海猫沢めろん訳『古事記』(BL古典セレクション②より)
古事記イラスト_矛

海猫沢めろん訳『古事記』(BL古典セレクション②より)

左右社

一 伊邪那岐命と伊邪那美命の章

国を作る

 高天原に暮らす神々は、日々世界を作る作業に勤しんでおりましたが、ある日、天の声が、まだ仕事を与えられていない伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)のふたりに、とある命令を下しました。
 ーー伊邪那岐命、伊邪那美命よ、まずはこのなにもない世界に、そなたたちの力で最初の国を作ってはみぬか。
「最初の国を?」
 ちょうど天にも退屈していた、好奇心旺盛な伊邪那美は大きな目を輝かせました。
 しかし、保守的な伊邪那岐は細い目をさらに細めて肩をすくめます。
「高天原だけで良いではありませんか、なにゆえにそのようなことを」
「兄上よ、胸が踊りませぬか。この世界に我らが新しい国を作れるのですよ」
 伊邪那美が伊邪那岐の手を握ってきらきらとした目で言いましたが、
「億劫だ」
 そう言って伊邪那岐は座り込みます。
 ーーどうじゃ、この任を全うできるか。
無理ですと言おうとする伊邪那岐の口を塞いで、伊邪那美は元気よく、
「ぜひお受けいたします」
と告げました。
 ーーではこれを授けよう。
 その声とともに天から立派な矛が降りてきます。
 ーーそれは天沼矛(あめのぬぼこ)という。持っていくが良い。
 こうしてふたりは地上に国を作る仕事を与えられました。
 栄誉あるこの仕事を成すためにはまず、下界に降りねばなりません。
 ふたりはさっそく下界と高天原をつなぐ、天の浮橋という場所に立ちました。
「兄上よ、見てください。下を。水しかありませぬぞ」
「帰りたいのう」
「しっかりしてくださいませ。まだ下界にすら降りておりませぬ」
「弟よ、そなたは下界がどうなっているのか知っておるのか。噂によるとなにもないらしいぞ。それ、水しかない」
「水があるではございませんか。我らでいろいろ作ってまいりましょう」
「私たちは絶対神様に嫌われておるぞ。体のいい厄介払いだ」
「そのようなことはございません。ほら、この矛をごらんください。大変立派ですよ」
「仕方あるまい。まずはこの矛で深さを調べるとするか」
 伊邪那岐が矛をおろして世界をかき回して抜いたーーと、そのときに矛先から滴った海水が落ち、それが固まって島になりました。
「見たか……? いまのを。海水が島になったぞ。恐ろしい」
「かわいい島でございますね。淤能碁呂島という名前にいたしましょう」
「億劫だが、仕方あるまい。あれを足がかりに国を作っていくとするか」
 こうして伊邪那岐たちは嫌々ながらもその島へと降りていきました。

