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ストラスブールの旅(フランス恋物語76)

Strasbourg

9月24~26日、私は親友のミヅキちゃんとストラスブール&ナンシー旅行に出かけた。

初日の24日の午前中に出発し、約2時間後にストラスブールに着いた。

ストラスブールはドイツの国境近くにあり、アルザス地方の中心都市だ。

【Strasbourg】(ストラスブール)
ストラスブール(シュトラースブルク)の語源はドイツ語で「街道の街」であり、昔から交通の要衝として栄えた。
かつてはドイツの神聖ローマ帝国に属したが、近世初頭にドイツの混乱に乗じてフランス王国が侵略して併合する。
以降、ドイツとフランスが領有権を争った土地として有名である。
言語や文化の上ではドイツ系であるといえるが、1944年以降、政治的にはフランスに属する。
イル川の対岸にはドイツの都市ケールが存在するが、シェンゲン協定によってパスポートチェック無しで自由に行き来できる。
現在は欧州評議会欧州人権裁判所、またEUの欧州議会の本会議場を擁し、ベルギーのブリュッセルと共にEUの象徴的な都市の一つとなっている。
フランス国立行政学院(ENA, エナ)の校舎もあり、欧州のエリートが当地で養成される。
グーテンベルクカルヴァン、ゲーテ、モーツァルト、パストゥールなどが人生の一時期をこの地で過ごした。
1988年、イル川の中洲にある旧市街が「ストラスブールのグラン・ディル」としてユネスコの世界遺産に登録された。

「アルザス地方はすごく可愛い街だから、絶対に行った方がいいよ」と色んな人から薦められていたので、前からミヅキちゃんと「クリスマスマーケットが開催される12月に行こう」と話していた。

しかし、私が帰国を10月末に早めたことから、二人の予定が合ったこの日が選ばれたのである。


ストラスブールの駅は大きなガラスのドームに包まれた近代的な建物だったが、駅の前の広場を抜けてイル川の橋を渡ると・・・。

そこは絵本の世界から抜け出したような、可愛らしい世界が広がっていた。(※トラムが走っているのを除けば)

初めて見る景色に、私とミヅキちゃんは感嘆の声をあげる。

「すごい!!

街並みが”いかにもフランス的”なものとは全然違うよね。

私、久しぶりに感動したわ・・・って何様って感じだけど。」

私の一人ツッコミに、ミヅキちゃんは笑った。

「可愛らしい木組みの家なんて、いかにも童話の世界に出てきそう!!

確かに、クリスマス市に国内外から観光客が押し寄せるだけのことはあるとね。」

彼女もこの景色を気に入ってくれて、私は嬉しかった。

「あ~ストラスブールに来て本当に良かった。

これでもうドイツにも行かなくて大丈夫かな・・・ってそれは違うか。」

・・・言った後で、最近一人ツッコミが多くなったことに私は気付いた。


私たちはTGVの中でパンを食べてきたので、ストラスブールに着いたら早速観光を始めるつもりでいた。

ホテルに荷物を預けると、観光客の多そうなノートルダム大聖堂は後回しにして、先に美術館巡りをすることにした

Palais Rohan

一つ目の観光地は、18世紀にストラスブール司教の宮殿だったロアン宮を選んだ。

【Palais Rohan】(ロアン宮)
18世紀にストラスブール司教の住居として建てられた宮殿。
ロベール・ド・コットという著名な建築家により設計され、大聖堂付近に位置する。
外観は壮麗な佇まいで、豪華な内装が施されている。
フランス王妃マリー・アントワネットや皇帝ナポレオンも、このロアン宮を訪れたという。
1階は陶器や金細工、時計等、貴重なコレクションが収蔵されている装飾博物館となっており、2階は18-19世紀の絵画が展示されている美術館
地下は、アルザス地方で発掘された旧石器時代の道具や狩りの武器等が展示されている考古学博物館という、3つのミュージアムで構成されている。

私たちは早足で、「装飾博物館」「美術館」「考古学博物館」の3つとも鑑賞したが、見終わった後の二人の感想は一致していた。 

「前の二つは良かったけど、最後の考古学系は自分たち興味ないと見応えがないね。」

・・・私はミヅキちゃんと趣味が合う人で良かったと思った。

Musée de l’Œuvre Notre-Dame

次は、ルーブル・ノートルダム博物館に入った。 

【Musée de l’Œuvre Notre-Dame】(ルーブル・ノートルダム博物館)
14世紀から16世紀当初、この建物は大聖堂の倉庫の管理に割り当てられた。
1939年に美術館として生まれ変わり、11世紀から17世紀の間におけるストラス ブールとライン上流地方の美術の変遷を展示している。
 大聖堂にある中世の彫刻の傑作、ライン沿岸地方の15世紀の大作(とりわけコンラート・ヴィッツ、ニクラス・ゲルハルト・ヴォン ライデン、ハンス・バルドゥング・グリーン)、ステンドグラスのコレクション、タピスリー、金銀細工品と家具、セバスティアン・ストッスコップスの静物画セットなどが展示されている。

この中で印象的だったのは、向かいにあるノートルダム大聖堂から移された彫像やステンドグラスたちだった。 

私たちは、宗教的な彫像もステンドグラスも大好きなので、ここは素直に楽しめた。


鑑賞の途中で、ミヅキちゃんがある発見を教えてくれた。

「ここルーブルって名前付いてるけど、パリのルーブル美術館と綴り違うよ。

こっちは”l’Œuvre”だけど、パリの方は”Louvre”だから。

Œuvreは「作品」って名詞だけど、Louvreは固有名詞っぽい。」

私は「よく気付いたね。」と感心する他なかった。

MUSÉE ALSACIEN

ミュゼシリーズの最後は、アルザス博物館へ。 

【MUSÉE ALSACIEN】(アルザス博物館)
ストラスブールの古い邸宅を利用した民俗博物館。
家具、衣装、庶民向け陶磁器、菓子用の型、玩具、宗教画や世俗画といったアルザス地方特有の室内内装、そして職人の仕事場を復元し、アルザスの伝統的な生活を伝える。

ここは部屋の造りが可愛さ満載だったので、子どもの頃に見てたらもっと感動してただろうなと思った。


・・・それはさておき、私はここまでストラスブールの美術館を回って気になったことを、ミヅキちゃんに問いかけてみた。

「受付の人って、私たちを見るなりみんな英語で話しかけてきたよね。 

こっちはフランス語で話してるのに英語で話し続ける人もいてカチンときたんだけど、彼女らの中で「アジア人→英語」っていう図式が出来上がってるのかな?

