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フィリップの嫉妬(フランス恋物語112)

Philippe

不動産屋で働く私にとって、水曜日は貴重な定休日だ。

毎週水曜日はフランス人のフィリップとカフェで会い、日本語とフランス語を教え合う”échange”(エシャンジュ)に使っていた。

彼とエシャンジュを始めたのは11月の終わりからで、前回の1月6日で5回目だった。

でも、私は昨日から職場の先輩の類と付き合い始めたので、これからの水曜日はデートに充てたい。

だから今日フィリップに頼んで、エシャンジュの曜日を変えてもらおうと思っていた。

私の友人・美月ちゃんは、「フィリップは絶対玲子ちゃんのこと好きだよ。」と言っている

彼を友達としか思ってない私は、それは美月ちゃんの思い込みだと信じたかったのだが・・・。

L'échange

1月20日、水曜日。

今日のエシャンジュは、品川でよく使うカフェで行われた。

フィリップは几帳面に、いつも約束の14時ピッタリにやってくる。

先に席に着いていた私を見付けると、「やぁ。」と言いながらコーヒーを持って着席した。

今日は14時から17時まで3時間あるので、先にフランス語、後に日本語という順で1時間半ずつ教え合うことになった。

「最近私、仏検2級の勉強を始めたの。

わからないところがあるから、教えてくれる?」

「あぁ、いいよ。」

フィリップは快く応じてくれた。

彼は日本語もかなりできるので、漢字も読めるし、テキストの日本語の解説を読ませてもたいてい理解できている。

「それだけ日本語ができるのなら、エシャンジュなんて必要ないレベルなんじゃない?」

美月ちゃんの言葉が頭に響く。

「フィリップは、玲子ちゃんに会いたくてエシャンジュを口実にしているだけだと思うよ。」

彼女はそう言ったが、彼の態度からそんな思惑は見て取れなかった・・・・。


15時半になり、今度は日本語の時間に切り替わった。

ここからは雑談となり、フィリップの日本語の会話でおかしい点があれば私が指摘するという流れだった。

言われてみれば、彼の日本語の修正点はそんなにない。

やはり、美月ちゃんの言う通りなのだろうか・・・。

La protestation

終了30分くらい前になったので、私はそろそろ曜日変更の話をしようと思った。

「あの・・・フィリップ。お願いがあるんだけど。」

彼は笑顔で応えた。

「なんだい?」

「私ね、昨日彼氏ができたの。

その人、職場の先輩で私たちは毎週水曜が休みだから、これからはデートに充てたいのね。

だから、エシャンジュの曜日を他の日の夜に変えてほしいのだけど・・・。」

すると、フィリップの顔から笑顔が消えた。

「Oh mon dieu !」

・・・何、フランス語版の「Oh my god!」って、そんなに驚くこと!?

「ごめん・・・。他の曜日だとまずかった?」

私が申し訳なさそうに聞くと、彼は気を取り直してこう言った。

「僕は自分で仕事をしているから、基本的に好きな時に休みは取れるんだけど・・・。

今まで水曜日を固定で休みにしていたから、調子が狂うというか・・・。

それに今までだったら3~4時間取ってたけど、夜だとそんなに時間取れないし。」

「確かに・・・。」

もう、いっそのことフィリップとのエシャンジュをやめようかな。

恋愛感情はないとはいえ、一応異性だし。

「じゃ、もう会ってエシャンジュするのやめようか?

新しい彼氏は日本とフランスのハーフだから、フランス語話せるって言ってたし、彼に教えてもらおうかな。」

すると、フィリップは激しく抗議を始めた。

「ダメだよ。ネイティブの人間じゃないと。

僕はプロの先生じゃないけど、上手く教える自信がある。

レイコは仏検受検の目標だってあるんだし、これからも僕に教わった方がいいよ。」

言われてみれば、類は見た目が日本人だし、今まで日本語でしか話してこなかった。

フィリップほどはフランス語の相手として期待できないかもしれない。

「わかった・・・。」

結局、フィリップの気迫に押され、毎週木曜日の夜にエシャンジュを続けるということで、話はまとまってしまった。

「あ~あ、フィリップが女の人だったら良かったのに。」

私は異性とエシャンジュをしてややこしくなる度に、いつも同じことを思うのだった・・・。

Le rendez-vous

17時にフィリップと別れると、三軒茶屋に移動し、17時半に類と駅で待ち合わせた。

よく考えると、私服姿の類と会うのはこれが初めてだ。

一体、どんな服装で来るんだろう?


