2/16 今日の日本史用語(15個)

北庄:1573年の朝倉氏滅亡後、柴田勝家がこの地に入り北陸を経営した。勝家は1583年の賤ケ岳の戦いで豊臣秀吉に敗れ、この地で自殺した。

安永田遺跡:佐賀県にある弥生時代の遺跡。かつては銅鐸は近畿地方に固有のものとされており、九州は銅矛分布圏とされていたが、銅鐸の石製鋳型が出土した。

アイヌ新法:アイヌ民族の自立と人権保護のために求められた法律。1997年アイヌ文化振興法が成立し、北海道旧土人保護法は廃止された。

37か年賦皆済仕法:村田清風の行った長州藩の財政再建策。藩債銀85,000貫(約140万両)を37年賦で返済するというもの。

段楊爾:五経博士の1人。記紀によると6世紀初め、継体天皇の時代に百済から来日。易経・詩経・書経・春秋・礼記の五経を講じ儒教を伝えたとされる。

女工節:明治~大正期、製糸女工の歌。「男軍人女は女工 糸ひくのも国のため」など、富国強兵意識が表明されている。「工場は地獄よ主任が鬼で」の「女工小歌」もある。

立川文庫:明治末期から大正にかけて広く愛読された小型の文庫。大阪の立川文明堂から発行。著者は講談師玉田玉秀斎。『一休禅師』『水戸黄門』『大久保彦左衛門』などを刊行し、忍術使い『猿飛佐助』『真田十勇士』などを創造し、人気を博した。

婿入婚:平安後期から公家社会で一般化した結婚形態。男性が女性の家に迎えられて夫婦同居。招婿婚ともいう。庶民層にも広まり室町時代まで続く。

多角主義:関税や非関税障壁の引き下げ交渉を、2国間ではなく、多国間で行うこと。GATTの原則であり、WTOにも引き継がれている。

外交三原則:1957年、日本政府が発表した日本外交の原則。国連中心主義、自由主義諸国との協調とアジアの一員としての立場を堅持する3項目を指す。

モラヴィア王国:9世紀、チェコ東部を中心に西スラブ系の人々が建てた国。フランク王国に対抗してビザンツ帝国からギリシャ正教の導入を図ったが、10世紀初頭にマジャール人に滅ぼされた。

モンゴル遠征:1410~1427。永楽帝の5度にわたるモンゴルこうっ減への大規模な遠征。漢人皇帝としてはただ一人、みずからゴビ砂漠をこえて親征し、モンゴル(韃靼)やオイラトを攻撃した。

三上卓:1905~1971。1932年、海軍少壮士官、陸軍士官候補生、愛郷塾生とともに五・一五事件で首相官邸を襲撃した海軍軍人。

太政大臣禅師:藤原仲麻呂敗死後の765年、道鏡が任じられ、仏教政治を行った。翌766年には法王となった。

興福寺奏状:1205年、法相宗の僧貞慶(解脱)が起草。法然の専修念仏を批判し、法然配流の契機をつくった。

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