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『But Not For Me ~ジャズ研 恋物語~ 15』

 新歓シーズンも終わり、部活には8人の新規部員が仲間入りした。その中に、新歓時期の出会った斎藤くんと佐々木さんの姿もあった。部長の菊田に報告すると、「おー、またたくさん入ったな」と遠い目をしている。本当に桜子さんたちの役職人選、間違えてないだろうか。
 そんなある日のセッションのことだった。
 E年D年が中心のコンボを、C年が見学するのは相変わらずだったが、既に斎藤くんは慣れないながらも果敢にセッションに参加していた。ミスは多いけど、それでも上手くなるために恥も外聞も捨ててくるあたりは、末恐ろしくもある。C年だった頃の自分を思い出してむず痒い気持ちになった。
そんな時、スタジオのドアが開いた。
 誰かと思えば…桜子さんだった。既にトランペットは組み立て済みで、リクルートスーツのまま、がしがしと我が物顔でスタジオに乗り込んでくる。
 演奏していた「But Not For Me」をふんふんと聞きながら、パイプ椅子に腰かける。一応演奏のリードをしていた俺が、桜子さんのところまで足を運んで、小さく声を掛ける。
 「やりますか?」「いいの?」「いいんじゃないですか」ソロはちょうど斎藤くんだ。苦戦しながらも何とか2コーラス。斎藤くんが俺を見た。「じゃ、桜子さんよろしくです」
 すっと立ち上がると、桜子さんが気持ち良くソロに移りながらステージの中央へ。D年たちには緊張が走ったようだ。
 歌うように一音一音を大事にするソロに、セッションの緊張感が高まる。そうそう、桜子さんはこうでなくっちゃ。端正な横顔を眺めていた俺は気づかなかった。もうひとりその横顔をじっと見つめていた彼のことを。
 俺と桜子さんでデュオの後テーマが終わり、桜子さんが息を吸った。
 「新入生のみなさん、初めまして。F年の藤川桜子です! 以後よろしく!」
 新入生たちが、そして斎藤くんが固まったのを、俺はステージから見ていた。

 セッションが終わり、スタジオの片づけをしている時だった。
 「藤川先輩、はじめまして。C年トランペットの斎藤といいます」ふいに声をかけられた桜子さんが「こちらこそはじめまして、斎藤くん」とニッコリ笑顔で返す。あれは営業用の笑顔だと俺にはすぐバレる。何やら話し込みはじめた彼らをおいて、俺はスタジオの片づけを他の子たちと一緒にやっていた。
 「はーい、希望者で呑み行きますよ。いつものとこですからね」
 桜子さんに声を掛けると、あいよ、と相槌が返ってきた。まだ斎藤くんと話し込んでいるようだから、遅れてくるつもりだろう。
 「どうしたの篠崎?」と玲奈。
 「や、桜子さんは遅れてくるみたい」「あっそう」とそっけない返事が返ってくる。
 俺はいつもの日向屋に電話して、席を確保する。
 これも副部長の仕事なのだろうか。新入生が入ってきたら少しは変わると思った菊田の魂の抜け方は変わらなかった。大丈夫か、MJG。

 日向屋の座敷には、相変わらずの光景が広がった。思いの外、C年の子たちが混じっている。俺は座敷の隅に座ると、いつものタバコを吸いながらそのやり取りを眺めていた。いつから、こんなに引いた目線で呑み会に参加するようになったのだろう。それこそ昔は先輩を捕まえては練習のヒントをもらうのに躍起になっていたというのに。
 副部長という立場もそうだが、後輩たちの活動に対してたいして仕事をしない菊田の穴も埋めているようなものだ。しかし、その菊田は後輩からかなり好かれているようだ。その謎人望がどこから来るのかは知らないが、少しは部の仕事をしてくれと願うばかりだ。
 「篠崎先輩、隣いいですか?」
 ふいに声を掛けられた。C年の佐々木さんだ。相変わらず良家のお嬢なんだろうなぁ、という清楚な出で立ちだ。彼女がこの部活を選んでくれたのは、正直うれしい。「どうぞどうぞ。大谷お前どけ」「ひでぇな先輩、新歓で連れてきたの俺なのに…」と恨み言を言う彼を蹴飛ばして、席を用意した。
 「先輩、今日もカッコ良かったです。わたしも早くあんな風に楽しく吹きたいです」軽く乾杯して、彼女が言う。ふふっと笑う彼女は、素直にかわいい。
 「じゃあ、とにかく練習だね。吹奏楽とはだいぶ違うでしょ」
 「はい、求められるスキルが全然違うというか、そもそも譜面がないですし」
 「確かにね~。”誰かの作った音楽”じゃなくて、”自分の作る音楽”だからね」俺はそんな事を言いながら、レモンサワーを軽く傾けた。
 「先輩、わたし楽器を買おうと思ってるんです。高校の時は学校の備品でしたし、今も部活のレンタル楽器で。ここらでいっちょ覚悟、決めようかなって」と神妙な面持ちの佐々木さんに俺は声を掛けた。
 「いいと思う、その選択。俺はサックス初心者で入部して、しばらくレンタル使ってたけど、どうしても自分の楽器が欲しくなってさ。親の脛をかじりまくってたよ」苦笑する俺に、佐々木さんが驚いた目を向ける。
 「篠崎さん、大学から楽器やってるんですか!? それであの腕前ですか!」
 「うん、大学から。だから、吹奏楽部やオケのことは何も知らないんだ。それにほら、俺…いまだにロクに譜面読めないし」ここは恥ずべき部分なのだが、しょうがない。そういう星の元に生まれたもんだと思って諦めかけている。
 「センスの塊みたいなひとですね、先輩」
 「そうかな?」と俺。たまには桜子さん以外から褒められるのも、悪くない。
 佐々木さんとは話が合い、アルトサックスの購入に際してのアドバイザーとして、同行することにした。かつての遠山さんとの御茶ノ水巡りが思い出される。
 「俺も自分の楽器買うときに、F年の遠山先輩にあれこれ付き合ってもらったんだ。そういうのは部活の伝統みたいなもんでさ。まだ先の話だけど、佐々木さんが後輩持ったら手伝ってあげてね?」
 「はい、頑張ります!」佐々木さんの素直な返事に、俺は微笑んだ。
 そんな時に、座敷に「やあやあ」と馴れ馴れしい声が響く。桜子さん、と斎藤くんだ。
 「優斗と佐々木さん、楽しく呑んでおるかね? 混~ぜ~て」
 この人は本当にブレないなぁ…と。いい具合に酔っぱらっている。
 だがこの時の俺にはまだ分からなかった。俺と桜子さんを遠ざけようとするリスクが、すぐそこまで迫っていることに。

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