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冷静と情熱のフィレンツェ(フランス恋物語80)

予想外の同行者

10月初旬。

3泊4日の北イタリア旅行は、一人旅のはずだった。

しかし、初日のミラノの団体ツアーで知り合った日本人男性と、ひょんなことから残りの日程を一緒に旅することになった。

北原さんは、ミラノで貿易業を営んでいるらしい。

40歳くらいの谷原章介似で、落ち着いた大人の雰囲気と、彼の唇から発せられるイタリア語の発音が魅力的だった。

また、昨日一緒にミラノ観光をして、彼の笑顔に徐々に惹かれていくのも感じた。

そんな北原さんから、「フィレンツェとベネチアにも同行したい」と言われ、驚いたが嬉しかったのも事実だ。

もともと私は一人旅が好きではないし、彼のような素敵で頼り甲斐のある男性と一緒に観光できるのなら、願ってもないことだ。

ただ、旅をするうちに恋愛に発展しないか、それは少し心配ではあった。

結局北原さんの押しに負けて、その同行を許してしまったのだが。

Riunione

10月6日。

2日目の午前、私たちはミラノからフィレンツェへ鉄道で移動した。

電車の中で、私と北原さんは今後の旅のためにお互いの観光スタイルについて色々話し合っていた。

「私は美術館で鑑賞する時、端から端まで軽く絵を眺めて、気に入った絵だけ足を止めてじっくり観る・・・という感じなんだけど、北原さんはどうですか?」

私の意見に、北原さんも同意した。

「僕もそうだよ。

特にヨーロッパの美術館なんて大きいんだから、一つ一つゆっくり見てたらきりがないよね。

いくら説明文を一生懸命見たって、その作品が好きかどうかは変わらないんだから。」

私は北原さんと価値観が同じで、気が合いそうだと思った。

「同感!! じゃ、美術館内は別行動でお互い好きな絵をじっくり見て、後で出口集合にしますか?」

やや極端ながら、効率的と思われる方法を提案してみたのだが・・・。

「いや、さすがにそれは寂しいでしょ。

大丈夫、僕たちは好みが似てるから、ずっと同じ作品の前にいることになると思うよ。」

そこまで言うのなら一緒に見ればいいか・・・と思うことにした。

Firenze

フィレンツェのターミナル駅であるサンタ・マリア・ノヴェッラ駅を出ると、映画『冷静と情熱のあいだで見た景色が広がっていた。

この映画を観てフィレンツェに魅せられた私は、ここに来る日をずっと待ち焦がれていたのだ・・・。

Firenze(フィレンツェ)
イタリアの中部トスカーナ州にある都市。
花のように美しいとされる古都フィレンツェの名の由来は、ローマ時代につけられた「フロレンティア(花の女神)」に由来し、その美しさから「天井のない美術館」とも言われる。
中世には毛織物業と金融業で栄え、フィレンツェ共和国としてトスカーナの大部分を支配した。
メディチ家による統治の下、15世紀のフィレンツェでルネサンスが起こり、経済活動、芸術活動に大きな影響を与えた。
1982年、市街中心部が「フィレンツェ歴史地区」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
1986年には欧州文化首都に選ばれた。
観光は、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、サンタ・クローチェ聖堂、サン・ロレンツォ聖堂、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会、ウフィツィ美術館など、歴史的な建造物が中心である。

「あぁ、素晴らしすぎて言葉が出ない・・・。」

私はつぶやくと、北原さんが言った。

「うん、僕が前行った時と変わらない景色だ。

でも、フィレンツェは変わらないこそいいんだよね。」

北原さんの言葉に、フィレンツェは日本で言う京都みたいなものなのかなと思った。


フィレンツェに着くと、私は荷物を預けにホテルに寄った。

北原さんを見ると、フロントスタッフに自分の部屋の予約をしているようだ。

「同じホテルの方が、行動しやすくていいでしょ?」

確かにそうだなと思ったので、特に異論はない。

また、「明日のベネチアの宿泊先も同じホテルがいい」と言うので、私は自分の宿泊先を教えた。

彼は早速そのホテルに予約の電話を入れていた。

Galleria degli Uffizi

北原さんがウフィッツィ美術館を10時で予約してくれていたので、まずはそこに向かうことにした。

【Galleria degli Uffizi】(ウフィッツィ美術館)
イタリア国内の美術館としては収蔵品の質、量ともに最大のものである。
メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵する美術館であり、イタリアルネサンス絵画の宝庫である。
展示物は2,500点にのぼり、古代ギリシア、古代ローマ時代の彫刻から、ボッティチェッリ、レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロらイタリアルネサンスの巨匠の絵画を中心に、それ以前のゴシック時代、以後のバロック、ロココなどの絵画が系統的に展示されている。

私はその中でも、ボッティチェリ「春」「ヴィーナスの誕生」を見るのがすごく楽しみだった。

「ビーナスの誕生」も「春」も教科書でしか見たことがなかったが、実際の大きな絵を見て、細部も凝っていることに気付けたのが嬉しかった。

「あぁ、やっぱりこの絵好きだな~。

本当に綺麗・・・。

生で見て本当に良かった」

北原さんもそうだったようで、周りの人に配慮しながら、私たちはずっとその二作品を眺めていた。

隣にいる北原さんがにっこり微笑んで言う。

「僕もこの美術館の中ならこの二つの絵が好きだよ。

だから言ったでしょ?

