死ぬとなくなる時間について、という深夜のメモ

ううん、逆だ。時間がなくなったら、死んでいるということなんですよね。

のつづき、なんですけど。

あれからもずっと生きているとか、死んでしまうということについて考えています。考えは、おもちゃだからね。

たとえばですけど。ちょっと時間がない世界について想像してみてほしいんです。時計は人間がつくったはかりだけど、他にちょうどいい言葉もないから時計、が止まっている世界があるとして、あるとしてですよ。

わかりづらいからわたしの時間だけを止めるね。

わたしは起きて、あくびをして、珈琲を入れる。トーストは焼く前にマーガリンを塗る、目玉焼きは日によって半熟、日によって固焼き。ゆっくり朝ご飯を食べて… そうやってゆっくり朝を過ごしても、ぜんぜん会社に間に合う。なぜなら、時間がないから。

めっちゃゆっくり歩いて沈丁花とか嗅いで寄り道しても間に合う。もう会社行きたくないなと思って途中のベンチで寝ても間に合う。なぜなら時間がないからです。

そういう世界があるとしたら、それは距離がないということとおんなじですよね。

だって家から会社が間に合うんですから、岡山だって間に合う。きびだんごたべながら宝塚だって間に合う。炭酸せんべいだべながら大阪だって間に合う。551食べながら… えーっとちょっととばしましょうか、たとえば、いまここから東京駅までGoogleによると800kmあるけどそこだって全然間に合うわけです。わかりますか? それが時間がないということなので。

ぱちん、とじゃあ、わたしたちの時間軸を合わせてみましょう。

みんなが動き出す、忙しい朝です。朝が始まりました。わたしは家にいて目覚める、トーストを食べている、沈丁花を嗅いでいる、会社にいる、岡山にいる、551蓬莱にいる、宝塚にいる、東京駅にいる… 同時にいる。

それがわたしだけに時間がないということ。そんなふうにたくさんいろんな場所に現れて、その途中にも全部わたしがいる。だけど高知-東京間がわたしの肉でいっぱいに埋まってしまったらいろいろ滞ってしまうから… じゃあ肉体というものは、時間をなくすときに置いていったほうがよさそうですね。

そう、肉体は時間とわかちがたく結ばれているらしい。

わたしたちはこのように同時に、あちこちに、存在しうる。そして、そういう現象にはもう名前をつけています。幽霊。 …幽霊には時間がない。幽霊には肉体がない。幽霊には距離がなく、同時にちかくにもとおくにもいる…

みんなでつかっている大きな時間という川でなくて、ひとりひとつの時間だったらそういうことが可能になる。ひとりだけの時間をなくす。

つまり、死とはひとりひとつの時間をなくすこと。それはなくすと、どうやら二度と取り戻せないらしいこと。心臓が止まって、脳が止まって、ちぎれた、ちぎれそうな瞬間にぱっと繋いでやる必要があること。それが生と死をわけること…

この話をもうすこししていたいけど、お時間ありますか?

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