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​御宥免/町田康

【第32話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 漁夫が持っていた櫂を担いで逃げたところ、土地の漁師十数名に追いかけられ、一旦は逃げたが、「ドロボー」と言われて赫っとなった次郞長、立ち止まって漁師たちと一触即発のにらみ合いになった。
「構うこたあねぇ、のしちまえ」
 と漁師が言う前に次郞長、
「俺はただ喧嘩をしてただけで、物を盗った覚えはねぇ。あの櫂はちょうど具合がよかったからちょっと借りたまで、喧嘩が済んだら返《けぇ》す心算だった。その俺を泥棒呼ばわりしやがるってぇのは一体どういう了見だ。返答次第によっては……」
 と大声で怒鳴った。このあたり、泥棒呼ばわりだけは許せねぇ、と赫っとなって我を忘れ、戦術を誤ってしまうところが所詮はやくざであった。
 そして、堅気の農民や気の弱い博徒であれば次郞長のこの気迫に飲まれて、或いは、「まあまあ、そう怒りなさんな」となったのかも知れぬが、しかし相手は漁師たちで気が荒い。
 承知しねぇぞ、と最後まで言わぬうち、
「やかましいやい」
 と言い返して、石を拾って雨霰と投げつける、これが命中して額が割れ、だらっ、と血が流れる、「あっ」と言って怯んだところ、わっ、と押し寄せて取り囲み、てんでに手に持つ、割り木や梶棒でぼこぼこに殴る。「あああっ」つって倒れたところを更に棒で撲る、足で踏みつける。
 力が強い漁師たちが寄ってたかってそんなことをするのだから次郞長は防戦一方、亀のように蹲って頭を抱えることしかできない。それをさらに撲る、蹴る、するものだからたまらない、骨が砕け、肉が破れて流血淋漓。渾身完膚なきがまでに叩きのめされ、次郞長はぐったりして動かなくなった。
 その様を見て、一人の漁師は、可哀想だ。さすがに気の毒なことをした。と思った。
 ということはまったくなかった。それどころか笑みを浮かべ、
「はは、いい気味だ」
 と言い、そして、もはや動かない次郞長をそこらに落ちていた縄でギリギリ縛り上げ、その上でさらに撲る、蹴るの暴行を加え、ウヒャウヒャ笑った。
 一同は祭のように興奮し、激越な憎悪表現《ヘイトスピーチ》を口走りつつ、これを抱え上げては、地面に叩き落とすなどして楽しみ、
「ぶち殺して海に捨ててしまえ」
「いいね!」
 など絶叫して、顔をぬらぬらにしていた。そのままだったら次郞長は弘化元年の暮、遠州川崎村で漁師に嬲り殺され、後年の活躍はなかったはずである。ところが。

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