僕たちは好みが一緒だって。」

・・・それは本当なのか、彼が合わせているのかはわからないが、聞いても仕方がないことなので、私は気にしないことにした。

Palazzo Vecchio

ウフィツィ美術館を出ると、すぐ近くのヴェッキオ宮殿に移動した。

ここも北原さんが予約してくれていたので、すんなり入場することができた。

【Palazzo Vecchio】(ヴェッキオ宮殿)
1299年から1314年にかけてアルノルフォ・ディ・カンビオによって建設された。
初めは、フィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、一時、メディチ家もピッティ宮殿へ移るまでここを住居としていた。
1550年から1565年の間に、ジョルジョ・ヴァザーリによって部分的に改築された。現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われている。
内部は、「フランチェスコ1世の仕事部屋」「500人大広間」「レオ10世の間」「ゆりの間」などの部屋に分かれている。
1585年(天正13年)天正遣欧少年使節団がここに宿泊している。

戦国時代、ヴェッキオ宮殿に天正遣欧少年使節団が宿泊したという歴史もすごいし、現在はこの建物が市庁舎として使われているというのにも驚いた。

実際目にして一番印象に残ったのは、かつて会議場だったという「五百人広間」だ。

長さ53m、幅23m、高さ18mの大広間の天井・壁がフレスコ画で埋め尽くされ、まさに豪華絢爛という言葉がピッタリだった。

ここは広くて人混みがすごかったので、一瞬北原さんとはぐれてしまった。

彼を見付けた時の安心感は思った以上に大きく、「私はこの人をすごく頼りにしてるんだな」ということに気付いた。

Palazzo Pitti

ヴェッキオ宮殿をあとにすると、アルノ川に架かるヴェッキオ橋を渡って、ピッティ宮殿へと向かった。 

【Palazzo Pitti】(ピッティ宮殿)
ルネサンス様式の広大な宮殿で、トスカーナ大公の宮殿として使用された。アルノ川の西岸に位置し、ウフィッツィ美術館とはヴァザーリの回廊を通じて結ばれている。
1587年にフェルディナンド1世が即位して以降、ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世によってイタリア国民に移譲されるまで、トスカーナにおける宮廷としての役割を果たし続けた。
約400年に渡り、メディチ家を中心として収集された絵画や宝飾品のコレクションは膨大な数にのぼる
現在この建物は、内蔵する美術品とともに美術館として一般に開放されている。

ピッティ宮殿内のパラティーナ美術館には、ラファエロの絵が11点も所蔵されているらしい。

ラファエロの絵が好きな私は、ここも必ず見ておきたかった。

ラファエロも良かったが、ボッティチェリの「小椅子の聖母」がとても気に入った。

北原さんは相変わらず、「僕たちの好みは似ているから」と言って、同じ絵の前に立ち続けていた・・・。

Pranzo

ピッティ宮殿を出ると、ランチを食べにイタリアンレストランに入った。

二人の間の堅苦しさもだんだん抜けてきて、北原さんが優しいのを言いことに、私は遠慮なく自分の希望を言うようになっていた。

「ピザとパスタをシェアして、いいとこ取りがしたい。

もちろん、サラダも食べたい。」

そう言うと、北原さんは私好みのメニューを選んで、美しいイタリア語で注文してくれる。


食事をしながら、私がフィレンツェに興味を持ったきっかけとして『冷静と情熱の間』の話をすると、北原さんは嬉しそうに答えた。

「奇遇だね。

僕も『冷静と情熱の間』は、映画も小説も大好きだよ。

小説版の『ROSSO』と『BLU』の両方を読んだけど、僕は『BLU』の方が好きだな。」

「ここでも好みが合った!」と私は思った。

「本当?

私も両方読んだけど、断然『BLU』の方が好き。

順正があおいを忘れられなくて、ウジウジ悩んでるところがいいんだよね。

『ほら、もっと悩め!!』って思っちゃう。」

北原さんは苦笑していたが、「レイコさんに振り回されたい男の気持ちもわかるかも。」という発言をこっそりしているのを、私は聞き逃さなかった・・・。

Cattedrale di Santa Maria del Fiore

ランチを済ませたら、街の中心的存在であるドォーモへ向かった。

【Cattedrale di Santa Maria del Fiore】(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)
フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。
大聖堂は、1296年から140年以上をかけて建設され、石積み建築のドームとしては現在でも世界最大である。(聖堂の大きさとしては世界で4番目に大きい。)
外装は白大理石を基調とし、緑、ピンクの大理石によって装飾され、イタリア的なゴシック様式に仕上がっている。
クーポラとランターン(採光部)は初期ルネサンス、そして19世紀に完成したファサード(正面)はネオ・ゴシックによる混成様式である。
全長153m、最大幅90m、高さ107mで、八角形の大クーポラの内径は43m。
聖堂の大きさとしては世界で4番目に大きい

