ジャッジをやめる
「ロボットから人間になった僕」のシリーズ、今回は「ジャッジをやめる」という内容をお送りします。
これも、できるようになってきたら本当に楽に生きられるようになった考え方なので、ぜひ皆さんにシェアしたいなって思います!
周りの人をジャッジしない
例えば、駅の階段で誰かが転んだ時に「恥ずかしいな」とバカにしたりとか、仕事で誰かが失敗したときにバカにしたりとか、
他人の行動を見て「あれはよくない」とか「あれは恥ずかしい」とか、ジャッジをするのをやめてみてください。
自分が他人をジャッジしていると、他人も自分をジャッジしていると感じてしまうので、必要以上に周りの目が気になったりしてしまいます。
逆に、周りの目が気になるというとき、周りの人をいろいろジャッジしているかもしれません。
他人をジャッジするのをやめると、他人からのジャッジも気にならなくなってくるので、必要以上に周りの目が気にならなくなり、楽に過ごせるようになります。
これが出来るようになったとき、スコーンと楽な感覚になったのを覚えています。
ジャッジに気づく
とはいえ、じゃあ今からジャッジやめまーす!ってすぐにやめられるものでもなかったりします。
そんな時、まずは自分が他人をジャッジしているということに気づく、という事から始めるとよいです。
僕の場合、「今、ジャッジしているな」と気づくことを繰り返していると、だんだんジャッジすることをやめられたように思います。
かと言って、ジャッジしていることを悪いことだと思って自分を責める必要もないと思っています。ジャッジしている、というジャッジをやめる、というイメージです。
「あ、今ジャッジしてる。えへへ」くらいに思っていればいいのかなと思います。
少しずつ始めていけば、気づいたら大きな変化が起きていたりするのかなと思います。
大丈夫に気づく
ジャッジしない、は自分に対しても有効です。
例えば、僕は察したり気づいたりすることが苦手で、なので人への気遣いが苦手な部分があるんですけど、
そんな自分をダメだと責めたりせずに、「別に大丈夫かな」「気づいたらしよう」くらいの気持ちでのびのび過ごしていたら、だんだん自分なりの気遣いができるようになったり、「まあいいや」と考えられるようになってきました。
他にも、僕は初対面の人と会話をすることが苦手なんですけど、
そんな自分をダメだと責めたりせずに、「まあ大丈夫かな」と思ってのびのびしていたら、逆に話しかけられたりして、楽しい時間を過ごせたこともあります。
(初めましての空間でも、無理に人に話しかけようと気負わず、自然体で過ごすようにしていたのが良かったのかなと思っています)
そんな風に、短所のある自分をジャッジしないことで、大丈夫ということに気づけるような気がします。
ジャッジはあっていい
そんな感じで、ジャッジをやめようというお話をしてきましたが、
ジャッジはあっていい、というお話もしておきたいと思います。
ジャッジしたり周りの目を気にしたりするからこそ、その場にふさわしい行動を取れたり、自分を高めたり改善していこうと思える面もあると思います。
全く他人の目を気にしなくてもいいというわけでもないと思います。
ジャッジする自分がいてもいいと思うのです。僕の中にもジャッジする自分はいます。
ただ、自分が苦しくなってしまうようなジャッジは、やめたほうがいいなと僕は思います。
ナリ心理学から学びました
この「ジャッジをやめる」という考え方は、ナリ心理学というところから学びました。
ナリ心理学というのは、ナリくんという方が提唱している、生きやすくなるためのいろんな考え方です。
気になる方は、「ナリ心理学」で検索してみてください。YouTubeがオススメです。
(宣伝ではありません。笑)
(公式サイトを貼っておきます)
今回は「ジャッジをやめる」という考え方をお伝えしました。
周りの目が必要以上に気にならなくなると、本当に自分がやりたいこと、なりたい姿にフォーカスできると思っています。
この記事が皆さんのお役に立てたら、幸いです。
ナリ心理学から学んだことは、次の記事とその次の記事でも紹介します。
読んでくださり、ありがとうございます!!