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自己紹介。現役高校教員・MtXF(性同一性障害診断有)・鬱病・リストカット歴2年。アマチュア小説書き。

はじめまして。プロフィールとして投稿します。Sakuraといいます。本名をちょっといじったら可愛い響きになったので気に入って使い続けて10年近い気がします。ちなみにアイコンはPicrewっていうサイトの中にある、「レトロ風メイドメーカー」https://picrew.me/image_maker/62745

で作ったアイコンです。悪魔っ娘っていいなぁ、って。

「小説家になろう」でもともと小説を書いてて、Sakuraはそのペンネームでもあります(桜宮沙綾:さくらみやさあや)。

性同一性障害(今は性別不合といいます。その前は性別違和でしたが、一番わかりやすい呼称なので性同一性障害と言い続けます)の診断自体は、実は結婚して子供も3人できて、鬱病を発症してからなんです。

私立高校の教員として、朝7時半ごろ出勤して、夜は9時半ごろか10時頃に帰宅することが多かったです。英語の教員で、大学受験対策の最前線に立ち続けていました。多いときは1日6コマくらい。平常授業5コマ連続、放課後講習1コマから2コマ。週だと20コマ以上。小学校の教員よりはコマ数は少ないけど、同じ教員でも小学校/中学校/高校と、仕事の大変どころが変わるから。高校教員は、大学入試に合格させてなんぼ、の世界。私立だとなおさら。そして英語科だとなおさら。センター試験対策(今年から大学入試共通テスト)は当たり前、GMARCHの対策ができたほうがいいし、国公立大学の個別試験の対策も。だから毎年、膨大な量の大学入試問題を解き続けてた。海外からの留学生何かの受け入れ事業の窓口として仕事をしながら、担任も当然毎年しながらね。

で、心がぶっ壊れて、勤務先の近くの心療内科に駆け込んだところから、人生の大きな転機。

拒食がはじまって、体重が3ヶ月で20キロおちて。教壇にたつのも難しくなって、抗うつ薬の副作用に苦しんで。しんどかった…。

同時に、家人の双極性障害も発症して、もう家の中はズタズタ。そんなゴタゴタの中、ずっと抱えてた、感じてた感覚――つまり、女の子っぽいアイテムとかが好きで、女の子ばっかり絵を描いてて、らんまや「ストップ!ひばりくん」が大好きで、幽☆遊☆白書の蔵馬みたいな美少年キャラ(女の子に間違われる、っていうのがポイントなんだよね)に死ぬほど憧れてたり、幼いころみた「風の谷のナウシカ」のナウシカになりたかったこととか、いろいろ思い出してきて。

そんなことを、家人を入院させて双極性障害が落ち着いて、引っ越しして転職して、新しい心療内科の先生に、診察のたびに「どうして私はこっち側なんだ!!」って泣きついてた。あっち(生まれつきの女性)に行きたかった!って。

いろんな書籍とか本とか読んでも、当時は今ほどジェンダーのことが理解されてなくて、せいぜい「MtF」と「FtM」の両極性くらい。間にある、グラデーションっていう概念はあまり知られていなかった。そんな時、『Xジェンダー』に関する書籍がでて、初めて私っていう存在が、認められた気がした。

そんなこんなで、性同一性障害の診断とうつ病の診断をもらったのが…もう何年前かな。でも、うつ病の診断よりも、性同一性障害の診断をもらえた時の安堵感は、半端なかった。すごかった。本当に、泣けるほど嬉しかった。私が誰なのか、認めてくれた気がした。

そんな時、長男の急性白血病が発覚したの。それからは地獄だった。思い出したくない。毎日、入院してる病室に顔を出した。抗がん剤の副作用で髪が抜けていくのも、それを泣いているのも、ずっとずっとそばで見てた。一緒に泣いた。嘔吐するのも、白血球の数値がゼロになり、急に40度近く熱が出て何日も引かないことも、何度あったことか。先の見えない地獄だった。

その頃は、毎日リストカットしてた。夜、3番目の子が寝付いたあと、隠していたナイフで、血が流れるのを見つめていた。ぷくっと血玉ができて、手首から伝うのを見るのが大好きだった。もうズタズタになって、切るところがなくなると、また順番に、治った傷跡から切り裂いていった。切るのが浅かったら、何度も切り直していた。痛くないと意味がなかったから。

家族にも当たり散らしていた。仕事は、なんとかなっていた。午後は不安定だったけど、なんとか精神を保っていた。だって、終わったら長男の病院に行かなくっちゃいけないもの。でも、病院から家に帰ると、もう駄目だった。子供の世話もしなくちゃいけなかったし、風呂にも入れて宿題もさせて、肌の薬も毎晩塗らないといけなかった。それで、やっと私の時間ができた。――手首を切るための時間が。

幸い、長男の急性白血病は完治した。その後が、きっと保っていた何かが切れてしまったんだと思う。一気に希死念慮が悪化して、死ぬことをずっとかんがえていた。マンション(8階)からベランダの下をずーっと見てたり、橋の欄干から身を乗り出して川を見てたり。主治医から、「死への境界線が低くなってるから、意識して遠ざけてくださいね」って言われた。

でもそれも限界で、2年前の6月頃、大学病院の精神科病棟に入院した。

そこで看護師のみんな、主治医のみなさんに助けてもらって、自分の生きる方向を見いだせた。

今はいろいろと乗り越えて、夫婦で妥協点を見出しながら、私なりの生きやすい方向を見つけてる途中。

とりあえず、職場では性同一性障害のことは隠さないことにした。女装するようにして、ヒールもイヤリングもストッキングもタイツも。そのほうが私も落ち着いて仕事できるし、そんな私を、生徒も同僚も、受け入れてくれてる。

リストカットは、やっとやめられてる。といっても、ついこの間、我慢できなくてズバッと切ってしまった。別の代替方法を見つけたから、そっちを試してるけど。

鬱病も、性自認のことも、よくなったり悪くなったり。波乱万丈な人生だなって、谷しかない人生だなって思うけど、それでも、今日、また1日乗り越えられた。

同じ悩みを持つ人に、少しでも届けばいいな、と思ってこのnoteを続けようと思います。よろしくお願いします。

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