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【1989年100日旅】54日目。ヘルシンキ

54日目。ホテルのボーイさんの笑顔に見送られて市街へ。前日、母が苦労して英語を駆使して寝台列車をとったので、19時頃ヘルシンキ中央駅へ。両親と弟は、妹と私とは別室に。3段ベッドの寝台列車がおもしろく、さっさと部屋に引き上げた。しばらくすると廊下でバタバタ音がする。私と同い年くらいの、金髪マレットヘアの男の子5人が弟を捕まえて遊んでいた。いじめられているわけではなさそうなので、放っておいた。

男の子たちはやりたい放題で、部屋を出て車両のトイレに入るとドアをドンドン叩いてくるし、車両を歩くと影に潜んでいてバアッと飛び出てくる。ただ、モスクワの地下鉄で感じた宇宙人を見るような自然ではなく、モスクワ大学の家族寮にいたような単なる子供ギャングなだけだったので、わりとおもしろく感じて、礼儀として驚いて見せたりした。

ソ連と違い、フィンランドは物価がとても高く、「アイスクリームが高すぎて、なかなか買う気にならなかった」と母は後に話していた。父はバブルの恩恵を受けにくい仕事をしていたし、この旅は両親にとってはかなり無理をしたものだっただろうと思う。ちょうど今、私は当時の父の年齢。私に子供が3人いたら同じ旅を…させるのはとても無理だな。将来の暮らしは今より絶対に良くなると、多くの人が信じていた時代の恩恵を受けた。

こんな感じの54日目。旅は残り46日。

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