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【その8】人生のリスタート、あくまで序章

私は海の近くに部屋を借り、何度目かの1人暮らしを始めた。念願だったサーフィンも再開した。担当しているヨガクラスやWS、アーユルヴェーダの講座で忙しい毎日だったし、ちょうどその頃にご縁あってアスレチックブランドのルルレモン湘南店アンバサダーに選出された。4年ほど前から学んでいたアーユルヴェーダにもこれまでにない使命感に燃えていた。

ああ、ここからが私の新しいスタートだ。
やっとここからわたしの人生が始まるんだと思った。

その頃、7年くらい前から知り合いだった男性と付き合うことになった。それまで2人だけで話をしたことはほとんどなかった。

話してみると、面白い人で独特のセンスと感覚を持っており、心根の優しい人だった。なんだか息というか気が合う感覚が強くあった。LINEでのやり取りのテンポや返しもわたしには絶妙で、心地よかった。

私のサポートをしたい、私が輝くのが望みだと最初の頃はなんとなく一歩引いていたが、付き合いが慣れてきた頃からぶつかる場面もちょくちょく出てきた。いま思えば、私の不安が彼の不安として現れていた。

私は自分で決めた新しいスタートをクリアな自分としてのスタートだとも捉えていた。もうしくじりたくない、という思いにどこか捉われていた。食事も今まで以上に意識的に、そして健康的にしたかった。アーユルヴェーダの考えに沿って消化に軽く、エネルギーの高い食事をいつも意識していた。しかし、やれパートナーはとなると、お肉もお菓子もジュースも普通に食し、一見無頓着にも見えることが私を小さく日々イラつかせた。

あの頃、よく食べ方や買うものを監視するかのように見ていたし、ことあるごとに注意していた気がする。俺よ、マジウザさMAX。

ある時、前の夫に細々と注意されたり、指摘されてひどく嫌な気持ちになっていた私と、目の前で私に注意されて嫌な気分になっているであろうパートナーの姿が重なってゾッとした。え、デジャブのように同じようなことを私がまさに今、している。私、人を替えてあの時の仕返しをしているの?
衝撃的だった。私はまた同じことを繰り返そうとしている。何をしているのだろう。どこまでいっても私はこういう人生なのだろうか。新しいスタートなんて起きえないのか?所詮、私はこういう人間でしかないのだろうか。

気にしないようにしようとすればするほど、そちらに気が向く。見ないふりをしようとすればするほど、イライラする。我慢しようとすればするほど息が詰まる。
そんなことが日常的にありながらも、彼の細いことを気にしない、(気づかないフリをしていたのだと思う)ある意味、大雑把さおおらかさに救われていた。

少しづつ関係が和らいでいった頃、よき物件に偶然巡り合い、友人たちに手伝ってもらいながらの彼のインスピレーションに沿っていい感じに3ヶ月ほどでリフォームした。海から2分のマンションに2人で暮らし始めることになったのが2019年4月だった。

2019年当時、ヨガの仕事とは別に、ある先生の元で私はアーユルヴェーダの学びを深めていた。深い知識があり、センスも高く、美しい彼女に認められることが誇らしく、同時に嬉しかった。アーユルヴェーダセラピストとして、講師として、彼女の元で活躍していく自分を想像していた。期待されているし、片腕のような存在に近づいていると勝手に捉えていた。

しかし、講座を担当をするようになった頃から突然態度が冷たくなったりすることが増え出し、私はビクビクしてもいた。まだまだ知識が足りないんだな、調子に乗らずもっと勉強しないとな、もっと謙虚に、もっと足元を見て、調子に乗っているかのような軽めの発信は控えなくてはいけないのかもしれない。ヨガ哲学や心の勉強で学んだ「足るを知る」ということをまだどこか大きく履き違えていた。

そして翌日からハワイへ旅立つ前日のよく晴れた秋の日、「さゆりさんは私と一緒にやりたいんじゃなくて、自分が一番可愛いのよ。自分が良ければいいのよ、あの人は。ってそういえばこのあいだ言ってたよ。」と共通の知り合いから、ふいに聞かされた。

ガツーンと強く頭を叩かれた感じがした。ドキドキして、口の中がカラカラになった。ひどく裏切られた感じがした。体調が悪くなると小さな頃からお決まりのように出来る口内炎の超特大バージョンが夜にはいくつも出現した。

気持ちのよい風が吹くハワイにいる間中、超特大スーパー級に育った口内炎があまりに痛すぎて、ドラッグストアにあった麻酔薬のような日本では売っていない液体を塗りまくり、なんとか痛みをやり過ごしていた。

あぁ、これまでの師弟関係のように感じていたものは何だったんだろう。所詮彼女は私が活躍していく未来を許していなかったのか。何が気に入らなかったのか。どこで怒らせたのだろう。私にこのスクールがなかったら、これからどうやってアーユルヴェーダを伝えていけばいいのだろう。1人でやっていくとして、全部パクリだと思われたらどうしよう。そもそもオリジナリティってどうやって出していけばいいのだろう。オリジナリティってなんだろう。誰か教えて欲しいと弱気になった。

そんな不安を抱えながらも、家賃や光熱費を払うためにもやるしかなかった。次々と講座やクラスを開催していった。一方で、アーユルヴェーダの世界観を伝えることが心底楽しかった。話していると、時間が経つのを忘れるほど情熱を感じ、「役に立つよきこと」を伝えてることにも心から喜びを感じていた。

ヨガもアーユルヴェーダも、そんな喜びを感じ合いながらやっていけばいいんだと思った。多くの人が求める、体もマインドも健康的になることを教え、日々実践し、人生をクリエイトしていこうと思った。そして徐々に雑誌やWebマガジンの取材を受けるようになり、私という価値を認められているようで嬉しかった。

おぉ、その頃のわたしよ。
いつまで「わたし」ではなく、わたし以外の他のものや人や教えや常識を重要視しているの?いつまで惑っているの?一回止まってみなよ。あの時、もううんざりだと自分に怒り、自分で決めて動くことがあなたにはできたじゃないか。あの時、自分を幸せにすると決めたじゃないかよぅ。それなのにそれなのに、まさに「また肥溜めにダイブ」を何度もしていたのね。

そして、今なら分かる。
人はある日突然に、決めた瞬間に突然にはそうはならないということを。けれど、自分で決めたら、耳を澄ましても聞こえないくらいの小さな足音で少しづつ、詰まっていた変容の道が貫通していくのだということを。あの頃はその途中にいたのだということを。

そしてその頃になると、前に飼っていた黒いラブラドールを夜思い出し、心配で泣くこともなくなっていた。一見、波に乗ってうまくいっているように見えた。クラスもたくさんさせてもらって、目の前の海で毎日のようにサーフィンもできて、日に日に心を開いていく保護犬を迎えることもできた。カリフォルニアにパートナーとサーフィン旅にいくこともできて、昔夢見ていたような上出来の人生になっていると思った。

けれどどこか「こんなもんじゃないはず」という誰にも言えない想いもあった。何が不満なの?不満がある訳じゃない。不満なんてない。けれど何かがしっくりこない感覚。言葉にもできない微妙な感覚がずっとあったのを覚えている。もう失敗はしたくない。離婚を2回もしているのに、よい人生を送れてないなんて恥ずかしいじゃないか。親にもなんだか申し訳なく感じる。

まだその頃もそんな風に思っていたような気がする。

次に続く。

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