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ある彫刻家の話

先日、友達の彫刻家のアトリエに行った。
彼は「これが大きい作品の最後かな。なんか気に入らない所もあるんだよ。もう彫刻は辞めろってことかなぁ。」と作業しながら、後ろに居る私に言った。作業中だったから、丸くなった背中と彼が言った言葉が重なって、いつもは感じない彼の年齢を年相応に感じてしまった。
彼はアトリエの移転先を探していた。今いるところは8月で立ち退きが決まっている。
近所にとても良い場所があって、そこに決まっていたんだけど、急にキャンセルされてしまい、それから次の物件が見つからなかった。



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私には前々から考えていることがあった。空き家を借りて何かに活用することだ。
真っ先にこの彫刻家のアトリエ!と思ったのだが、今いるところからの距離、移動がチャリか徒歩、家賃、そして彼の年齢。彼に話す前に自分の中で解決かつかず、なんとなくボンヤリとしか伝えてなかった。




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「お茶でも入れましょか」と彼は言った。彼の入れてくれるお茶は、日本茶でもコーヒーでも本当に美味しい。コーヒーはインスタントなのに不思議だ。舌が覚えてるお茶を大人しくじーっと待つ。ひとくち、口に含む。うん、やっぱり美味しい。「安いお茶だけどね」と彼は言うけど、そんなこと微塵も感じない。

今いるアトリエの大家さんは、彼がアトリエを構える時に「誰か訪ねてきたらお茶を出してあげて欲しい」を条件に敷地内にアトリエを建てることを許可した。大家さんにとっては、人が丁寧に煎れてくてるお茶をゆっくり飲みながら会話をする時間をとても大事にしていたんだろう。

「あのね」と本題に入った。
一通り事情を説明して、彼が口を開くのを待った。
「いや〜」と彼は言う。思わずドキリとする。
「まだ彫刻やれるのかな」と満遍の笑みを浮かべた。84歳にして少年のような笑顔をするのがこの人の特徴だ。その時の彼から感じる光のようなものが、さっきの背中を丸めた老人とは別人だ。それからの彼から発する言葉のトーンや内容までもが光って感じる。不思議だ。



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私は、昔から人の死際に立ち会う事が多い。当然、身内だけだがよくわからないうちに1人にされてしまったり、皆が来る前に逝かれてしまうことが多々ある。これは言っても誰も信じてくれないけど、人が逝く時は、電気が消えるように何かが体から消え去る感じがする。本当に部屋の電気の紐を引っ張って消えるようにだ。なかなか理解してくれる人はいないんだけど、彼はそれと真逆なことが起きた。

友達にこんな話をすると、「人もエネルギーを発してるよ、マイナスとプラスがある。類は友を呼ぶとか、引き寄せるとか、きっとこんなことが作用してるんだと思うよ」と。なるほどな。
去年の11月に彼女との共通の友達が亡くなった。正式には亡くなってた、だ。どこかで「生きる」と言うことを諦めたのかもしれないねと彼女は言った。

そうだな、と思う。いくら自分のイメージを掲げてたとしても環境に左右されるところは多分にあると思う。あの環境の中で、彼は「もういいかぁ」と思ったんじゃないかなぁ、と私も思う。

借りる予定の一軒家はまだ何も決まっていない。彫刻家の彼が1部を借りることになったけど、いろいろあってまた振り出しに戻った。でも、これは私にとって実験でもある。焦らないで、ゆっくりと考えてみたい。


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