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#19 【コラム9】酒−サカナといえば、お酒?それともご飯?

リングにあがった人類学者、樫永真佐夫さんの連載です。「はじまり」と「つながり」をキーワードに、ベトナム〜ラオス回想紀行!今回はベトナムのお酒の席の話です。

 

黒タイの正月の宴席。緑色の瓶に入っているのが米の蒸留酒で、
小さな盃で飲む(2007年 ベトナム、ディエンビエン省)

 「パイ・キン・パー、マー・キン・ラウ!」
 黒タイの村での酒の席で、こんなことばをよく聞いた。
 直訳すれば、「訪ねたらサカナ、訪ねられたらお酒だよ」てな感じ。黒タイの人たちがいかに「つながり」を大切にして、おもてなししあうかを表現した慣用句だという。
 だが勘違いしている人さえ多いが、ただしくは「パイ・キン・パー、マー・キン・カウ!」
 つまり、下の句の末尾がラウではなくカウ。客人を酒(ラウ)ではなく、ご飯(カウ)でもてなすという意味なのだ。
 タイ系民族の古い慣用句には、しばしば魚と米(ご飯)がセットで登場する。魚と酒のセットは、日本の横町の飲み屋だ。
 1990年代になると、市場経済化による経済発展のおかげで黒タイの村人たちも次第に生活に余裕が出てきて、親族や知人が訪ね会う機会が増えた。村でも多くの家が、ドラム缶などをつかって余剰の米で蒸留酒を自家製造するようになり、客に「まあ、飲め。まず一杯!」なんてことがあたりまえになった。
 酒が苦手なわたしは苦労したが、のんだくれたちは酒瓶をもちだして、いちいち言ったものだ。
「やっぱり、パイ・キン・パー、マー・キン・ラウだよな!」
 サービス精神たっぷりに繰り返していたお決まりのボケに、関西人ではないので誰もツッコまない。だからそのまま正しい慣用句として定着してしまった。

米の蒸留酒をつくる火の番をしている村の子どもたち
(1997年 ベトナム、ディエンビエン省)

 親族や姻族との強い結束をもとめ、さらに地縁によるつながりが強い黒タイの村人たちは、ふだんから行き来しあっている。しかし、だからこそ、どの家の生活も苦しかった1990年以前は不用意によその家を訪ねられなかった。「パイ・キン・パー、マー・キン・カウ」ゆえだ。
 つまり訪問を受けた側は、相手との親族関係次第で、いやがおうでも米、肉(ブタかトリか魚)、酒を工面してもてなさなくてはならなかった。だからみな引きこもって、ふだんはしんどさを分かちあったのだった。
 現在はその逆だ。豊かさゆえに飲み疲れた約20年間のしんどさを分かちあい、ついに宴会はシンプルになった。

市場で売られている中国製の酒の麹(2013年 ベトナム、ソンラー省)

 黒タイの村でもっともよく飲むのは、先に述べた蒸留酒だ。原料はモチ米が多いが、トウモロコシ、キャッサバでつくることもある。1990年代から中国産の麹もたくさん入ってきたが、最近は自家製の麹に回帰している。中国産のは評判がよくなかったし、2000年代以降、村の中の酒造りも特定の家族による専門化が進んだからだ。すると味の追求も進んだ。自分の村の人がいつもよその村に酒を買いに行くなんてことになったら恥ずかしいからだ。
 宴席では、家長の挨拶がまずあって、小さい杯の酒を一口で飲み干してから食事に手をつけるのがしきたりだ。水や湯で割ったりはしない。30度くらいのをひたすらストレートで飲み続ける。5、6杯ものめばわたしはへべれけだ。
 酒の味はわからないが、苦みが少ない。悪酔いしたことはない。酒好きな人たちはたいがい「おいしい!」と喜んでくれるからおいしいのだろう。村の酒を喜んでもらえるのはわたしもうれしい。

酒を飲んで酔っ払ったので、まずは昼寝(2003年 ベトナム、ディエンビエン省)

関連リンク▼
「蚊帳とは」
「黒タイの蚊帳」『月刊みんぱく』2008年7月号、11頁

樫永真佐夫(かしなが・まさお)/文化人類学者
1971年生まれ、兵庫県出身。1995年よりベトナムで現地調査を始め、黒タイという少数民族の村落生活に密着した視点から、『黒タイ歌謡<ソン・チュー・ソン・サオ>−村のくらしと恋』(雄山閣)、『黒タイ年代記<タイ・プー・サック>』(雄山閣)、『ベトナム黒タイの祖先祭祀−家霊簿と系譜認識をめぐる民族誌』(風響社)、『東南アジア年代記の世界−黒タイの「クアム・トー・ムオン」』(風響社)などの著した。また近年、自らのボクサーとしての経験を下敷きに、拳で殴る暴力をめぐる人類史的視点からボクシングについて論じた『殴り合いの文化史』(左右社、2019年)も話題になった。

▼著書『殴り合いの文化史』も是非。リングにあがった人類学者が描き出す暴力が孕むすべてのもの。



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