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2020年振り返り 長いトンネルを抜けるとそこは「定」

 本当はこんな雑文をまとめている場合ではない2020年の瀬。
毎年、いや常に「バタバタですいません」と言い続けている自分ではあるが、そんな自分史上、この6年間の復興支援員としての時間を振り返って、着任当時の2014年秋冬、そして2020年末の現在、という2つがもっとも多忙を極めていた(進行形で極めている)ように思う。(あいだの5年近く何していたんだ、とは思わないでいただきたいが……)
 以上、ライターとして不完全な文章を公開する言い訳を連ねつつも乱文をしたためるのは、ここ数年、SNSやnoteに年末の所感や目標を残していたことが、後に振り返って有意義だったと感じているからにほかならない。

 2020年は、その2,3年前に突入した「一般道の薄暗いトンネルを走行している感じ」から薄暗いトンネルがさらに暗くなっていく中で走っている感じが強くなり、例年不安定になりがちな秋には(10数年ぶりの)不眠で病院にも行くなど、アクセルを踏んだり緩めたりしてしながら進んでいた。
そこから12月上旬になって一気にトンネルを出て高速道路に乗って(だいぶアクセルを踏み込んで)走り始めた、というような1年だった。(伝わるのか、この比喩……)
そう言いながらも、自分のやるべき仕事は求められる水準かそれ以上のことをやってきたという自負はあり、どんな状況でもそれなりに安定して仕事を回せるようになった、というか「メンタルがぱっとしなくてもがんばってやり切れる自分」は(当然ながら)上司のパワハラでメンタルをやられて仕事にも支障をきたした20年前に比べると成長したと感じる。

 「トンネル」に入った理由は自分なりに複数思い当たるところがあり、ここ数年の年末のnoteなどにもその一端は書いてある。それが今年、さらに混迷を深めたのは、単純に自分の復興支援員としての任期が終わりに近づくなかでの不安もあったと思うし、さらにこのコロナ禍で受託した事業が迷走する中で、常に最悪の事態を頭に置くタイプの自分(新聞記者あるあるかもしれない)はその精神的負荷に耐えるのがギリギリの線だったという今年ならではの事情もあったように思う。

 トンネルを出られた理由は正直、まだ明瞭に説明できないが、アクセルを踏んだり緩めたりする中で、最近にしてはたくさんの本(心理学とか脳とか)を読んだり自分なりに試行錯誤はしたので、端的にその成果だったのであれば良いと思うが、まだ整理できていない。これが巧く説明できるようになると、最近取得したキャリアコンサルタントとしての活動の強度も増すのではないかと思うので、もう少し時間を掛けて考えたい。
備忘録兼ねて書くと、キャリコンの勉強の中で登場し気になっていたブリッジズという発達心理学者の『トランジション 人生の転機を活かすために』という著作を(音声読み上げソフトで)読んだことも、ひとつの手掛かりになったと思う。30-50代くらいでキャリアについて思うところがある方はご一読を勧めたい。

 あらためてこのように書いてみると、トンネル走行の大きな理由はこれからのキャリアへの漠然とした不安、という平凡なものだったのかもしれないと思うし、(どれも正式契約前なので明らかにはできないが)11月後半から12月の短期間のあいだに、2021年春から(個人事業主として)受注する仕事の見込みが立ってきたことと当然無関係ではないだろう。(とはいえ、まだ今年度までの収益を確保するには至っていない、というアピール)
いくつか契約を調整頂いている企業や団体さんとは、先方から「一緒にやってみないか」と声を掛けてもらったものもあるし、自分からこれまでの経験や資格をアピール(世間では営業というのだろう)して合意形成が図れそうな目処が立ってきたものもある。
どちらのケースもこれまでの自分自身の活動をとても高く評価してくださりそれを具体的な形で示して頂けたことが、バンデューラ(キャリコンの勉強で登場)の「自己効力感」というものにつながり、トンネルから高速に乗れた一因でもあるかと思う。そこは謙虚に感謝しつつ、その方々の期待に応える責任を感じている。


同時に、自分の仕事は自分でしか創れないし、誰も頼りにはしない、ということを、何年も前からあたまでは分かっていつつもどこか覚悟できていなかった、そのこと自体が、自分をトンネルから抜けられなくしていたのかもしれないと振り返って思う。
そう考えると、自分でしか創れないと腹を括るとほぼ同時に、自分からのアプローチも出来たし逆に同じくらいの時期に声を掛けていただけたのは、偶然なのか必然なのか……。

この文章は30分で書き終えると決めてまもなく時間になるので、最後にまとめると、2020年を一字で表すと「定」。最後の月になって自分の中でさまざまなものがすとんと腑に落ちたというか覚悟が決まったというか、方向性が定まった、という意味での「定」だ。
それは仕事の目処が立ってきたということだけではなく、(この歳になっていうのも若干恥ずかしいが遅ればせながら)自分にとって譲れない価値観や優先順位が明確になった、ということでもある。必然的に優先順位の上に来ないものもある。ただ、震災があってその当時重要と思ったことや岩手に来てから信頼してきた人たちの位置づけはまったく変わっておらず、そういう意味では、乱視だったところに乱視補正のコンタクトが入ってクリアに見えるようになった、くらいのことかもしれない。

この1ヶ月間はそれが見えてきたのに伴って、さらに不眠傾向はまだ続いていることも相まって、仕事の時間中は(自分でいうのもなんではあるが)これまでにない集中力で仕事を進めているという実感があるが、寝不足によるハイなのかもしれないという不安もあり、新年の2日間は完全にパソコンを離れたいと思う。
そうこうしているあいだに35分が経過。30分あれば1800字の雑文は書けることも確認できた。

2020年の年始に書いた社会展望(過去のnoteに)は完全にハズレ自分の見立てに不安を感じているが、2021年こそ社会はもっとよくなることを願って。
(読み返さずに、コピペして投稿/時間ができたら、小見出しなどは付け直す予定)

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