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#21 テラピア−そんなこんなで、アフリカからアジアに来た魚

リングにあがった人類学者、樫永真佐夫さんの連載です。「はじまり」と「つながり」をキーワードに、ベトナム〜ラオス回想紀行!
今回はアフリカから来た魚について。


川でとったテラピアが市場で売られていた
(2005年 ベトナム、イエンバイ省)

  ベトナム語でテラピアをカー・ゾ・フィーとよぶ。だいたいスズキのなかまの魚がカー・ゾだから、訳せばアフリカスズキ。
 「アフリカだなんて、ヘンな名前!」
 はじめそう思ったが、アフリカ原産だと知って納得した。
 実はテラピアは日本の河川にもいる。戦後の食糧難の時期に移植されたのだ。温泉水が流れ込む河川にその残党が自然繁殖していることがある。子どものころ、というのは40年も昔だが、九州の温泉地、別府で河口にウナギ釣りに行って大きなテラピアを釣り上げたことがある。塩焼きにして食べると、臭みはなく白身でおいしかった。
 テラピアはタイ国にも移植された。その事業の主役は日本の皇室だ。
 魚類学者でもあった平成天皇が皇太子だった約半世紀前、タイ国民のタンパク質不足に胸をいためていたタイ国王に、おともだちのよしみで稚魚50匹を贈った。養殖に成功し、またたく間にテラピアはタイ国内に広がり、まもなくメコン河流域の各国にまで広まった。
 クロダイかと見まがう30センチ以上ある太ったテラピアの身に塩を塗り、炭火で炙って売る店や屋台を、タイやラオスではメコンやチャオプラヤ水系の町のあちこちで見ることができる。その肉厚の白身をサカナに、地元の人たちがビールをあおっている。

屋台で売られるテラピアの塩焼き ©Masao Kashinaga

 テラピアはベトナムにも広まった。ヤバいと思ったら稚魚たちが親の口の中に逃げこむ習性の強みもあってか、他の小魚や昆虫を食いまくり、ベトナム中の河川、湖沼、水路に野生化して広まった。「北」の農村の水路で網をもって魚やエビを追っている人のビクのなかをのぞくと、たいがい小さいテラピアが入っている。
 市場でも、使いこなされたでこぼこの銀ダライにそういう小さいのがたくさん盛られて売られている。それほどポピュラーな魚だ。小さくても、骨がカリカリになるまで揚げてご飯のおかずにするとおいしい。

テラピア釣りに興じるザオの姉弟
(2014 ベトナム、イエンバイ省)

 2017年にイエンバイにあるタックバー湖畔のザオの村に泊まった朝、手製の竹竿と仕掛けで釣りをしている幼い姉弟がいた。エサばかりとられていてめったに釣れていない。
「どれどれ、漁業大国日本からきた名人の技というものを見せてやろうじゃないの」と、腕をまくり子どもの釣り竿を手にした。
 だがハリを見て絶句した。5センチ以上はある釘をひん曲げただけ。そんな代物で10センチばかりのテラピアを釣ろうというのだ。
 結果、オジさんは恥をかいた。わたしが子どもの頃からよく知っている釣りキチの三平さんなら、ちゃんと名人芸を見せてくれたのだろうか。

タックバー湖でのテラピア釣り仕掛け ©Masao Kashinaga

 

▼関連リンク
「アフリカからきた魚」
「(みんぱく世界の旅)ベトナム(1)アフリカ原産の魚−ベトナムのティラピア」『毎日小学生新聞』、2016(平成28)年5月7日(土)
「カミの人類学者、岩田慶治」
「岩田慶治民博名誉教授を偲ぶ」『月刊みんぱく』2013年6月号、21頁

樫永真佐夫(かしなが・まさお)/文化人類学者
1971年生まれ、兵庫県出身。1995年よりベトナムで現地調査を始め、黒タイという少数民族の村落生活に密着した視点から、『黒タイ歌謡<ソン・チュー・ソン・サオ>−村のくらしと恋』(雄山閣)、『黒タイ年代記<タイ・プー・サック>』(雄山閣)、『ベトナム黒タイの祖先祭祀−家霊簿と系譜認識をめぐる民族誌』(風響社)、『東南アジア年代記の世界−黒タイの「クアム・トー・ムオン」』(風響社)などの著した。また近年、自らのボクサーとしての経験を下敷きに、拳で殴る暴力をめぐる人類史的視点からボクシングについて論じた『殴り合いの文化史』(左右社、2019年)も話題になった。

▼著書『黒タイ年代記 ―タイ・プー・サック』も是非。ベトナムに居住する少数民族、黒タイに遺された年代記『タイ・プー・サック』を、最後の継承者への聞き取りから読み解きます。


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