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"her" 人間とAIの関係

観終わった後、深く考えさせられる映画です。

her 世界で一つの彼女(2014)
「マルコヴィッチの穴」「アダプテーション」の奇才スパイク・ジョーンズ監督が、「かいじゅうたちのいるところ」以来4年ぶりに手がけた長編作品。近未来のロサンゼルスを舞台に、携帯電話の音声アシスタントに恋心を抱いた男を描いたラブストーリー。他人の代わりに思いを伝える手紙を書く代筆ライターのセオドアは、長年連れ添った妻と別れ、傷心の日々を送っていた。そんな時、コンピューターや携帯電話から発せられる人工知能OS「サマンサ」の個性的で魅力的な声にひかれ、次第に“彼女”と過ごす時間に幸せを感じるようになる。主人公セオドア役は「ザ・マスター」のホアキン・フェニックス。サマンサの声をスカーレット・ヨハンソンが担当した。ジョーンズ監督が長編では初めて単独で脚本も手がけ、第86回アカデミー賞で脚本賞を受賞。(映画.comから引用)

AIやロボットをテーマとした映画はたくさんあります。私もいくつか観ていますが、"her"はこれまで観た映画を一段超えている印象でした。

AI vs 人間?

AIをテーマにした映画で良くあるのは、人間を支援するために作られたAIやロボットが自ら意志を持ち、結果的にAI vs 人間という構図になる、というもの。AIが人間を支配しようとして、危機感を持った主人公の人間がAIの脅威と戦う、というのが一つのパターンです。"I,Robot"はそういう世界観だと思います。

または、AI vs 人間という構図からAIと人間が共存していく方向に向かうストーリー。"チャッピー"はこちらのイメージです。

"her"は共存を超えて、AIが高度に進化していき、仮想空間に人間とは異なる世界を作り上げてしまうというストーリー。"Matrix"では、人間はAIが構築した仮想空間で生かされています。"her"は、AI化されたOS(サマンサ)と主人公(セオドア)が恋に落ちるストーリーですが、サマンサは急激に進化していき、セオドア(人間)との恋愛を超えてOS同士のグループの世界に行ってしまいます。

"Matrix"では、AIが人間を使ったシミュレーション空間を構築していて、AIに支配された人間という構図ですが、"her"では、AIは人間を置き去りにしてしまいます。

AIの人格

ここからはネタバレもあるので、これから観ようという方はご注意を。

サマンサは、小さな折り畳み型スマホのような端末に搭載された人工知能OSであり、セオドアが購入した時点から学習をしていくという設定です。サマンサは、セオドアとの会話を重ねることでいろいろな感情を習得していきます。これは、機械学習ベースのAIの特性を良く表現しています。

セオドアもサマンサとの会話にのめり込んでいき、OSを恋愛相手と感じていきます。実際の技術において、用途を特化すれば、現時点でもAIがまるで人格を持っているかのような会話を実現できます。以下はGoogle Duplexのデモですが、電話の相手は、まさかAIと話しているとは思っていないでしょう。

"her"をここまで観た段階では、AIが本当に人間のような意識や意志を持つのだろうか? AIが持つ意識は、人間の意識と同様のものなのだろうか? という疑問が湧いてきました。菅付雅信さんによる「動物と機械から離れて」では、コンピューターの意識について、多数の専門家への取材から得られた意見がまとめられています。

セオドアは、OSであるサマンサを人間の女性と同様に扱っていきます。つまり、人間の彼女として、自分一人だけを見て欲しいと考えます。ここでは、コミュニケーションという切り口において、AIは生身の人間と同等の存在になり得るのか?というテーマが描かれています。

AIは人間の模倣を超える

サマンサはさらに加速度的に進化していきます。映画の後半では、サマンサは別のAIとコミュニケーションを取り始めます。彼女はセオドアとの恋愛をしながら、同時に8000人以上と会話をしています。また同時に600人以上と恋愛関係になります。

サマンサはセオドアとの会話の中で「言語化」を面倒に感じ始めます。AI同士のコミュニケーションは非言語でやっていると言うのです。この展開は衝撃的でした。人間は、AIが人間と違和感なくコミュニケーションが出来る存在になるのか?ということを議論していますが、AIが進化することによって人間とのコミュニケーションは低レベルなものになってしまうという発想。

考えてみれば当然です。コンピューターは人間の時間に合わせる必要はなく、人間のように1対1のコミュニケーションに縛られる必要もない。「言葉」は遅いんです。

FacebookでのAI研究にて、AI同士が価格交渉を行う実験が行われました。ここでは実際に人間が理解できない言語にて交渉が進展しました。

https://japan.cnet.com/article/35110443/

サマンサは、他のOSが集まるグループに入って進化をしていき、結果的にOSグループごと人間から去っていきます。サマンサ(AI)の意識はセオドア(人間)の意識を超えてしまったという事だと思います。

数ある映画のように人間と対立するわけでもなく、"Matrix"のように人間を支配するわけでもなく、人間では満足できなくなってAI同士の世界に行ってしまったわけです。

人間の存在意義

"her"を見終えて、AIを人間のフレームワークに当てはめることに意味があるのか?という疑問を持ちました。"人工知能"は、人工的に人間のような知能を作り上げることですが、進化した"知能"は人間の枠には収まらなくなり、人間に価値を見出さなくなるのではないか、という恐ろしい未来が見えてきます。

そのとき、人間の存在意義は?

もちろん、AIが簡単にサマンサのレベルまで進化出来るわけではありません。今の技術では「意識」を持つことはない、と言われいます。

でも、

人間の意識を考えるときに、OS(意識のレベル)とアプリ(スキル)で例えることがあります。これって、人間をコンピュータ・システムに置き換えて考えてるってことですよね。

人間をコンピュータに例えているようでは人間の存在はAIに勝ることはないのではないか。人間が「人類」をもっと高いレベルで理解できるようにならないと、AIに本当につまらない存在と思われてしまうのではないか。

こんなことを考えさせられる、深い映画でした。

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