不要不急の考え

あの3.11の時、ぼくも含めて周囲の同業者たちが最初に強く感じたのは、「自分たちは無力だ」ということだった。
作家も役者も音楽家も芸人も漫画家もデザイナーもダンサーも……とても全部は挙げられないが、そういった人々。煎じ詰めれば、みんな不要不急の存在なわけで、(そりゃ、ふだんから自覚はしているものの)大きな厄災に直面した時ハッキリと額に「無力」の刻印が押されるのは、やはりこたえた。

だが、しばしの無力感のあと、「でも、自分たちにも何かできることはあるんじゃないか?」と思うのもまた、同業者たちに共通した。
このくらい楽天的(なにか大事なものが欠落しているとも言える)でなければ、長年こういう仕事を続けていられない。この手の反発心がなければ、そもそもこういう仕事に就いてないしね。

では、何ができるのか? 
結局のところそれは「自分たちの本業をするしかない」という、ごく当たり前のことに行きつく。そんなの、最初から答えがわかっているのだ。わかってはいるのだが、そこにたどり着くまでにしばし思考停止と迷いと様子見と、場合によっては間違いもあり、時間がかかるのだった。
そこが人の心のやっかいなところであり、実は必要な過程なのではないかとも思っている。

今回の新型コロナでも、ぼくたちは似た状況に直面している。
初めてではない。これは9年前に一度解いた類似問題だ。答えはわかっている。答えに至るルートもまだ覚えている。だから同業者はみんな、前回よりも少し早く、答えに行きつくだろう。

もちろん、以上はあくまでぼくたち側の話。
不要不急の反対語がなんであるかは知らないけど、仮に必要不可欠であるとして、そういった世の中の方も同じように、前回の類似問題から答えに行きつく。やはり少し時間がかかるだろうが、これもまた、必要な過程なのだと思う。
こうして、両者の答えと時間がピタリと一致する……ならいいのだが、そりゃ多少はズレることだってあるだろうさ。しかたない。

はたして役に立っているのかどうかわからないが、それでも結局、ぼくたちはなにかをする。作家も役者も音楽家も芸人も漫画家もデザイナーもダンサーも……そういった人々みんな。先走るやつもいれば、出遅れるやつもいるだろう。しかしそれでもきっと、なにかをする。してしまう。
不要不急の人間というのは、往生際が悪くできているのだ。

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