私、本当に英語話せないからやめてほしいんだけど。」

ミヅキちゃんは意外そうに答えた。

「そっか~。

私は英語の方が得意だし、未だに英語の方が出てきちゃうから、助かってるけど。

ここは長年フランスとドイツで領土争いがあって、今はその教訓でEUの会議場が建ってるって歴史があるもんね。

よりフラットな地域性を出したくて、フランス語でもない、ドイツ語でもない、標準語の英語にしたのかな。

でも、改めて考えると、第三国の言語を使うって変な感じだよね。」

・・・ヨーロッパの複雑な国境事情は、日本人の私たちには簡単に理解できるものではなかった。

BATORAMA

美術館巡りで疲れてのんびり座りたいってことで、私たちは16時半発のイル川の遊覧船” BATORAMA”クルーズに参加した。 

白人の団体ツアー客ばかりの中、私たちアジア人観光客は目立っていた。


ロアン宮前の乗り場から出発し、船は旧市街~プティット・フランス~欧州議会前を約1時間10分で回る。

イヤホンガイドにはちゃんと日本語も対応していたので、「やっぱりここにもたくさん日本人観光客が来てるんだね。」と私は言った。

木組みの可愛らしい家々の風景を川から眺めるのも楽しかったが、水門を潜る際に水位が変わるのも、初めての経験で印象に残った。

私たちはキャーキャー言いながら写真を撮りまくった。

しかし、最後の方は近代的な建物の風景が続き、それに飽きた私は寝てしまった・・・。

Cathedrale Notre Dame de Strasbourg

最後の観光は、ここストラスブールの観光の目玉でもあるノートルダム大聖堂だ。 

【Cathedrale Notre Dame de Strasbourg】(ストラスブールのノートルダム大聖堂)
街のシンボルであるゴシック様式の大聖堂。
1176年着工し、1439年完成した。
周辺で採掘された赤砂岩が外壁に使われ、ファサードに施されたレースのような透かし彫りが美しい。
華やかなその姿から「バラ色の天使」という呼び名がついた。
142mの尖塔からは絶景が楽しめる。
現在でも世界の教会の中で第6位の高さである。

この大聖堂は、ヴォージュ山地から切り出した赤色砂岩で造られたらしく、赤褐色なのが今まで見た大聖堂と全く違った。

夕日を浴びると燃えるように赤く染まり、とても美しい。 

そして・・・とにかく大きい!!

「街がこじんまりとしているだけに、威圧感がハンパないね。」

その大きさに圧倒された、ミヅキちゃんがポツリとつぶやいた。

私たちは中にも入ったが、暗い内部はせっかくの赤褐色が外観ほど映えなくて、そこまで印象に残らなかった・・・。


大聖堂のテラスにも上がれるということで、私たちは332段の階段を息を切らせながら登った。

ようやく階段を登りきると、まずは椅子に座り、アラサー女子二人組は息を整えた。

そして少し落ち着いたところで、テラスに出て街の景色を見下ろした。


・・・そこには、可愛らしいおとぎの世界の街の風景が広がっていた。

「わ~!!これはすごいね。

どっちかっていうと、フランスというよりは、ドイツとかオーストリアとかそんな感じの街並みだね。」

私が感想を言うと、ミヅキちゃんはガイドブックを見ながらこんなことを教えてくれた。

「ここからの眺めは、かのゲーテも絶賛したそうだよ。」

ゲーテと聞いて、私は眺めとは関係のないことを話しだしていた。

「ゲーテの『若きウェルテルの悩み』って、失恋で自殺する話なんだって。

たかが失恋ごときで自殺なんてありえないよね。

私なんて、何度失恋したことか・・・。

生きていれば、いくらでも新しい恋が待っているのに。」

肉食系のミヅキちゃんも同感のようだ。

「本当にそう思う。

やっぱり私たちみたいに、心身共にタフに生きなきゃね。」

そう・・・タフじゃないと、とてもじゃないが海外で恋なんてしてられない。

Le dîner

夕食はアルザスの名物料理”ベックオフ”(マリネした肉とジャガイモを重ね焼きした物)を食べたくて、旧市街を歩き回り、これを15ユーロで提供しているレストランに私たちは入った。

実際出てきたベックオフは超巨大で、二人でシェアしてもお腹いっぱいになるくらいだった。 


レストランを出るとホテルに戻って一旦休み、20時過ぎぐらいに大聖堂のライトアップを撮りに二人でまた出かけた。

「大聖堂のライトアップは、昼とはまた違った雰囲気で良いね。

でも、昼の大聖堂の方が独特の赤褐色が映えて好きかな。」

私たちの意見は一致したようで、顔を見合わせ微笑んだ。


この日も就寝前の女子トークを楽しみにしていたのだが、歩き回って疲れた私たちは早々に寝てしまった。


明日は、アールヌーボーの街・ナンシーが私たちを待っている・・・。


ーフランス恋物語77へ続くー


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