11/6 今日の日本史用語(15個)

通航一覧:江戸幕府が幕末に編纂した江戸時代の外交史資料。1566~1825年の外国との交渉に関する資料が編纂され、1853年に完成。続編である『通航一覧続輯』は1856年頃の完成。

文芸戦線:1924年『種蒔く人』廃刊に伴い葉山嘉樹が創刊。1925年に設立された日本プロレタリア文芸連盟の活動の中心雑誌。のちに社会民主主義派の機関誌となり、1931年に廃刊。

宗像大社:福岡県宗像市沖ノ島に沖津宮、同市大島に中津宮、同市田島に辺津宮が鎮座。この地域の海人を支配した宗像氏の祖神を祀ったとされるが、朝鮮半島との交通の要所にあり、早くから大和王権の祭祀に組込まれた。4世紀から9世紀にわたる奉納品や司祭遺物が出土し、「海の正倉院」とも呼ばれる。

藤原京木簡:藤原京跡から出土し、軍評論争決着の決め手となった木簡群。平城京木簡とあわせ、律令制の官僚制・財政などの実態も明らかにした。

女人高野:奈良県宇陀市にある室生寺の別称。室生寺は780年に興福寺の賢璟が設立。雨の神・竜穴神の鎮座する室生山の神宮寺で真言宗の寺。山岳寺院の自由な配置を示している。女性の参拝が自由であったことからこのように呼ばれた。

日本生産性本部:生産性向上運動を推進する中心機関。1955年、財界諸団体が政府の援助を受けて設立。労使協調・失業防止・成果の公正配分という生産性3原則を掲げる。

日本美術報国会:1943年に設立。大政翼賛会文化部・情報局・文部省の指導により設立。会長は横山大観。

大正新時代の天祐:第一次世界大戦勃発を聞いた元老井上馨の言葉。第一次世界大戦により日本の貿易輸出が伸びて、日露戦争以来の経済不況が終わるとともに、対外的には中国に進出するチャンスであるとの意味を持つ。

アルバニアの対ソ断交:1961年、アルバニアで長期独裁権力を握る労働党第一書記のホジャが行った外交。中ソ対立が表面化し、中国に接近したアルバニアはソ連と断交。米中接近の後、1976年に中国がアルバニアへの援助停止を発表すると、国際的孤立を深めた。

汗血馬:大宛に産する良馬。1日に千里を走り、ひとたび走れば血の汗を流すと言われた。武帝は匈奴との戦いにおいて、良馬の必要性を痛感していた。

積極財政:積極的に財政支出を増やそうとする財政のこと。減税を行って消費や設備投資を刺激したり、国債の発行によって公共事業を増加させたりして、景気回復を狙う政策のこと。

国籍条項:国家公務員法や地方公務員法に規定はないが、その運用で、人事院規則や人事委員会規則で日本国籍を持たない者は公務員として雇用しないと規定している内容。現在は、公権力の行使などを除き、外国籍の人の雇用を少しずつ広げている。

藤原(九条)頼嗣:1239~1256.鎌倉幕府第5代将軍(在位1244~1251)。1251年、幕府への謀反が発覚した際、父で全将軍の頼経が関係していたことから、執権北条時頼により将軍の地位を追われた。

礫群(集石):後期旧石器時代の遺構の一首で、狭い範囲にこぶし大の礫が十数個~数十個集まったもの。石焼料理に使用されたと推測される。関東・東北地方に多い。

三島倭寇:日本国内が鎌倉末~南北朝の動乱期を迎えていた頃、壱岐・対馬・肥前松浦の土豪・商人・漁民を中心に、一部高麗の民も加わり活動した武装集団。前期倭寇の別称。船に「八幡大菩薩」の幟を立てていたことから「八幡船」とも呼ばれた。足利義満の九州鎮圧・日明貿易開始とともに衰退。

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