さくみち

作文へのあこがれをこじらせている

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最近の記事

どう生きるか って

君たちはどう生きるか を観ました。 これは映画の感想ではありません。厳密には。 「映画のタイトルはとある小説のタイトルで、内容には関係ない」とは公開前から言われていたと思うので、感じたことを少し記録しておきます。 内容の感想はネタバレが気にならなくなった頃に口に出せたらいいかな。 鑑賞後に何度も反芻していたら、タイトルが気になってきた。 どう生きるか って。 めちゃめちゃ重いこと聞いてくるやん って。 そう思うのは思い通りに生きられていないからなのかな とか、

    • よけいなことをする

      明けました。 投稿の間隔が空きすぎていて、操作を忘れています。別にええけど。 今年の抱負は「よけいなことをする」にした 余計なことって聞くとマイナスイメージやけども。 加齢とともに慎重になってる自覚があるので(怠惰ともいう)、もっと軽卒にいろいろやっていきたいなと。 本当に余計だったかどうかは死ぬまで分からないし、やらない後悔に苛まれるよりいいよね。 どうせそんなに危ない橋を渡る性格じゃないので、尻を叩くくらいがちょうど良いんです。たぶん。 去年は「自分を(上手に

      • 投票に行った日の情景

        朝 いつも通り6時頃目覚める。 ベッドの中でまどろみながらスマホをいじる。 あっという間に7時過ぎる。これもいつも通り。 わんこたちにご飯をあげる。 最近はドライフードをふやかす水を多めにしてる。 油断すると便秘になってしまうから。 わたしたちの朝食は目玉焼き。 テフロンなので本当は不要だけど、油をひいて白身を焦がすのが好き。 香ばしさと歯ごたえが追加されて、好き。 いつもはヨーグルトを添えるけど、今日はいただきもののゼリー。 暖さんのオレンジゼリーには大きめの果実が入

        • 赦せないとき

          他人に期待をしてはいけない たびたび目にする言葉だが、そんなこと可能なんだろうか。 「期待」と「信用」は同義だと思うし、身近な相手ほど信用は大きい。 何かあったときに赦せる心を持てるかどうか、ということになるとしても、他人を自分と同等に扱うなんて現実的ではない。 たとえ相手の地獄を想像してみたとしても。 「他人に期待をしてはいけない」なんて、何かあった時に肩を落としている人へ向けた後出しじゃんけんでしかない。 いざという時に赦す心を持てたかどうか。 それがこれからも付

        どう生きるか って

          赦したいとき

          わたしにはわたしの地獄があり あなたにはあなたの地獄がある 少し前に目にした文章だが、とても名言だと思う。 この1ヶ月くらいで5回以上はこの言葉に救われている。 相手のことを全て許すとまではいかないが、振り上げた拳を一旦おろすことはできる。 辿ると、数年前に元TBSのアナウンサーさんが発言したのが最初のようだ。 きっといろいろなものを抱えて生きていらっしゃるのだろう。 想像力と共感力が肝要なのだと切に思う。 今日の写真:海のあぶく 今日の作文の振り返り:せっかくの

          赦したいとき

          文章力を上達させたいんじゃなかったのか

          はい、させたいとは思っています。 三ヶ月坊主と自称しているのだが、見事な三日坊主になってしまっていた。 綴るまでに壁がある理由をまとめてみよう。 1, 組み立てるのに時間がかかる 下手くそなんだからしょうがない。 絵と同じで、頭の中で思っただけではうまくならないんだから、時間がかかろうがやるしかない。 つまり作文にかける時間がとれないということか? 時間があったら他のことをしてしまうのではないか。 そもそもwantの強さが弱いのだ。 2, 伝えたいことがまとまらな

          文章力を上達させたいんじゃなかったのか

          鳩羽色の夜明け

          薄く青紫がかった灰色だった。鳩色の夜明けだな、と思った。 調べたら『鳩羽色』という呼び方があるそうだ。 そんな美しい色の朝、父が亡くなった。 涙は出ない。父とわたしの関係は乾いていた。 最後に父親として慕ったのはいくつの頃だったか。昔を思い出しても感じるのは郷愁だけだ。 余命が添えられた病名を聞いた時も、喪服の準備を告げられた時も、最初に浮かんだのは『めんどくさいな』だった。 お互いが歩み寄らなかった結果であって、何度やり直しても関係は潤わないだろうと思う。 ただ、父が亡

          鳩羽色の夜明け

          器用貧乏という言い訳

          前回じぶんは器用貧乏だと書いたが、もちろん誰かに呼ばれたわけではない。いつの頃からか自称するようになった。 しかし出来そうにないことには手を出さないのだから、だいたい出来てることになっているだけなのだ。器用貧乏を名乗り、突出できない言い訳にしている。 自己弁護がうまくなるとストレスを貯めにくくなるけれど、逆に自分の首を絞めているのではないかとも思う。やらない出来ない理由を探すより、逆を閃いた方が豊かになるはずなのに。 逃げ道まで器用に見付けてしまう、やっかいなタイプの器

          器用貧乏という言い訳

          文を綴るということ

          器用貧乏なのでおおよその事は出来る人生だったが、作文には手を出したことが無い。 ネットが普及し始めてから手紙は書かなくなったし、短文LINEに慣れると電子メールも開かなくなった。 ・語彙力は欲しい。(とても) ・頭の回転率も落としたくない。(むしろ上げたい) ・文章を考えるという事は、たいへんに脳を使う気がする。 そんなわけで、一生に一度くらい作文に挑戦してみても良いのではないかしらと思い、きっかけを探す毎日だった。そして今日が何の記念日というわけでもないのだけれど

          文を綴るということ