温泉頭(hot spring head)

さて、ノートをこの2021年元旦から始めたわけですが、書くと宣言して、もう10日もたってしまって、正直まだ筆が進まない。note慣れしてない。ぶっちゃけnoteって、読むのに100円、とか設定できるので、頑張って書いてみんな読んでくれたら、小遣い稼ぎ出来て、温泉代になるなあ、と思ってたんですが、なんか、まだ、お金を取れるほど面白いことが書ける気が、全然、してないぃ。まあ、めげずに、取り合えず、書いていきますわ。ああ。

で、なぜnoteを始めたのか。それは、一人のアーチストである「サワサキヨシヒロ」という者、が何を考え、何を思って、そのアーチスト活動の原動力としているのか、自ら客観的に見つめて直して、整理したい、と思ったからなんです。

曲がりなりにも、もう30年近く、音楽作って、文章も書いてきた。温泉映像も撮ってDVDも作ったりして、なんでそんなに制作してきたのか。ぶっちゃけ話を言えば、プロでミュージシャンやってきてますので、制作すると儲けになる、ということは大きいんですが、そんなに儲かる音楽ばっかり作ってるわけでもないわけで。僕は何故そんなに、クリエイションしたいのか。

実は、今、改めて振り返ってみると、自分の中でこれは重要な作品だったなあ、と位置づけられるものは、突然、空から降ってきたんです。自分が作ってるということよりも、自分がフィルターとなって、その感覚を紡いだ、という感じなんですよ。

ベルギーのAPOLLOから最初にリリースした「Slumber/Space Race」の2曲も、まさにある時、降りてきた。高円寺の、まさに高円寺というお寺の真裏のマンションの1室で、シンセを弄ってて、突然、「わああ、ええ感じぃぃ~、あああああ~!」と舞い降りてきたイメージを、自分の中からこぼさない内に、数時間、何度も何度も録音して、100%とまではいかないけど、一応満足、「よっしゃぁぁ!決まったぁ!」って納得できたものを発表してた、という感じなんです。で、そのイメージや感覚の素晴らしさには、ものすごい自信があった。今でもそうなんです、自分の作ったものじゃないので。自分を通して、何かが僕に作らせたものなので。多分そういうことを、神様、とかって言うんでしょうね。

と、こんなこと書くと、スピリチュアルで云々で胡散臭い、とみなさん思うのでしょうけど、まあ胡散臭いもんですアーチストってのは。ご贔屓のアーチストのファンクラブなんてものは、ちょっとした新興宗教の信者みたいなもんですからね。僕も頑張って信者を増やしたいなあと思います。

で、話は戻りますが、音楽家が音楽作るのって、そういうふうに降りてくるもんだと思うんです。作った音楽をどこに向けてるか、というところで変わってくるのかもしれませんけどね。今こういうの流行ってるんで、そこに合わせれば儲かる、というところに意識を向けて、流行り音楽を頭良く計算して作る、とかの場合でも、そのレベル(高い低いのレベルを言ってるんじゃないですよ)というか波長、に合わせて、「おお、きたぁ、これで行こう!」って感じで降りてくるもんだと思うんです。

で、また追々書いていきますが、降りてきた、とか、何か飛んできた、とか、まあいわゆる不思議な事とか感覚、時々あったんですが、それはまたいつか書くので置いといて、温泉。これがいつからか、よくわかんないんです。いつの間にやら、温泉温泉温泉温泉、と僕は言うようになって来たのか。温泉が、いつ、僕に、降りてきたのか。

昔から温泉にはよく行ってたんです。で、90年代、僕は深夜のクラブでDJ三昧の生活で、生活は完全に昼夜逆。裏原宿に住んで、自分がDJしない日でも、誰なと友達や知り合いが都内のどこかでプレイしてるので、深夜にフラっと遊びに行ったり。あまり飲めないのにテキーラショットなんか飲んだりして、女の子ともウハウハで、今から思うと、まあなんちゅう享楽の極みだったことかなあと。

しかしながら、そんな楽しい生活の中、ふと、都会バビロンから逃げ出したくなる時があって、「よーし、今から車で伊豆の温泉行こう!」てことで、夜中3時ごろにみんな連れだって車飛ばして、伊豆北川温泉の黒根岩風呂とか何度も行ったものでした。その頃って多少お酒飲んでても、車乗ってたんですよねえ~。今では考えられないですよねほんと。

で、ミレニアムが過ぎて、2000年初め頃に、車を持ちたくなったんです。やっぱり裏原宿では駐車場はバカ高いので、酒か車か、選んだ結果、多摩川を越えた川崎に住んで、駐車場の安いところに引っ越ししたんです。これが大きいですよねやっぱり。

