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短編小説

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【短編小説】マダム

【短編小説】マダム

時給千円、九時から十八時まで、
パチンコ台を組み立てるアルバイト。

正しくゆっくり動く、とても長いベルトコンベアに流される透明色の大きな機械のような物を、正しくゆっくりと作り上げていく仕事。
一人ひとり役割は違って、アース線をフックに引っ掛ける人、穴にネジを入れる人、天井から吊るされた機械でネジを締める人、カゴから部品を一つ取り出して機械にはめ込む人、等がいた。多分四十人ほど。
各々のそれに徹す

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【短編小説】The Angle’s Apple

【短編小説】The Angle’s Apple

ママと、幼稚園と、真っ赤な林檎。
それがハルの好きなもので、ハルを取り巻く世界の全てだった。

ハルは精神科の勤務医である猪俣晴(イノマタ ハル)から取って名付けられた。ハルは毎日幼稚園から帰って来ると、自ら制服を器用に脱いで部屋着に着替える。柔らかい綿素材で作られたピンク色のセットアップに、母親がうさぎのアップリケを付けた。母親が買ってきた安い衣料販店の服は、すぐにハルのお気に入りとなった。着替

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【短編小説】Cats and Dogs

【短編小説】Cats and Dogs

猫と犬が降る、というホストマザーの発した意味不明な言葉に思わず「猫と犬が降る…」とおうむ返しをした。2年前、ホームステイをしていたアメリカでのことだった。あの日見た大雨を今でも時々思い出す。日本語で言うところの、バケツをひっくり返したような大雨を意味するらしい。───寧ろバスタブをひっくり返しても足りないと思ったが。
とにかく、あの日はそんな大雨だった。

夜、ホストマザーはスーパーマーケットまで

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【短編小説】お姫様の鏡

【短編小説】お姫様の鏡

ガラスの器に移したヨーグルトに、砂糖をスプーン山盛り二杯分も加えてしまってから手を止めた。

「ヨーグルトにこのくらいたっぷり砂糖を加えるだろ」

「で、溶けるまでひたすら混ぜる」

久しく聞いていない声が蘇る。

目の前にマーマレードの瓶を置いたにも関わらず、あたしが器に入れたのは大量の砂糖である。
いつも、晴人のヨーグルトを作ってから自分の方にマーマレードを加えていた。

だからだ。もう一人分

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【短編小説】バルコニーも付けてね

【短編小説】バルコニーも付けてね

「好いた男から愛されなくなったら、二人で家でも建てて仲良く死んでく?」

あはは、とマリーは笑った。マリーは本当は鞠恵(まりえ)というのだけれど、いつもMARIEというクッキーを食べているから、あたしは彼女をマリーと呼ぶ。

「建てるならいっそ庭付きね」

話に乗ってくれたマリーに、”そう、バルコニーも付けてね”と、あたしはそう言いたかった。バルコニーさえあればガーデニングやらバーベキューやらプー

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【短編小説】隣人

【短編小説】隣人

「突然の来客は迷惑ね。」

 私が学校帰りに友達を連れてきた日の夜に、母は決まってそう言った。それに、と一言嫌味を付け加えるのもお決まりだった。

「それに、あの子なかなか帰ろうとしないじゃない。」

「それに、食べこぼしが多いわ、片づけるのは私なんだから。」

「それに、靴も揃えなかったわね。」

 小さい頃の私は友達が多い方ではなかった。自分の家に招いた友達の数なんてたかが知れてい

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【短編小説】オールドファッション

【短編小説】オールドファッション

静かに眠る彼の二の腕が冷え切っていたので、私はそっと毛布をかけた。寒いと感じたら、彼が無意識のうちに毛布の中に潜っていくことを私は知っている。それでも私はそうせずにはいられない。

こういう些細な衝動は愛からくるのだろうか。だとしたら、愛は押しつけがましいものだ。

目が覚めた時には彼はもう起きていて、ケータイを見ながらコーヒーを飲んでいた。7時15分。アラームが鳴ったのは15分も前のことだったら

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【短編小説】温かいガトー

【短編小説】温かいガトー

なんか、食べたくない?

と、ミオが唐突に言うものだから、私はほぼ反射的に良いね、と答えた。隣に横たわるミオ越しに見るカーテンから、僅かに漏れる光が眩しい。良いね、と勝手に答えた起きたての脳みそで考える。

あたたかいガトー

翠(みどり)が一番に思い浮かべたのはガトーショコラでもシェル型で焼かれたマドレーヌでもなく、ダックワーズだった。 大学でフランス語を専攻していたミオとの日常会話には聞

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【短編小説】ぬるいプリン

【短編小説】ぬるいプリン

落とした気分を拾ってもらって、冷めた身体を温めてもらって、私はどんどん彼にのめり込んでゆく。
この遣る瀬無い感覚にすら、恋は私を酔わせてゆく。

エレベーターの中は、いつも無言だ。

さっきコンビニで買ったプリンが入った袋が、微かに揺れている。その音が耳に障るくらいの静けさ。

だけど手を繋いでいるのだから、間を持たせる言葉は必要ないのだ。

部屋に入ると彼は、いつも通り先にお風呂を譲ってくれ

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【短編小説】冷たい人形

【短編小説】冷たい人形

「お願い、ドアは閉めて」

彼女がこれを言うのは多分100回目だし、僕がほんの数センチだけ残して寝室のドアを閉めるのも多分100回目だ。怖がりな彼女は隙間があると落ち着かないのだと言う。理由は誰かが簡単に入って来れそう、というものだ。実際寝室のドアに鍵はついていないのだから、少しくらい開いていても 誰 か が入って来るとしても大した違いはないと僕は思う。けれどもあの数センチを埋めるだけで彼女が安心

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【創作小説】小部屋 (透編)

【創作小説】小部屋 (透編)

昔行きつけだったバー『フラニー』にて詩史と企てたパリ旅行を、透が一人で決行したのは1年程前のことである。そこで偶然訪れた個展で出会ったのが、画家である深雪だ。

「絵なんてどこでも描けるわ」

パリには飽きてきたところだったの、と深雪はさぞ当たり前であるかのように、透の住む東京の部屋へ引っ越してきた。何でも、別れた恋人に会いに行く為に訪れたパリを気に入り、そのまま長々とパリ暮らしを続けていただけの

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