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ジャンヌ・ダルクの生まれ故郷へ(フランス恋物語61)

Domrémy-la-Pucelle

8月上旬。

私とニコラは、ジャンヌ・ダルクの生まれ故郷Domrémy-la-Pucelle(ドンレミ・ラ・ピュセル)の旅を計画した。

【Domrémy-la-Pucelle】(ドンレミ・ラ・ピュセル)
フランス、グラン・テスト地域圏、ヴォージュ県の小さなコミューンで、
ムーズ川谷にある。
ジャンヌ・ダルクの生誕地で有名。
15世紀、ドンレミ村はシャンパーニュ伯勢力と王党派とに二分されていた。ジャンヌ・ダルクの勝利に対する褒美として、フランス王シャルル7世は村からの税免除を行った歴史がある。
このコミューンは昔、ドンレミと呼ばれていたが、1578年、ジャンヌの別称である『オルレアンの乙女』(la Pucelle d'Orléans)にちなみ、ドンレミ=ラ=ピュセルと改名した。

私は、「歴史上の人物で一番好きなのはジャンヌ・ダルク」というくらい、大のジャンヌ好きである。

フランスに来てからそのジャンヌ熱は上がる一方で、トゥール、ブロワ、ロッシュシノン、ルーアン、オルレアン、ランス、コンピエーニュ、サン・ドニ、ポワティエ・・・と、彼女ゆかりの地はだいぶ回った。

しかし、ジャンヌ・ダルクの生まれ故郷ドンレミ・ラ・ピュセルだけは不便な所にあり、なかなか行けないでいた。

そんな中、8月に入ってから交際を始めたニコラ「僕の車で連れて行ってあげるよ。」と声をかけてくれた。

私はそのお言葉に甘え、彼と1泊2日の旅に出かけたのである。

Anna

朝寝坊な私たちは、11時くらいにニコラのパリを出発した。

バイパスに乗り、途中の町のファミレスで遅めのランチを取った。

(この時、ニコラでも庶民的なレストランでも食事をするんだ・・・と、少しホッとした)