もともと某自動車会社に勤めてたし、学生時代から車野郎だったんですね僕は。それと、10年ぐらい都会生活で享楽したので、次は何が楽しいのか、と考えた時に、海外か地方、かなと。ヨーロッパは何度も行ってて、ミュンヘンに友達もいるので、1度行くと1か月ぐらい居座ってたので、ミュンヘンに住むのもいいかなあ、とか思ったこともあるんですが、現地友達達には「時々来るのがやっぱりいいよぉ~。こっちに住んだら住んだでほんと大変よ。京都いいじゃん。京都に住みなよぉ~」と言われてましたね。で、いったん多摩川を渡って、車生活、始まりましたね。で、車であっちこっち行脚というわけです。都会に厭きたってことではなく、さらに何か面白いことが車で地方行脚であるんじゃないか、と思い始めた、そんなミレニアム以降、だったのかなあと。

で、温泉より、最初は、実はほんとのことを言うと、神仏巡り、だったんですよ。この辺のことは、また追々書いていきますが、日本の根幹というものを、自分なりに追い求める行脚、なんです。これは、密かに、というか、facebookとかでは、時々書いてるんですが、今でも自分なりにフィールドワーク的に行脚していて、で、時々、啓示がやってくるんです。まあ啓示と言っても、自分の思い込みだけなんかもしれませんが、「そうですよ、間違ってないですよ」って来るんです。すいません、またスピ系胡散臭話になってきましたが。

で、そんな寺社仏閣巡りをしてると、大体、湧き水の冷泉、や温泉が存在するわけです。病を治す温泉が湧いてて、神社が昔から祀ってあったとか、偉い坊さんがここ掘りなさい、って言ったので掘ったら温泉湧いてきて、温泉街が出来て温泉寺建てたとか。大体寺社仏閣とセットのところ多いですからね温泉って。

後に自分の中で分かってくるんですが、とある湧水的なものをつかさどる、神に導かれたのかなあと。で、湧水。温泉、と。

水っていろいろあるわけで、よく「引っ越して水が変わったんで、ちょっとお肌に吹き出物が出ちゃった」って話もあって、場所場所によって微妙な成分も違うし、体の60%は水、ですんで、ものすごく重要なわけです。それを享受する、ということはものすごく興味深いし。というか、単に、気持ちいいのが好きなだけなのかも。温泉、掛値無しに気持ちいいですからね。快楽主義者なだけですよ。気持いい気持ちいい、で生きていきたいだけのバカ。で、どんどんと、温泉沼へと。ずぶずぶずぶうぅぅぅ。

で、サワサキヨシヒロの頭は、温泉頭(hot spring head)、となっていくわけです。温泉バカ。

で、温泉音楽。音泉温楽、自然湧出至上主義、Naturally Gushing。

その辺のことを、この「Naturally Gushing宣言」に小難しくカッコつけた文章で書いてあります。2008年、立ち上げた時に、書きまして。

添付しておきます。

というわけで、今日はこの辺で。おやすみなさい。

Naturally Gushing 宣言

---すべての人類は、自然に湧き出る温泉に回帰する-----
あえてここまで言い切ってしまおう。
この15年程の間、私はDJとして、都会的なクラブなどの享楽的な場で活動してきたわけだが、その活動意識の根源的なものの1つとして、自分の中で大きく存在するのものがある。それは、「クリエイティビティー(創造性)」だ。
元来、エレクトリックミュージックを基本とした音象作家である私は、刹那的であり享楽的であるがゆえに進歩的であった、クラブという場所に身を置き、そのインスピレーションで持って表現し、創作してきたわけだが、その創造性を喚起させうる、更なる場を求めることは、時代の流れにおいて必然なことであった。
都会の創造性の中での切磋琢磨から抜けてて、さらに新たな境地を求めることの必然性。
そして、本来、快楽主義的志向を持つ私が行き着いた境地。それがまさに「温泉」なのである。古来から自然に湧出する「温泉」こそ、地球の創造性の1つの象徴だ。その「温泉」を享受することは、地球の創造する息吹と同化しようとすることであり、その大いなるクリエイティビティーに触発され、新たな創造の光を見出しうるパワーを秘めている。
元来、湯治が基本であった温泉浴は、その大いなる創造に触れることによって、癒され、明日への活力を得る行為だった。歓楽的イメージが主流を成す現代の「温泉」において、今まさに、音楽家、芸術家のみならず、人類そのものがそうした、大いなる地球の創造パワーである「温泉」というものに回帰することは、重要な課題だといえる。
エコやロハスなど、ありきたりな言葉であるが、そんな言葉を投げかけるまでも無く、時代は自然回帰の方向に向かってる。地球の自然の恵みである、湧き出る温泉を享受し、その恩恵とともに生きていくことは、まさにそうしたエコロジー的転換を象徴する流れであることは、間違いないといえるだろう。
昨今、農業がクローズアップされ、都会から土着的地方へと、文化的意識のシフトがなされようとしている。と同時に、同じく地球の恵みである、この「温泉」というものを、再度見詰め直すべき時代に来ているのは、必然であろう。
「温泉」は、「湯の恵み」のみならず、「文化」をも創造するのである。
この新たな境地、に向かう第一歩として、ここに、自然湧出温泉主義「Naturally Gushing」は、動き始めたのである。

サワサキヨシヒロ

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