外観が独特のデザインでとても綺麗だったから中も期待してただけに、内部は地味だと感じた・・・。

「ありがたみがない」という点では、北原さんも同意見のようだった。

Campanile di Giotto

18時になると、夕陽に照らされたドォーモを見ようと、ドォーモ横に建つジョットの鐘楼に上ることにした。

 階段は414段あるらしく、「入り口に『心臓に障害のある方は上らないように』といった注意書きがあるよ。」と北原さんが教えてくれた。

わかっていたことではあるが、階段を上るのはきつかった。

今までの経験だと、フランス人男性が手を差し伸べて助けてくれて、そこからちょっといい雰囲気になり・・・なんてこともあったが、今回の北原さんの場合は何もないだろう。

そう思っていたら、階段を上る途中で北原さんがこんなことを言ってきた。

「姫、何かお手伝いできることはありませんか?」

姫!?・・・ランチの時の私のS的発言に乗っかったのだろうか!?

私も調子に乗ってこんなことを言ってしまった。

「じゃ、後ろから私の背中を押してくれる?」

「御意。」

そう言うと、北原さんは私の背中を押して、頂上まで上ってくれた。

「この人、Mキャラなのかな?」

私は階段を上りながら、彼に対してそんな推察を始めていた。


明るい時間帯に見たドォーモは綺麗だったが、夕日に照らされた姿はもっと美しかった。

隣に立つ北原さんを見ると、私よりも10歳くらい年上なのに息を切らすこともなく、涼しい顔でその景色を眺めている。

遠くを眺めるその横顔はかっこよくて、「さっきこの人に”姫”と呼ばれたのは幻聴だったのかな?」と思うくらいだった・・・。

Cena

「そろそろイタリアンも飽きてきた」ということで、ディナーは日本食レストランにした。

適当に見つけて入ったのだが、スタッフ間では中国語が飛び交い、どうやら中国人経営の店のようだった。

それは”海外あるある”なので、ヨーロッパに住む私たちは全然気にならなかった。


思ったよりは美味しい寿司を食べながら、私は北原さんに言った。

「あ、そういえば、ネットで予約してもらったチケット代払いますね。

ランチのお金も出させたままだったし。

もちろん、このディナーも自分の分は払うので、ちゃんと金額教えてください。」

すると、北原さんは昨夜と同じことを言った。

「だから、年下の女の子にお金を出させることなんてできないよ。

僕は好き好んで君の旅行に付いて行ってるんだから、これくらいのことはさせてよ。」

まだ2日もあるのに、このままお言葉に甘え続けていいのだろうか?

「でも、行きたい所とか見たい物とか食べたい物とか、全部私の希望に合わせてもらってるし・・・。

北原さんは私のボディーガードと通訳みたいになってますが、それでも楽しいんですか?」

Confessione

すると、北原さんは私の顔を見つめてこう言った。

「僕は、昨日君がツアーバスの中で『フランス語希望』と手を挙げた時から、気になっていたんだ。

新婚旅行カップルがいる中、一人で行動する姿は凛々しく見えた半面、ちょっと寂しそうにも見えた。

まさか君とランチに行くことになるとは夢にも思わなかったけど・・・。

ちょうど予定も空いていたし、同じ日本人として君の旅をサポートしたいと思ったんだよ。」

北原さんの言葉は、ちょっときれいごとに聞こえた。

「でも”同じ日本人”と言うだけで、普通ここまで親切にしますか?」

私のストレートな質問に、北原さんは観念した。

「レイコさん・・・君は僕のタイプドストライクなんだよ。

でも、安心して。変なことはしないから。

僕にとって君は”姫”だから、言うことは何でも聞くし、嫌がることは絶対しない。

ただ、イタリアにいる間、傍にいさせてくれるだけでいいんだ。」


・・・北原さんのカミングアウトには驚いたが、「日本に住んでた時、たまにこういう男性が周りにいたな」とふと思い出した。

自分の経験上、こういうタイプの男性は本当に私に従順だった。

私の望みを喜んで聞いてくれたし、下心を剥き出しにして手を出してくることもない。

今回の北原さんもそんな感じだし、大丈夫かな。

「わかりました。

じゃ、あと2日間、ナイトとしてよろしくお願いします。」

・・・こうして、私たちは自分たちの不思議な関係性を確認したのだった。

Alberghi

私たちは同じホテルを予約していたが、部屋は別だし、特に問題はない。

一緒のエレベーターには乗ったが、彼は自分の部屋のある階で「おやすみ。また明日。」と言って降りて行った。


「大丈夫。彼といても何も起こるはずがない。」


そう信じていても、何か起こってしまうのが旅というものなのである・・・。


ーフランス恋物語81に続くー


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