「玲子ちゃん、今日も会えて嬉しいよ。」

彼の私服は予想通りチャラかったが、イケメンな顔にはよく似合っていた。

彼は会うなり、私をギュ―ッと抱きしめた。

私服の類からは、いつもとは違う種類だが私好みの香水の香りがした。

「類・・・。私、まだなんか恥ずかしいよ。」

昨夜は付き合い始めた高揚感もあり、渋谷の街をラブラブで歩いていたが、今日の私は仕事モードに戻ってしまっていた。

私服とはいえ、職場の先輩とイチャイチャするのはまだ現実味がない。

そんなことはお構いなく、類は私と会えた喜びを最大限に表現している。

「なんでだよ~。

もう今はプライべートなんだから、何も気兼ねすることはないんだよ。」

そう言うと、一目も気にせずキスをしてきた。

やっぱりフランス人のハーフは愛情表現も日本人離れしているのかな・・・。

そのうち、相手が類だと「まぁいっか」と許してしまう自分がいた。

Carrot Tower

デートの初めは、類のお薦めというキャロットタワーの展望台に昇ることにした。

【Carrot Tower】(キャロットタワー)
世田谷・三軒茶屋のシンボルで、東急田園都市線・世田谷線三軒茶屋駅に直結する高層複合ビル。
名称は公募から選ばれ、建設中の外壁の色がにんじん(carot)色に見えたことからその名が付いた。
タワーは、オフィスフロアーとして銀行関連やIT系企業の本支店が入居している他に、講習会、講演会、ギャラリーとして使える「生活工房」、ホール施設の「世田谷パブリックシアター」「シアタートラム」といった文化施設や、TSUTAYAなどの商業施設が入っている。
さらに、住民票の写し等の発行を行う行政窓口も備わった複合施設となっている。

展望台は26階にあり、私たちは専用のエレベーター前に向かった。

エレベーターを待つ間、私はぽつりと言った。

「私、三軒茶屋には何度か来たことあるけど、このタワーの上に展望台があるのは知らなかったな。」

ここは三茶住民の憩いの場だからね。

周りに高い建物がないから、天気のいい日は富士山まで見えるんだよ。

地元民しか知らない穴場でお薦めの場所なんだ。」

類はちょっと得意そうに説明した。


「やっと二人きりになれたね。」

エレベーターに乗り込むと、類は私を壁に押し付けた。

そして両手首を掴み、濃厚なキスを始めるではないか・・・。

超絶イケメンの類に密室でキスされると、心臓の高鳴りが止まらない。

私はこれから見る眺望より、もっと類とキスをしていたいと思ってしまった・・・。

26階に着く直前、類は唇を離し耳元で囁いた。

「続きはまた後でね。」

あぁ、なんて罪な男なんだ・・・。


展望台のフロアに出てみると思ったより人は少なく、彼の言う通り地元民しかいなさそうな雰囲気だった。

類はぐるりと私を連れて歩き、それぞれの見どころを教えてくれた。

西の方角の窓の前に来ると、彼は世田谷線を指差して言った。

「そこに世田谷線の線路見えるでしょ?