二神の結婚

 島に降りるとできたばかりの大地は生命力にあふれた濃厚な土の香を漂わせ、しっとりとした水気を含んでおりました。
 ふたりはまずそこに柱を立てて神殿を建築し、生活の拠点といたしました。
「弟よ、高天原から降りてきたばかりで、どうやら私の身体はまだ不完全なのだが……そなたはどうだ?」
 兄の伊邪那岐がそうたずねると、弟のほうも体を撫でながら、
「私の身体のほうは兄上に比べ、少々小さいかも知れません」
 と答えました。
「そうか。私のほうはいささか出来すぎた部分もあるようだ……」
 と、伊邪那岐は股間にあるものを衣の上から撫でました。
 それを見ていた弟は、胸の奥に突き上げてくる名状しがたい欲望を感じて、思わず兄の胸元にしなだれかかり、
「兄上、どうも私はさきほどからこうしたくてたまらないのです」
 そう言って指で兄のうなじをなぞると、首筋に口づけました。
「いや、待つのだよ弟よ……」
 ついぞ味わったことのない奇妙な感覚。身体の奥に目覚めた熱い疼きを抑えながら、
「うむ。余興を盛り上げる遊びを思いついたぞ」
 と言って、短い絹の布を使って弟に目隠しをしました。
「兄上、これは一体」
「余興だ。楽しめ」
 伊邪那岐はそう言って自分にもそれをつけると、
「このまま、この柱を回るのだ。そなたは右から、私は左から」
「この余興、大変おもしろそうでございます」
 そう言って柱をぐるっとまわり、やがて反対側でぶつかったとき、弟は兄の身体を撫で、
「嗚呼、なんと美しい身体でありましょう」
 とため息を漏らしました。兄のほうも、
「嗚呼、なんとも愛らしい身体……一体誰のものか」
 と、お互いに身体をまさぐりあいました。顔から首筋、肩、そして胸を通って、腰、やがて中心に近づくと、ふたりは思わず、「嗚呼……」と官能のため息を漏らします。
 その頃にはすでに目隠しのことも忘れ、ふたりは衣を脱ぎ捨てて抱き合っておりました。
 はっと我にかえった兄が、
「ならぬ……兄弟でこのようなことーー高天原から見ている者がいるかも知れぬ」
 そう言って身を引きはがそうとすると、弟は接吻で兄の唇を塞いで、
「兄上。我々は神。神に許されぬことはございませぬ。それにこれは国生みに必要な儀式でございます」
 こうして、ふたりが交わり、柱のそばに寝転んで余韻を楽しんでおりますと、突然、伊邪那美が腹をおさえてうめき声をあげました。
「どうしたのだ弟よ」
「兄上……なんだか腹の具合が」
 見る見るうちに伊邪那美の腹が膨らんでいきます。
「これは何事か。面妖な」
「うう……なにかが出てくる……生まれそうです」
 額にびっしりと汗をかいて、伊邪那美が仰向けで両足をひろげました。
「嗚呼……兄上……見てはなりませぬ」
 伊邪那岐はその言葉を聞かずに、興味深くその部分を見つめました。
 激しい息とともに、弟の下半身より、なにやら粘液質のものが溢れ、中からずぼりと半透明の生き物が生まれてきました。
「なんと不可思議な」
 生まれてきたものを目にする前に弟は気を失ってしまいましたが、
 ーーこれはあまり見せないほうが良いだろう……。
 と判断して、兄は気を失っている弟にはなにも言わずにこっそりと、それを葦の船にのせて静かに送り出しました。
 それは水蛭児(ヒルコ)と呼ばれる、骨もなにもないぐにゃぐにゃしたものだったのです。

 次にまぐわったときにも同じことが起きましたが、今度生まれたのも、淡島という小さな島でした。
「おかしいな。国が生まれると聞いていたのに」
どうも国作りがうまくいかぬので、伊邪那美が困り果てて天の神様に相談してみると、鹿の肩の骨を焼く占いで、「兄の覇気が足りぬ」というお告げが出ました。
ーー伊邪那岐、気持ちがよくわからない……。
ーー伊邪那岐、やる気が見られない……。
ーー伊邪那岐、マグロすぎ……。
 どこからともなくあたりの壁からそんなささやき声が聞こえてきました。
 伊邪那美はなんとなく事情を察して、
「私の技術でなんとかいたします」
 そう言い、次のまぐわいでは兄の伊邪那岐を焦らして攻めまくりました。
 そうすると、兄も積極的になり、これまでのことが嘘のように続々と国が生まれていきました。
 まずは淡道之穂之狭別島(アワジノホノサワケノシマ)、次に伊予之二名島(イヨノフタナノシマ)ーーこの島には四つの顔と名前がありそれぞれ、
 伊予国、愛比売(エヒメ)。
 讃岐国、飯依比古(イイヨリヒコ)。
 粟国、大宜都比売(オオゲツヒメ)。
 土佐国、健依別(タケヨリワケ)。
 といいます。ちなみにこれが今の四国です。
 次に生まれた島は、隠伎之三子島(オキノミツゴノシマ)、別名、天之忍許呂別(アメノオシコロワケ)。
 次に生まれた筑紫島(ツクシノシマ)は、また四つの顔を持っており、筑紫国は白日別(シラヒワケ)、豊国は豊日別(トヨヒワケ)、肥国は建日向日豊久士比泥別(タケヒムカヒトヨクジヒネワケ)、熊曾国は建日別(タケヒカタワケ)と言います。
 次に、伊伎島(イキノシマ)、別名、天之挟手依比売(アメノサデヨリヒメ)、その次が佐度島(サドノシマ)、次が、大倭豊秋津島(オオヤマトトヨアキヅシマ)、別名、天御虚空豊秋津根別(アマツミソラトヨアキヅネワケ)。
 以上、最初に生まれたこの八つの島を「大八島国」と言います。
 その後、ふたりが淤能碁呂島に戻ってから生んだのが、吉備児島(キビノコジマ)、別名を、建日方別(タケヒカタワケ)、またの名を小豆島(アヅキシマ)、大野手比売(オオノデヒメ)。
 次に、大島(オオシマ)、別名、大多麻流別(オオタマルワケ)。
 続いて、女島(ヒメシマ)、別名、天一根(アメヒトツネ)。
 さらに知訶島(チカノシマ)、別名、天之忍男(アメノオシヲ)。
 最後に両児島(フタゴノシマ)、別名、天両屋(アメフタヤ)。
 合わせて六島。
 こうして勢いづいたふたりの神によって、日本のすべての島がわずか数日で生み出されたのであります。

