好きな理由は


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何を隠そうわたしは、
文章を書くことが好きだ。

そのことに気がついたのは小学校2年生の時。
たった一日の、ただの遠足についての作文を、400字詰めの原稿用紙18枚分書いたのだ。
担任が国語の先生だったこともあり、とっても褒められたことをよく覚えている。


今となっては、手書きでようそんなに書いたな自分、と思うが、当時は何故こんなに褒められるのかわからなかった。自分にとっては、ただ作文を書いただけなのだ。ただ遠足が楽しくて、書きたいことが多かったから書いただけなのだ。


今でもそんな風に思う時がある。

わたしはいつも仕事の節目を迎える度に別途やっているブログを更新すると決めているのだが、そのブログのまあ長いこと長いこと。

想いが溢れて止まらないのだ。

あなたのブログ面白いよね、そんなに長く書けてすごいね、マメだね、って言われたことがある。

むしろわたしは、長すぎて最後まで読んでる人誰もいないんじゃないか、途中で飽きてしまっているんじゃないか、と悩んでいたくらいだったのに。

マメとかそんなかっこいいもんではなく、人に向けて何かを伝える仕事をしているくせに、ただ自分が書きたいことを書いているだけで、
自分の自己満足に、読者の方を付き合わせてしまっているという感覚すらある。


でも、書いた文章を褒められるのは、
嬉しかった。



わたしはお喋りだという自覚がある。

ただ、びっくりするくらいお喋りが上手ではない。下手すぎてどうしようもない。


考える前に口から出てしまう性格も相まって、
いつも思うままに喋ってしまう。

学生時代がピークに下手だったが、20代も後半に差し掛かろうとしている今でも、発言したあとに「これ絶対言わなくてよかったな……」と後悔することがよくある。

何年も前から自分の一番嫌いなところだし、直すべき点であることに違いはない。


ただ、その点文章は良い。


自分の思いを文字として起こそうとする時には、多少なりとも考える時間が生まれる。
口で喋るよりはよっぽど色々考えながら言葉にしていると思う。


「喋る」時にはできないことが、
「文字にする」時にはできるのだ。


noteを書き始めたのも、友人の影響も大きいが、文章を書くことを定期的に続ければ、「一旦考えてから言葉にする」ということがより身につきやすくなるのではと思ったからだ。


一緒に喋っていて楽しい人、
一緒に喋るだけでお互いプラスの感情になれるような人が目標だ。

道のりは遠いが、最後に、ここでわたしが好きな韓国のことわざを紹介したい。

시작이 반이다 (始まりが半分だ)


「一度何かを始めたら、それは半分成し遂げたと同じことだ」という意味。

何かを始めるには勇気がいる。
面倒くさいことだって多い。

それを乗り越えて始めたからには、そこまでの自分は認めてあげたい。
そしてこれからの自分を鼓舞したい。


人生まだまだこれからである。


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