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見えない巨人と戦う毎日で


私たちの人生は、さまざまな決断の積み重ねでできている。今日の夕飯の献立や今日読む本のような些細な決断から、進学先や就職先や結婚相手などの重大な決断まで。そして、出会った人々の中で、誰と関わり続けるのか、誰にどんな影響を受けるのか。全ては自分が選んだことで、その全ての決断が、いまの私たちのあらゆる要素を形作っている。人は変化せずに生きていくことはできないし、決断の先の結果がいつも予想通りに進むわけでもない。

自分の選択が正しかったか、間違っていたかなんて、いつわかるようになるのだろう。過去の選択に意味を与えるのは未来だが、その未来も常に刻々と変化を遂げる。正しかった選択は一瞬で間違った選択へと変貌を遂げる。その逆も然り。そんな風に、喜びと後悔のジェットコースターに身を任せながら進んで行くのが、人生というものなのだろう。

進撃の巨人を読んでいると、わたしはいつもこんな風に、「自分の選択」について考えを巡らせずにはいられない。わたしの言葉、だれかの行動。小さな選択に基づいたそれらが、決定的な結果に繋がってしまう。そしてそれは、調査兵団が戦う瞬間の状況にも重ねられる。調査兵団が巨人たちと戦うときは、いつでも即座な決断力が求められる。いま自分がどう動けば、死なないで済むのか。仲間を死なせずに済むのか。圧倒的な再生力を持つ巨人に、どうしたら勝てるのか。



そして、死んでしまった仲間の死に、意味があったのか、なかったのか。「意味があった」と信じまっすぐ突き進み、結果的に勝利をもたらすのが少年漫画の方程式であるけれど、進撃の巨人に限っては、意味があったと信じていた仲間の死が本当に意味があったのか、それは最終話までわからない。



だって、誰かの死の上に暴かれる真実は、どこまでも残酷だ。仲間の裏切りも、巨人の正体も、世界の成り立ちも、復讐の連鎖も、知れば知るほど誰も救われない。それでも調査兵団は真実を追い求め海を渡る。現在が苦しくても、すべてが終わった先には平和が、安穏が、必ず待っているはずだから、と。過去の選択は未来によって意味が変わるから、必ずこの無駄な死も、意味のある死へと変化するのだから…と。


現実世界には巨人はいない、けれど、現代社会を生きる人々は常に何かと戦っているように見える。電車の中で目の下にくまを携えパソコンを打つ人。刺々しい雰囲気を放ちながら単語帳をひたすらめくっている人。真っ黒な服で身を纏い企業を巡っている人。すべての人が、ひたすらに努力をし、自分が報われる未来を信じひたむきに戦っている。「負けてもいい」なんて考え方は、少しも顔を覗かせない。自分の選択が正しかったと安堵できる未来を信じ、ただひたすらに命を削っている。

だからこそ、進撃の巨人は、こんなにも人々に愛されているのだと思う。私たちは毎日、見えない巨人と戦っている。その正体は多様だ、勉強や仕事や就活などの具体的な敵から、圧力や慣習や自意識などの抽象的な敵まで。その戦いの息苦しさや絶望や不安感が、作品の登場人物たちと共鳴しているのだろう。


願わくば、近いうちに迎える進撃の巨人の最終話が、すべての登場人物の死や苦しみを肯定できるような展開を迎えますように。登場人物が海を初めて見たときのような希望に満ちたページを、わたしはまた見たい。毎日を戦う現代人が、未来に希望を見出せるように。過去や現在の苦しみを肯定できるように。

調査兵団のマークは、自由の翼を表すものだが、彼らが背負っているのは、物語中の人物の自由だけではない。読者である私たちの自由も、背負っているのだ。
エレン、ミカサ、アルミン、リヴァイ、ハンジ…。最後に希望を見せてくれると信じているよ、がんばれ。



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