火神殺し

 国を作り終えたあと、ふたりは次に新たなる神々の創作にとりかかりました。
 すでに手慣れていたふたりは、創作意欲の赴くまま、ひたすら身体を重ねておりましたが、火の神である火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)を作る途中、弟の伊邪那美の性器が焼けただれてしまいました。しかしなおも創作は続きます。
「そろそろ止そう……このままではそなたが死んでしまう」
「今更なにをおっしゃいますか。もとより死など覚悟しております。さあ、この命が尽きるまで創作を続けましょう」
 伊邪那美は血を吐き、体中からあらゆる情熱を絞り出し、それがすべて神となりました。
 しかし生み出した島が十四、神が三十五になったとき、さすがに無理が来ました。火之迦具土を生んだときにとっくに限界を超えていたその身は、いつ朽ち果ててもおかしくなかったのです。
「兄上、私はもうそろそろ力尽き……黄泉の国へと旅立ちます」
「待て! 私をひとりにするのか」
「兄上にはこれまで生んだ神々がいるではありませんか……」
「そんなものそなたひとりに比べれば意味のないものだ」
 伊邪那岐の言葉も虚しく、伊邪那美は彼の腕の中で息絶えてしまいました。
 伊邪那岐はその肉体を抱きながら涙し、十拳釼を取ると、生まれたばかりの火之迦具土の前に立ち、
「火之迦具土神……貴様さえ生まれなければ弟が死ぬこともなかったのだ!」
 そう叫び、剣を振り下ろして首をはねました。その血からまた神々が生まれるのを見ても、もはや伊邪那岐の心はまったくなにも感じません。地に伏したまま動かぬ伊邪那美の身体は伊邪那岐の眼の前でみるみるうちに土中へと沈み、黄泉の国へと消えて行きました。
「なんということだ……私はひとりになってしまった……」
 その日から伊邪那岐は神殿に引きこもるようになってしまったのです。

黄泉の国

 弟を失い、子供を殺した伊邪那岐は神殿のなかで、寝食を忘れて衰弱していきました。
 ーー私はどうすればいい……弟よ、私はそなたを忘れることができぬ。もう一度会いたい……しかし、黄泉の国へ行くことは禁じられている……。
 神殿のなかで想いをつのらせていたある日、伊邪那岐はついに立ち上がり、
 ーー少しだけ、声だけなら良いのではないか……。
 そう自分に言い聞かせ、ふらふらと立ち上がって禁断の地、黄泉の国へと向かいます。
 黄泉の国に近づくにつれて、あたりからは緑が失われ、岩と暗闇の支配する世界となっていきます。やがて入り口にたどり着くと、その扉の前で伊邪那美に声をかけました。
「愛する弟よ、そこにいるのなら聞いてくれ……そなたがいなくなってから、私は夜のなかでひとり死んだように生きている……いまいちど昼の世界へ戻ってきてくれぬか」
 すると、その声に応えて中から伊邪那美の声が聞こえてきました。
「兄上……」
「伊邪那美、そこにいるのか」
「残念です。兄上がもっと早く来てくだされば……」
「どういうことだ」
「私は黄泉の国の食物を食べてしまいました……身体がもう穢れているのです。でも、せっかく兄上がいらしたのですから、なんとかして黄泉の国の神を説得してみましょう。少し時間をください」
「おお! いつまででも待つとも!」
「約束してください。その間に、絶対に私の姿を見ぬと」
「もちろんだとも」
 伊邪那岐はそう言ってその場で待つことにしましたが、一時間、二時間、三時間経ってもなかなか返事がありません。
 ーー遅い……もしかして中でなにかあったのではあるまいか?
 そう思って、伊邪那岐はこっそり扉を開けて中に入っていきました。
 扉のなかは、薄暗く、なんだか肉の腐った生臭いにおいが漂っていました。髪につけた櫛を折り火をつけて明かりにすると、あたりが照らされて様子がわかりました。そのまま奥へ奥へと進んでいくと、なにかが見えてきました。
「あれは……」
 蛆に覆われた死体でした。近づいてみると、おまけに身体の手足など、いたるところに雷神がくっついていました。
「なんだこの醜い死体は……」
 あまりの醜さに伊邪那岐が踵を返して逃げようとしたところで、背後から声が聞こえてきます。
「兄上……私です。あんなに約束したのにどうして来てしまったのですか」
「伊邪那美……いや、私の弟がこんな醜い死体のはずがない! さては黄泉の国の魔物か……」
「相変わらず頭の固いお方だ……かくなるうえは私とともにここで暮らしていただきます」
 そう言うと、伊邪那美は黄泉の国の亡者たちに命令して、逃げる伊邪那岐を追わせました。
 ーーまさかあれは本当に伊邪那岐なのか? だとしたら会いに来た私が間違っていた……あいつは過去の弟ではない。
 伊邪那岐が逃げながら山葡萄や筍で亡者をいなすと、伊邪那美は八人の雷神に一五〇〇の軍勢を持たせてさらに追いかけます。
 伊邪那岐は現世との境にある黄泉比良坂(よもつひらさか)にたどり着き、そこに生えていた桃の実を三つ投げるとその聖なる力によって軍隊はたちまち霧散。やっとのことで黄泉の国から脱出すると、入り口を大岩で塞ぎ、あちら側にいる伊邪那美に向かって言いました。
「私はもうそなたと共に生きることはできぬ……私のことは忘れてくれ!」
「愛する兄よ、相変わらずあなたは身勝手ですね。ならば私はあなたを忘れないようにこの国の命を毎日一〇〇〇人ずつ奪うことにしましょう」
「ならば私は一五〇〇の命を作り出そう。もう二度と会うことはないだろう」
 そう言ってふたりは完全に袂を分かち、本当に二度と会うことはありませんでした。