あれに乗れば、京王線の下高井戸まで行けるんだよね。

玲子の住んでる明大前って、下高井戸の隣じゃなかったっけ?」

私の家は明大前が最寄りだが、下高井戸からでも歩いて行ける距離だった。

「そうだよ。下高井戸はうちからでも歩いて行けるよ。」

類はニコニコしながら言った。

「じゃ、世田谷線は、俺らを繋ぐ線路だね。

今度、玲子のうちに行ってみていいかな?」

類が私の家に来る・・・。

さっきのキスを思い出して、私はセクシーな類に抱かれるシーンを想像してしまった。

「も、もちろん。いいよ。」

「うわ~、楽しみだなぁ。」

私の想像などに気付かず、無邪気に喜ぶ類を可愛らしく思った。


日没の時間になると、西の窓の前の椅子に並んで座り、私たちは夕焼けを待った。

「そろそろ始まりそうだね。」

類の言葉を合図に、少しづつ日が落ちて街全体がオレンジ色に染まってゆくのが見える。

「綺麗だね・・・。」

ふと隣を見ると、夕陽に照れされた類の顔が眩しく輝いて見えた。

ここに来たなら景色を眺めてなきゃいけないのに、私はどうしてもその横顔を盗み見てしまう・・・。

私の視線に気付いたのか、類もこちらを見て目が合った。

「何?もしかして玲子ちゃん、俺に見とれてるの?」

こんなことを言っても許される顔なのが、類のすごいところだ。

「うん、見とれてた。」

・・・だって、本当にイケメンなんだもん。

彼は顔をクシャッとさせて笑った。

「もう、可愛い奴だなぁ。」

そういうと私にキスをして、夕焼け鑑賞はそっちのけになってしまったのだった・・・。

Le dîner

類に連れられて、246通りから小道を少し入った和食屋に入った。

看板もない小民家風の造りの建物で、知る人ぞ知る名店といった趣だ。

「昨日はビストロだったから、今夜はあっさりした物がいいかなと思って。」

そう言いながら、類は暖簾をくぐった。

「いらっしゃい、類くん!!」

「よっ、大将!!」

どうやら彼はここの常連のようで、チャラい類がこういった和食屋に足繁く通っているのは意外に思えた。


乾杯をした後、私はすぐにあの話をしなきゃと思った。

「あの、類・・・。

昨日言いそびれたけど、一つ話さなきゃいけないことがあるの。」

「何?そんな深刻な顔して。」

私は一つ深呼吸して言った。

「私、バツイチなんだけど、類は気にしない?

前の夫とはすぐ別れたし、子どもはいないけど。」

類は一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに何でもないようなそぶりを見せた。

「なんだ。そんなこと。

全然気にならないよ。

俺は玲子ちゃんが大好きで、一緒にいられたらそれでいいんだから。

過去は変えられないし、大事なのは今の俺たちでしょ。」

初めの反応がちょっと気になるけど、これはもう心配しなくていいということなんだろうか。

「それは、そうだけど・・・。

私、それが原因でイヴの彼氏にフラれたんだよね。

彼は6歳下で、「結婚すらまだまだ先」っていう若い男の子というのもあったけど。

とにかく類には、初めに言っとかなきゃと思って。」

類は穏やかな顔で言った。

「イヴの彼が他の子を選んだ理由はそれだったんだね。

でもさ、俺は31歳だよ?

そんな若い元カレと一緒にしないでよ。

そりゃあ、玲子ちゃんくらい魅力的な女性なら色々あってもおかしくないでしょ。」

とりあえずこの問題はクリアになったということでいいのかな?

今度は類について聞こうと思った。

「類はどうなの?

それだけイケメンだったら、女なんて履いて捨てるほどいるでしょ?

未だに彼女いないっていうのが信じられないんだけど・・・。」

類は、少し視線を外しながら言った。

「そりゃあ、20代前半くらいまではかなり遊んでたよ。

調子に乗ってたし、求められるまま何股もして、女の子をたくさん泣かせてきた。

でもね・・・ある時気付いたんだ。

複数の女の子と付き合っても空しいってことに。

それよりも、大事な人一人を愛した方が絶対いいって。

そこからは俺、一途になったよ。」

なるほどなぁ。

やっぱりこれだけのイケメンだと、ある程度遊んでおかないと落ち着かないよなぁ。

一応彼の言うことは信じていいのかな?

あと、これも聞いておこう。

「じゃ、彼女が最後にいたのはいつ?」

類は思い出すように言った。

「う~ん、そうだね。1年ぐらい前?」

そんなわけないだろ。

「そんなの、絶対嘘!!

