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【特別公開中】3. 迷宮のような、回転する空間での絵画体験 ――持田敦子、高橋大輔

・太田市美術館・図書館「2020年のさざえ堂ー現代の螺旋と100枚の絵」公式図録(左右社より3月末刊行)から、担当学芸員の小金沢智による展示解説と総論を特別公開しています。
・本記事は、2階展示についての解説です。
・作品写真撮影:吉江淳

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曹渥寺さざえ堂では、100体の観音像が安置されているとともに、観音像が安置されている寺院とその周辺を描いた絵が掛けられている。すなわち、秩父(埼玉県のうち秩父地方)、坂東(神奈川県、埼玉県、東京都、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県)、西国(京都府、滋賀県、大阪府、奈良県、兵庫県、和歌山県、岐阜県)の100カ所であり、参拝者にその絵画の鑑賞も通して、遠く離れた「100カ所の霊場(神仏の霊験あらたかな場所)」へのイマジネーションを働かせることが意図されているのだろう。

 アーティストの持田敦子は、主に2013年頃から、既存の空間や建物を変形させたり、壁面や単管(鉄パイプ)による階段などの仮設性と異物感の強い要素を新たに挿入したりすることで、それまでの場の状況を変質させる作品を制作してきた。本展で持田が展示室2を会場にして制作したのは、複数の空問に区分けされた、「回転する展示室」である。

 通営、本展示室は、壁面の短辺 8.2メートル、長辺11.6メートル、天井の高さ3.45メートル程度の空間で、展覧会の都度、展示する作品や構成に応じて新たに仮設壁を制作・設置している。この空間のもつ「条件」と、本展のテーマが「螺旋」「さざえ堂」であることから、持日は展示室内に回転する壁面を設置することを発想した。空間を複数に区分けし、それによって美術館における「展示」とその「鑑賞」という行為自体を変質させるべく、作品のプランニングを行ったのである。

 一般的に美術館における展覧会という場とは、ある空間に作品が設置されることで成立している。作品は、絵画であれ、彫刻であれ、写真であれ、映像であれ、インスタレーションであれ、一度空間内に展示されれば、それらは展覧会の会期中、特殊なケースをのぞき、動くことはない。

 だが今回の持田の作品は、この前提を作品によってくつがえす。「羽(フィン)」(と持田が呼ぶ仮設壁面)は、接合している中心の金属製の円柱を核として、人力によって回転し、回転前とは異なる場所での停止を日々繰り返す。回転する壁と、回転しない壁の双方に絵画作品が掛けられているため、会期中その空間が複数回変化するのである。観覧時、たとえ自分の目の前で壁が動かなかったとしても、その壁は既に動いた後の、また新たに動く前の壁なのだ。

 そして、こうした本作のベ一スにあるのが、持田が当館と曹源寺さざえ堂に見いだした、「自分がどこに立っているのかわからなくなる、曖昧な感覚」にほかならない。本作は、回遊性が高く、迷路のようでもあり、鑑賞者は歩き回ることで「この部屋はさっき見たかもしれない」という戸惑いをもつかもしれない。どこが適切な導線なのか。可動性と回遊性というふたつの要素は、組み合わされることで、展覧会という固定化した場の「鑑賞」という行為に新鮮な想像力をもたらす。

 展示されているのは、展示室1に引き続き、高橋大輔の油彩画である。1階では具体的なモティ ーフの存在する作品や、具体的な事物がタイトルとして付けられている作品が陳列されていたが、ここでは一転、すべて「無題」をタイトルにもつ作品群だ。描かれているものも抽象性が高く、具体的な対象をイメージさせるものではない。タイトルは、「無題」に続けて、謎めいた言葉やアルファベットが付けられているものもあるが、それらは明確なルールに基づくわけではなく、詳細な意味内容を高橋は積極的に開示しようとしない。それらの絵画は、純粋に「色」「形」「空間」を形作ろうとし、高橋は具体的なタイトルを付けることで、鑑賞者が絵から固定化したイメージを受けてしまうことを危惧している。絵は具象であれ抽象であれ、絵具の集合である。そこに描かれているものはなにか? 絵を見るとはどういう体験か? 変化し続ける「迷宮」のような展示室で、絵画をつぶさに見つめてみてはいかがだろうか。


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