禊と三貴子

 黄泉の国から帰ってきた伊邪那岐は、水辺のほとりに立ち、
 ーーなぜこんなことになってしまったのだ。どうして私はあんなところに行ってしまったのだろう……もう二度とこんなことがないように穢を落とすことにしよう。
 そう思い、衣服を脱ぎ捨て水で身体を洗いました。するとその肉体や衣服から無数の神々が生まれました。
 最後に右目を洗ったときに、天照大御神(アマテラスオオミカミ)。左目を洗ったときに月読命(ツクヨミノミコト)。鼻を洗ったときに建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)が生まれました。
「なんという立派な神だ……そなたたちこそ私と弟の最後の傑作。天照よ、そなたは神々の住まう高天原を治めるがいい」
 長身で切れ長の目に眼鏡をかけた、いかにも切れ者といった風情の天照はそれを聞いて不遜な笑みを浮かべ、伊邪那岐を見下すように早口で言いました。
「おやおや、父上にしては妥当な判断ではないですか? それはつまりこの兄弟のなかで最も頭脳明晰眉目秀麗な私が高天原を統治するのは当然と考えてのことですね。まあ安易といえば安易ですが悪くないですよ?」
 伊邪那岐は、なんかこいつ面倒くさいなと思いました。
「……月読、そなたには夜の世界を任せよう」
 金髪のくせ毛を指に絡ませ、発酵した酒の入った器を揺らし、なめし革張りの椅子に腰掛けていた月読は紫色の衣を脱ぎながら、
「かしこまりました。永久指名ということでよろしいでしょうか」
「なんでも良いがなぜ服を脱ごうとしている」
「冗談ですよ父上」
「何の冗談なのかよくわからぬ」
「これから就任記念祭の準備をしますので、父上もお越しの際にはぜひ甕酒をお入れください」
 伊邪那岐は、こいつは適任だったなと思いました。
「最後に須佐之男……どうした。そなた、手首から血が出ておるぞ!」
「くっーー黄泉の国が我を呼んでいるということか」
 左右違う瞳の色をした少年は、地面に片膝をついてぶつぶつ言いました。黒い衣からはみ出した均整の取れた浅黒い肉体とは裏腹に、その瞳は昏く、どこか不良性の孤独をまとわせています。
「そなたには海を任せたいのだが」
「海か……広いなあ……大きいなあ……だがもはや我にはすべてが虚しい。なぜ生まれてきたのか、なぜここにいるのか……父よ、我は何者なのか……殺せっ!」
 伊邪那岐は、こいつに関わると間違いなく厄介なことになると思い無視しました。

 こうして世界に暗雲たちこめるなか、物語は次の世代へと引き継がれていきます。

(前後は『BL古典セレクション②古事記』でどうぞ!)


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2005年設立の、人文書・文芸書を中心に刊行する出版社です。左右社という社名は書家の石川九楊先生に付けていただきました。亀のかめ吉を飼っています。