やっぱり戻りたいのはあの夏だった

「もし一日だけ戻れるならいつに戻る?」と質問されたことがあった。
周りは「高校生の何気ない一日」とか「大学生の馬鹿騒ぎした夜」とか答えていたけど、私は「去年の夏」一択だった。

彼はもう忘れただろうか。
地元がこちらで、地方の大学から帰省していた彼と初めて会ったのは去年の夏だった。8月の終わりに毎日連絡を取っていた私たちは自然と二人でご飯に行くことになった。

もう子供ではないから、相手が自分に少なくとも好意を寄せてくれているのではないか?なんて何となく分かるし、ありがたいことに彼はその好意を隠さない人だった。

対する私も、そんな彼の様子に安心して、きっと彼にも同じような安心感を与えるくらいの様子だったと思う。
付き合う前の

お互い好きだからただの友達よりは、少し大胆に
でも、まだ恋人になったわけではないから、そこは謙虚に

そんな関係がじれったくて、でも大好きだった。


会話の中に、自然と会うことができるような話題を探したり
何かする時に、少し手が触れてみたり
友達より数センチだけ近い距離で歩いてみたり


きっとそれはどちらかが「好き」だといってしまえばすぐに壊れる関係で、それで良いのかもしれないが、私はその危うさが大好物だった。

多分、その感覚は多くの女性にも共感してもらえるのではないだろうか。
あの危うくて儚い時間は、恋人になってしまうと、もう味わうことのできない、貴重な時間である。

でも何だか、大人になる程、その感覚を感じられる時間はうんと短くなっている気がする。
私たちが

賢くなったのか、
計算高くなったのか、
多くのことを知ってしまったからなのか、

何だか分からないけど、何だか悲しい。

大人がたまに言う「ただ好きってだけの恋愛がしたい」って言葉の意味が分からなかった。「何だそれ、大人ぶって」って思ってた。
でも今は少しだけ分かる。
「ただ純粋に、相手が好きってだけの恋愛がしたい。」 
大人になる程、純粋に好きでいられるなんて難しい。
相手の学歴も年収も何もかも、気にしないで恋愛できたら幸せだけど、きっとその恋愛が幸せじゃない未来も容易に想像できてしまう。今は。

「一億円あったら若さを買いたい」

そう言った人がいた。

何も知らない「若さ」

そんな若さがあるのだといたら、去年の夏の「若さ」を私は一億円で買いたい。あの純粋で、まっすぐで、思い出して心の奥がツンとするあの私を。

戻りたかった去年の夏から、もうすぐ1年が経ってしまう。知らなかった自分を、感情をたくさん知った。でもできれば、知らないでいたかったものばかりだ。

これからも、また悲しみながら、傷つきながら、さまざまなことを知っていくのだろうか。
できればまだ知りたくない。

来年の夏は、今年の夏を思い出してまた 

「去年の夏に戻りたい」

と言っているのだろうか。












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