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ことば以外の共通言語


きっとこの世界の共通言語は英語じゃなくて笑顔だと思う

この歌の全貌はまったく覚えていないのだけれど、東京メトロのCMで流れていた、この歌詞だけはすごく鮮明に覚えている。

確かに言語以外の共通言語はこの世界に存在しているのだなと、わたしは長期に及ぶ欧州滞在で理解した。それは笑顔もそうだし、ちょっとした気遣いとか、優しさとか、おとぎ話とか、歌とか、自然を慈しむ心とか、要は言語が違う国でも人間として私たちが普遍的に共有しているもの。言葉が話せなくても、心を通わせることはできる。


そしてわたしにとって一番の共通言語は、ダンスだ。

5歳から12歳までバレエを本格的に習っていて、中高時代はダンス部でヒップホップをメインに踊っていて、大学に入ってからは少しブランクがあったけれど、今は留学先でジャズダンスを習っている。いわばわたしにとってダンスは物心がついたときから自分の中に当たり前に存在していたもので、しばらく踊らないでいると身体に変なものが溜まっていってしまう気がするくらいなのだ。

こちらのダンスの授業はフランス語で行われるので、初回授業に行くまではすごくすごく不安だった。何も言っていることがわからなかったらどうしよう、と。しかし、その心配はあっけなく杞憂となって終わった。

バレエの動きの名称は、ほとんどフランス語由来だったからだ。だから先生がプリエって言ったときにああ曲げるのだな、とわかったし、ソテ!と言ったときに飛ぶのだな、とわかったし、何より体を動かしながらフランス語を聞くと、授業を受けているときよりもずっと自然に動詞や体の名称が頭に入ってくるのだ。

それに、どこの国の人であっても、ダンスがうまい人はうまいのだ。うまい人は姿勢の取り方、目線の位置、指先や足先の使い方まで全てが美しい。その美しさの基準は、日本でもスイスでも変わらない。そこに差別なんてもちろん存在しない。

だからわたしが日本で培って来たものはすごく評価してもらっていて、どの振りでもいつも前列に配置してもらっているし、なんと次回の発表会でソロを少し踊らせていただくことになった。ソロなんて人生最初で最後かもしれない。今必死で振り付けを考えているところだ。このダンスの授業で得た喜びを観客にダイレクトに伝えられるような、そんなエネルギー溢れるダンスがしたい。

もう一つ、前学期に英語演劇のクラスに顔を出していて、自分の英語力の低さから嫌になって今学期は参加しないでいたのだけれど、先日先生から「君のbeautifulなダンスが必要だ!戻って来てくれ!」とメールがきて、今日演劇のダンスチームで練習をしてきた。ダンスというよりは演劇寄りのレッスンだったけれど、それでもいろんな国の人々と体の動きを通してコミュニケーションを図るのは、すごく楽しかった。

正直、こんなに自分のダンスが評価されるなんて思っていなかった。今まではダンスができる人たちと一緒に踊っていて、踊れるのは「当たり前」だったから。だからこそ、ここで出会う人たちの「わたしにgiftが、才能があるんだよ」と伝えてくれる姿勢に、なんだか救われたような気持ちになってしまう。ずっと、わたしには何にもないと思っていたから。


しかし正直な話、わたしはダンスをずっと無邪気に好きでいたわけではない。むしろ今までダンスは後ろめたさと結びつく、少し湿っぽい存在だった。

小学生の頃、バレエは真剣に習っていたけれど、わたしは中学受験のための塾が忙しくて、小学校高学年になると周りに比べて通える曜日数が圧倒的に少なくなった。そしてそのタイミングで、通える子達に対する先生のえこひいきが始まった。
二人だけ、先生にすごく目をかけてもらっている子達がいて、その子達だけ内密にコンクールに出してもらったり、みんなが踊っている横で二人だけ違う動きをしたり、なかなかに露骨なひいきだった。わたしもバレエは好きな気持ちはあるのに、事情があって通えないだけなのに、そうやって区別されてしまうことが本当にショックで、「受験が終わったら戻ります」と言ってバレエをおやすみしたものの、その教室に戻れることはなかった。

そしてわたしの中には「頑張っていたものを中途半端な形で投げ出した」という、苦い感覚だけが残った。

中高のダンス部も、すごく温かくて素敵な部活だったのだけれど、やりたいダンスの方向性の違いや、ダンスに対する熱意の違いや、ダンスに何を求めるかとか、誰が役職につくかとか、同じ学年の部員同士のそういう価値観の違いで揉めることがすごく多くて、わたしにとってただダンスを楽しむ場所というよりは、人間関係で疲弊してばかりのしんどい空間だった。
またヒップホップはバレエとは根本的に動きの性質が違うので、なんだか最後までうまく踊れたという感覚がなかった。

大学に入ってからは、体育会系のダンス系の部活に一瞬所属した。けれどそこは四年生まで勉学よりもダンスを優先して練習するようなとにかく本気の部活で、体育会系特有のルールも数多く存在していて、それが楽しい人は続けられるのだろうけど、わたしの性格には合わないし、生活に組み込むにはあまりヘルシーではないなと思ったので、三ヶ月で辞めた。
その時に何回も進まない話し合いをしたことと、辞めてから一部の先輩にSNSで悪口を書かれたり、無視されたりしたことがトラウマで、「また中途半端に辞めてしまった」というバレエ時代の気持ちも蘇ってきて、大学に行くのが辛い時期すらあった。その部活の練習風景を見かけるだけで気持ちがすごく暗くなった。


これらのわたしのダンスヒストリーからわかるように、わたしにとってダンスは挫折の象徴で、好きだけどなんとなく好きにはなりきれないような、どこか薄暗くてじめっとした存在だった。

それなのに、そんなわたしのダンスを、みんな心から褒めてくれる。わたしのダンスを必要だと言ってくれる。わたしもダンスを素直に心の底から楽しい、好きだと思える。もちろんそれは本気でダンスをやっていない環境だからこそ言ってもらえる台詞なのだろうけど、それでもわたしはその度に救われたような気持ちになる。


こちらに来てから、何に関しても救われたような気持ちになることがすごく多い。辛かったことを、必要なことだった、間違ったことじゃなかったと肯定できるようになるのは、いわば過去の苦しかった自分、存在を認められなかった自分自身を認めてあげることで、救うとか救われるとか、そんなに簡単に使う言葉じゃないだろうと思うのだけれど、それでもやっぱりわたしにとっては圧倒的に救いなのだ

そんな風にわたしを救ってくれた言葉の数々への恩返しは、やはりわたしが本番で美しいダンスを踊ることでしか、成し遂げられないだろうと思う。だからわたしは今日も部屋で一人、静かに練習を重ねるのだ。







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