あなたみたいな超絶イケメンが、そんな長いこと独り身なわけがない!!」

類は苦笑した。

「だから、本当にそんなモテないんだって。

疑うんだったら、後でここの大将に聞きなよ。

俺、彼女ができるといつもこの店に連れて行くから。

あ、もちろん玲子ちゃんのことはちゃんと彼女って紹介するからね。」

・・・これ以上疑っても仕方がないので、私は類の言うことを信じることにした。


「大将、昨日から付き合い始めた俺の彼女の玲子ちゃん。綺麗だろ?」

お会計の時、約束通り類は私を彼女として大将に紹介していた。

「お、類くん。長いこと一人だと思ってたら・・・。

こんなイケメンなのに、なんでずっと彼女がいないのか不思議だったんだよ。

良かったね。素敵な彼女ができて。」

大将はいかにも人の良さそうなオヤジさんという感じで、とても嘘を言ってるようには見えない。

とりあえず信じておくか。

「美味しかったです。御馳走様でした。」

私は、愛想良く挨拶をして店を出た。


駅までの帰り道、類は甘えた口調で私に尋ねた。

「正直言うと、このまま玲子ちゃんをうちに連れて帰りたいけど、昨日『明日はうちに誘わない』って約束したし、我慢した方がいいよね?」

本当に素直な人だなぁと、私は微笑ましく思った。

私だって、類とのその先を知りたいと思うけど、昨日付き合い始めたばかりだし今夜はやめておこう。

「私、職場の先輩としての類はいっぱい見てきたけど、プライベートの類はまだ少ししか知らないから。

あと1週間は待ってくれない?

じゃ、来週の火曜の夜、泊まってもいいよ。」

すると、類の目が輝いた。

「本当?楽しみだな~。

俺んちと玲子ちゃんち、どっちがいいかなぁ?」

私は、彼の素行調査もしたかったので、類の家がいいと思った。

「類の家がいい。どんな部屋に住んでいるのか見てみたい。」

類は私に疑われていることも知らずに、素直に「いいよ。」と答えた。


また彼は、今後の職場の過ごし方について私に確認した。

「別に職場恋愛が禁止ってわけじゃないけど、店の人たちには俺たちのこと、気付かれない方がいいよね?

玲子ちゃんは派遣だから、”社員の俺が手を付けた”みたいな目で見られるのもイヤだし。」

それについては、私も同感だ。

「うん、私もそのつもりでいたよ。

とりあえず、今まで通り普通に接するしかないね。」

類は、今日一番の真面目な表情で言った。

「そうそう。仕事は仕事で割り切って、ちゃんとしたいからさ。

玲子ちゃんが理解ある人で良かったよ。」

そうだ・・・。

私は類の優秀な仕事ぶりを見て好きになったんだから。

「とりあえず、職場では”類”って言わないように気を付けます。」

類はいたずらっぽく言った。

「頼むよ、”橘さん”。」

「何それ~!?すごくわざとらしい!!」

私たちは、ふざけ合って笑った。

Chez moi

うちに帰り、お風呂の中で私はこの2日間を反芻していた。

あぁ、まさか職場の先輩である類と付き合うことになるとはなぁ。

先月知り合った時はチャライのが嫌いで対象外だったのに、本当に不思議なものだ。

もちろん、彼と付き合うことに不安要素がないといったら嘘になる。

でも類とは毎日顔を会わせるし、遅かれ早かれこうなることは決まっていたのだ。

とにかく、”イケメン”とか”チャライ”とか外見で判断するのはやめて、彼の言葉を信じよう。

来週には泊まる約束もしちゃったし、ここは肚をくくるしかない。

そういえば、今日の類のキス良かったな・・・。

それを思い出すと、急に来週のお泊まりが楽しみになりドキドキしてきた。


お風呂から上がると、類からメールが届いていた。

玲子ちゃん、2日連続デートできて嬉しかったよ。
毎週火曜の夜と水曜は一緒に過ごそうね。
愛してるよ。

早速、”愛してる”とか言うのチャライな~。

でも、素直に嬉しいと思ってしまう自分がいる。

私も2日間類とデートできて楽しかったよ。
毎週火曜の夜と水曜が楽しみです。
おやすみなさい。

私が「愛している」というのは、もうちょっと先に取っておこう。

だってまだ、私は類のことを少ししか知らないのだから・・・。


この後、火が点いた二人の恋の炎は止まらず、どんどん燃え上がってゆくのであった・・・。


ーフランス恋物語113に続くー

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