正し 

社会民主主義的な政治を実現しているということだ。

集産主義が、高福祉社会の十分条件ならば、

福祉という形での格差の是正に成功している

集産主義国家があるということだ。

あるいは、スウェーデンなどは、

集産主義的政策によって

社会主義的になりつつあるが、

それを民主主義で抑えつつ

今は高福祉社会で収まっている社会民主主義的な国家ということだろう。

(高福祉社会のみならず、高度な社会保障や、女性の社会参加のし易さや、

高度な労使協調なども実現しているのだろう)

集産主義と高福祉社会が必要十分条件でつながっているということだ。


じゃあ、北欧型の集産主義が、日本の経済を成長させるのか?

そうであるならば、日本は、とっくに採用していただろう。


しかし私は、日本では、導入してもうまくいかないと思う。

民主主義の成熟がないというのが一番だが、

それ以上に、すでに日本型集産主義が

すでに存在していることを考えなくてはならない。

日本型集産主義は、

1940年の国家総動員体制に由来すると言われるが、その集産主義は

冷戦体制が崩壊するまでは、成功していた。

日本型集産主義の実態は、政官財の主導する統制経済のようなものだ。

その後、日本は、新自由主義による市場原理の導入で

衰退したとよく言われるが、

そもそも、冷戦体制下の、日本型集産主義が、

冷戦体制後に機能しなくなって、

今日に至っているという方が正確なのではないか、と私は思う。

日本型集産主義が、北欧型集産主義の導入を阻んでいる。

そして、アメリカ型の新自由主義の市場原理の導入も阻んでいる。

日本型集産主義の仮説が、冷戦体制の中ではうまくいって

冷戦後は、どこかで間違っているということだ。

日本は、今も「一億総活躍」とか、

集産主義的なスローガンを掲げている。

しかし、なぜ、この20年実質賃金は上がらず、

日本社会(特に地方)は衰退しているのか。

さらには、機能しない日本型集産主義が、

国家社会主義的な右傾化という果実=結果だけを

まるまると実らせている。


なぜ、北欧型集産主義は、国家社会主義=ファシズムと言われないのか?

日本だけがなぜ、近年、右傾化=ファシズム化しているのか?


すでに、戦後日本が実質、十分に集産主義的なのに、

冷戦体制崩壊後、なぜか失敗しているとしたら、

それは、日本型集産主義、そのものの問題である。

今日の状況で「税金で再分配」という集産主義のブーストさせることは、

焼け石に水であり、

日本型集産主義をさらに国家社会主義=ファシズムに

加速させるようにしか、私には思えない。

つまり「税金で再分配」を実現できる北欧型の集産主義を

導入して民主主義的プロセスの中で管理運営できないなら、

増税されて集められた税金は、再分配されて格差を是正するどころか

国家社会主義的な政治権力の自己目的化の餌食になるだろう。


「格差社会の是正」などとという目的も結果も飛び越えて

さらなる失敗した国家社会主義=ファシズム的状況が、

排外主義やテロとして現象化するのではないか?


戦後民主主義と、日本型集産主義の仮説を、

新しい世代が、自らの手で見直さなければ、

いつまでも満足な結果を得られない。

冷戦体制下で日本が自由主義陣営にあったのにかかわらず

なぜ、冷戦崩壊後に国家社会主義に振れていったのか?

また、戦前の国家社会主義的傾向が、戦争を加速させ破滅に導いたという

苦い経験を、すっかり忘却して

「税金で再分配」という日本型集産主義を礼賛するのは、やばい。

この辺は、日本だけの問題ではないので

世界史的に検討し直すと、見えてくるものがある。

映画では、チョコレート工場主のウォンカの抱える問題

(父親との確執)の解消が、エンディング=結果につながった。

チョコレート工場は、格差社会の象徴だろうが、

それがなくなれば、元も子もない。

チャーリーは、チョコレート工場がなければ、貧しいままである。


国有化されたチョコレート工場のチョコは、皆の生活を苦くする。

配給されたチョコで、国民すべてが、

平等になるなら、それが幸せなのだろうか?

私は、国有化されたチョコレート工場に

忠誠を誓う国民しか、チョコをもらえない

抑圧的な社会を生むだろう、と思う。

そうなれば、

第二部は、「チャーリーとチョコレート収容所」だろう。

チャーリーが秘密警察に両親を密告するシーンから映画ははじまり

一家でのラーゲリ生活が詳しく描かれるだろう。

(終わり)

お志有難うございます。