ランチを終えると、ドムレミ・ラ・ピュセル目指して一直線。

目的地までは、約300kmの道のりだという。


その間、私はニコラの資金援助で始めたフランス語個人レッスンの様子と、日本語教師資格のオンライン授業について報告することにした。

まずはフランス語レッスンの話から・・・。

「ニコラが紹介してくれたアンナ先生、日仏ハーフだったんだね。

見た目はフランス人っぽくて、全然分からなかったけど。

彼女は、普段はフランス語だけど、説明がわからない時は日本語で説明してくれるし、すごくわかりやすくていい。」

私がアンナ先生を絶賛すると、ニコラは彼女の驚くべきプロフィールを教えてくれた。

実はアンナは、父親の元日本語講師で、元カノでもあるんだ。

日英仏のトリリンガルで3言語を教えられる優秀な講師なんだけど、父は彼女から日本語を教わっているうちに恋仲になっちゃって・・・。

結局彼女とは別れて、講師の契約も解除したみたいだけどね。」

「えぇ、そうなの!?」

アンナは50代だが知的で美しく、同性でも憧れるような才女だった。

ニコラのお父さんが恋に落ちるのもわかる気がする。

しかし、”個人レッスン→恋仲に発展”は、ちょっとエロいと思ってしまった。

いやいや、その他にも気になることがたくさんありすぎる。

それで・・・ニコラのお母さんはどうなったの?」

すると、ニコラは自分の両親について淡々と語った。

「両親は、僕が10代の頃にそれぞれ好きな人ができて離婚したよ。

今は、二人とも新しい相手と仲良く暮らしている。

僕はどちらとも良好な関係を築いているから大丈夫。

フランスではよくあることだよ。」

結婚しても子どもがいても、自分の恋に素直に生きる・・・。

まさにフランス流の生き方だと思った。

「それで・・・どうしてニコラは私にアンナ先生を紹介したの?」

ニコラは言った。

「決まってるじゃないか。

彼女が優秀な講師だからだよ。

おかげで父はネイティブレベルに日本語を話せるようになったし、日本語の小説を読むこともできる。

きっと、レイコも彼女に教わればフランス語の上達も早いだろうと思ったんだよ。」

なるほど・・・。

でもまだ私に残る、一つの疑問をぶつけてみた。

「じゃ、なんでそんな優秀な先生なのに、ニコラは彼女から日本語を教わらないの?」

ニコラは笑いながら答えた。

「だって、父親の元カノだよ。

僕も彼女から教わっているうちに、どうにかなってしまったら困るじゃないか。

僕は今日本人男性の講師を探している。

個人レッスンは同性に限るよ。

だから僕は、レイコには男性講師を付けさせない。」

・・・フランスで生きている限り、ニコラの選択は間違いないと思った。


この後、日本語教師資格取得の話もするつもりだったのだが、長時間のドライブで疲れた私は眠ってしまった・・・。

L'arrivée

ドンレミ・ラ・ピュセルに着いたのは16:00過ぎ。

ジャンヌ・ダルクの生まれ故郷というのが売りの村だけあって、あちこちに彼女の彫像や名前を冠した標識やお店などが見え、ジャンヌファンには堪らない眺めだった。

私たちが泊まるホテルは小さな邸宅という感じで、部屋は天井が高くインテリアがとてもオシャレで、私は一目で気に入った。

この日泊まるのは私たちだけのようで、2階は貸し切り状態だった。


部屋に入るや否や、ニコラはキスをしながら私の服を脱がしにかかった。

「長時間車を運転していたのに・・・すごいスタミナの持ち主だな。」

私は驚きながらも、自分のパートナーは体力がないよりはある方がいいと思って、前向きに捉えている。

私の体はまだ眠気が抜けてなかったが、ここまで連れてきてくれた労をねぎらうつもりで、彼の望みに従うことにした・・・。


ひと眠りした後、ニコラに「少し外を見に行っていい?」と聞くと、「いいよ。」と言ってくれたので、早速ジャンヌ・ダルクの生家がある方向に行ってみた。

ジャンヌの生家のすぐそばに”Eglise Saint-Remy”(サンドミ教会)があったので、入ってみる。

ニコラが「この洗礼盤でジャンヌも洗礼を受けたそうだよ」って教えてくれたので、何度も触ってみた。

教会内部のステンドグラスは順番にジャンヌの生涯を表していて、さすがジャンヌの実家の檀家的存在の教会だなと思った。


ディナーは、"La table de Jeanne"(ラ・タ-ブル・ドゥ・ジャンヌ)という名前のレストランにした。

コース料理を頼むと、前菜はホワイトチーズのカクテル、メインはリゾットと七面鳥のグリルが運ばれてきた。

テーブルの向かい側で美味しそうに食べるニコラに私は言った。

「美味しいんだけど、なんか重すぎて全部食べられない。

ニコラは平気?」

私はフランス国内で旅行をするとよく胃もたれを起こし、日本から持って来た胃薬をよく飲んでいた。

やはりフランス料理は、日本人の胃には合わないのだろうか。

「え、僕は大丈夫だよ。

残すなら食べてあげるよ。」

デザートはニコラにあげてしまったので、何かのムースかわからずじまいで終わってしまった・・・。

Maison natale de Jeanne D'Arc

一夜明けて、日曜日の朝。

昨夜からの胃もたれが治らない私は、まったく食欲が湧かなかった。

朝食もほとんどニコラに食べてもらい、私は少しパンを食べただけだ。


ホテルを出ると、生家近くの観光センターに行き、ジャンヌが活躍した当時の様子を表す展示物や、ミニ映画を見た。

その後、ガイドさんの案内で、念願のジャンヌの生家へ。

「これが夢にまでみたジャンヌの生家!!」と興奮したが、ガイドさんに、「当時のままではなく建物はかなり改修しています。」と言われてしまった。

「まぁそれは仕方がないよね。」

隣でつぶやくニコラに、私はそれでも嬉しいと語った。

「でも、昔ここにジャンヌ・ダルクが生まれてから少女時代まで生活していたことは確かだし、私はここにいられるだけですごく嬉しい。」

家を出ると、彼女が初めてお告げの声を聞いたといわれる木が残っていて、私はそこに座ってニコラに写真を撮ってもらった。

La promenade

次に向かったのは、Basilique du Bois Cenu la Pucelle(ボワ・シュニー聖堂)だ。

リヨンに行った時のBasilique(聖堂)のイメージで、今回もéglise(教会)やcathédrale(大聖堂)より色彩が鮮やかで華やかなのかな?と期待したら、ここも同じ傾向のようで堂内はとても綺麗だった。

La pucelle(乙女ジャンヌ)の名前があるように、内部や周りはジャンヌ・ダルクの絵や彫像が飾られ、入口前には父母の彫像もあり、ジャンヌ好きには堪らない空間だった。

私は小さいサイズのジャンヌ・ダルクの彫像を探していたのだけれど、ここのお土産屋さんでやっと買うことができて満足した。


その聖堂から丘を下ったところに、「この泉の水を飲むと熱病が治る」と伝わる通称"乙女の泉"に、私たちは足を延ばした。

ここには、少女時代のジャンヌもよく遊びに来ていたらしい。

泉と言っても小さな水がチョロチョロ流れていただけだが、その上には村娘時代のジャンヌの彫像が立っていた。

Voucouleur

ドンレミ・ラ・ピュセルの見どころを全部回ったところで、私はニコラに頼んで、約20km北上した所にあるVoucouleur(ヴォークルール)に連れてってもらった。

【Voucouleur】(ヴォークルール)
ジャンヌ・ダルクは、天使のお告げで「ヴォークルール城の城代”Robert de Baudricour”(ロベール・ド・ボードリクール)に、シャルル7世に会わせてもらえるように頼みに行きなさい」と言われた。
ジャンヌはその声に従い、ボードクリールに認めてもらえるまでヴォークルールに通っていた。

ヴォークルールに着くと、ジャンヌがシノンに向けて出発したと伝わる”フランス門”がほぼ完全な形で残っていて、そのまま映画のロケに使えそうな佇まいだ。


私は事前にブォークルールの市役所内にMusée Jeanne d'Arc(ジャンヌダルク博物館)があることを知っていた。

そこれジャンヌの彫像やポスターを見た後、ジャンヌの記念切手2種類を買い、これでジャンヌ・ダルク観光は終了だ。


私はニコラに行った。

「ドムレミ・ラ・ピュセルもヴォークルールも、見るべきものは全部見たよ。

ここまで連れてきてくれてありがとう。

じゃ、パリに帰ろうか。」

ニコラは微笑みながら言った。

「レイコが喜んでくれたら、僕は満足だよ。

僕もジャンヌダルクは好きだし、いい経験になった。

また、行きたいところがあれば言ってほしい。」


帰り道で、日本語教師資格取得のためのオンライン授業の話をしようと思っていたのに、私はすっかり寝てしまっていた。

帰ったらまたニコラとの「スポーツ」が待っているから、体力を温存しておかないと・・・。


「そうだ、今度ヴェルサイユの実家に帰るから、レイコも連れて行こうと思うんだ。

昨日話した、日本語が上手な父も紹介するよ。」

ニコラの声は、寝ている私には届かなかった。


ニコラの父との対面により、私は隠された秘密を知ることになるのである・・・。


ーフランス恋物語62に続くー


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