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すべては寒さのせい(フランス恋物語⑤)

寒がりの憂鬱

私は、トゥールの寒さをなめていた。

日本に住んでいた時、冬はお風呂とこたつに依存するくらい、私は大の寒がりだった。

こんなに寒さを嫌うのに、なぜ1~3月の滞在先に温暖な南仏を選ばなかったのだろう?

トゥールの予想外の寒さに、この地を選んだ過去の自分を恨んだ。

ホームスティ先は、「浴室にバスタブがあるくせにお湯を張るのが禁止」という謎ルールがあり、それがこの家に対して一番の不満だった。

あまりにも寒かったある日、私はこっそりお湯を張って久しぶりの入浴を堪能した。

その行為はなぜかマダムにばれ、翌朝厳しく注意された。

彼女の主張する理由が、「フランスにとって水は貴重だから、入浴に大量の水を使うのはもったいない」とのことである。

私の不完全なフランス語力でも、それは理解することができた。

「日本には”湯水のように使う”という慣用句があるけれど、きっとフランスにはないんだろうなぁ」などと、ぼんやり考えていた。

温かさへの渇望

すごく寒かった日のこと。

私の寒がりという習性は、一つの転機を招いた。

放課後、カフェで一緒に宿題をした後、ジュンイチくんはいつも通り私を家まで送ってくれていた。

私が手袋を忘れて「寒い寒い」と言っていたら、彼は私の右手を掴み自分のコートのポケットに無造作に押し込んだ。

ポケットの中では、ジュンイチくんの左手が私の右手を柔らかく包む。

その温かさにふにゃふにゃになった私は、されるがままになっていた。

絡めてきた指が、しっくり馴染んでゆくのを感じる。

ジュンイチくんのすべすべした手のひらや指の感触が心地よかった。

私たちはそのまま無言で歩いた。

沈黙が続いた後、ジュンイチくんは意を決したように聞いた。

「レイコさん、日本に彼氏はいるの?」

離婚歴があることは以前話していたが、その後お付き合いした大学生の元カレ・智哉くんのことについては言及していなかった。

「いたけど、フランスに行く前に別れてきた。」

「ふ~ん・・・。」

それ以上は何も言わない。

ジュンイチくんの方は、「フランス人の彼女と付き合ってたけど、数ヵ月前に別れた」とか言ってたなぁ、という情報を思い出した。

ポケットの中の手は繋がれたまま、二人は無言で歩き続けた。

ホストファミリーの家が見えてきた。

道のりは同じはずなのに、今夜はいつもより短く感じられる。

ポケットの中の右手が満たされすぎて、もうすぐこれが終わるのかと思うと寂しくなった。

とうとう家の前に着いた。幸せな時間はおしまいだ。

「じゃあね。」

私は名残惜しい気持ちを振り切り、ポケットの中の繋いだ手をそっとほどこうとした。

すると、ジュンイチくんはもう片方の腕で私を抱き寄せ、うっとりするようなキスをした。

寒いトゥールの冬空の下、男の人に抱きしめられる温かさと、童顔には似合わない予想外のキスに、私は感動を覚えていた。

ジュンイチくんを好きなのか、依存しているだけなのか、そんなことはこの際どうでもよくなっていた。

彼の首に腕を絡め、もっとその唇を味わおうとした。

あれからどれくらいの時間が経ったのだろう・・・。

長いキスの後、ジュンイチくんは何も言わずに帰って行った。

「好き。」とも「付き合って。」とも言わずに。

私はまだ余韻に浸っていて、その後ろ姿をぼぉっと見送ることしかできなかった。

家に帰るとマダムとムッシゥが晩御飯の支度をしているところだった。

なんだかバツが悪くて、あまり二人の顔を見られない。

・・・これって、レベッカの『フレンズ』みたいじゃん。

私は心の中で、ツッコミを入れた。

キスの虜

食事が終わると、自分の部屋のベッドに潜り、これからジュンイチくんとどんな関係を築きたいのか考えてみることにした。

色々考えて出した結論は、あんなキスをした後でも、ジュンイチくんの”恋人”になりたいとは、これっぽっちも思わないということだった。

・・・でも、ジュンイチくんのキスはすごく良かった。

できることなら、またジュンイチくんとキスをしたい。

とりあえず明日学校に行ったら、相手の出方を伺うことにした。

秘密

翌朝、教室でジュンイチくんに会うと、何事もなかったように「Bonjour.」と挨拶をしてきた。

そのあまりの変わりなさに、私はがっかりした。

しかし、ランチの時間になり他のクラスメイトたちと別れ、いつものようにカフェで二人きりになった途端、彼の態度が一変した。

「レイコ、好きだよ。」

初めて私を呼び捨てにし、昨日の続きのように濃厚なキスをしてきた。

私も拒絶する理由がないので、そのキスに一生懸命応じてみた。

それ以来、私たち二人だけの秘密ができた。

学校のクラスメイトの前では平然とふるまっていたが、二人きりになると恋人のようにイチャイチャした。

校舎の中にある奥まった階段とか、普段使われていない教室とか、ちょっとでも誰も来なさそうな場所を見つければ、当たり前のように抱擁し、そのスリルを楽しんだ。

なんかまるで高校生みたい、と思った。

多分周りに気づかれるのも時間の問題だろう。

でも、そんなことが気にならないぐらい、私たちはお互いの唇に夢中だった。

・・・二人の関係が”楽しい”だけで済んだのは、この時までだった。

歪んだ関係

男性を選ぶ際、キスの相性はかなり重要だ。

ジュンイチくんのキスは、私を中毒にさせる魅力があった。

私が彼に求めているのは、とろけるキスと甘い抱擁だけだ。

男女の一線を越える気はないし、ましてや特別な愛なんていらない。

そんな細かすぎる注文は、いくら優しいジュンイチくんでも、とうてい受け入れられるものではなかった。

キスをする関係になってからというもの、ジュンイチくんは私への愛を露骨に表現するようになった。

「好きだよ。」

「愛している。」

「ずっと一緒にいたい。」

そんな言葉を聞く度に、私はどんどん白けていって、

「別に好きにならなくていいよ。いいキス友達でいましょ。」

「私は4月からパリに行くし、わざわざ遠距離恋愛なんてする気ないから。」

などと言い、純朴な青年を悲しませた。

放課後、ジュンイチくんは一人暮らしのアパルトマンへ私を呼びたがった。

「行ったら負け」だと思った私は、何かと理由を付けて固辞した。

そのくせに、二人きりになると官能的なキスをせがむのだ。

20代の健全な男の子が、「キスや抱擁だけでおあずけにされる」というのは、想像に耐えがたい苦行だろう。

そんな中途半端なスキンシップはジュンイチくんを苦しめ、さらに私への情熱をかきたてていくものになっていた・・・。

-フランス恋物語⑥に続く-

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