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泣きたいときには、たくさん泣いた方がいい

「毎日部屋の隅っこでひたすらぼーっとして、ああ朝がきた夜がきた、って考えてね、学校にも行けなくて、でも死にたくても葬儀は600万かかるから死ねないの。もうどこからも逃げられないの、あぁあ…」小さなベッドの上で、彼女は嗚咽をもらしながら小さな子供のように泣き続けていた。


これは、同じくフランス語圏に留学中の友人と、旅行に行ったときの話。


美しい街並みに胸を高鳴らせ、体力の限界など忘れてひたすら旧市街を歩き回ったわたしたちは、宿についた途端に疲労が身体の奥からどっと溢れてきてしまい、シャワーを浴びる気力もないままベッドでだらだらと、他愛のない会話を交わしながら時間を溶かしていたのだった。

すると、それまで絶えず世間話をしていた友人の言葉が唐突に途切れた。何事かと思って見ると、彼女はベッドに横たわったままはらはらと静かに泣いていた。

なにか彼女を傷つけることをしてしまったのだろうか、と思ったわたしは、慌てて謝った。「わたし何かした?!ごめん!!傷つけちゃったなら本当にごめん!!」

すると「最近よくこうなっちゃうの。気がついたら泣いてる。大丈夫だよ」と言って笑いながらまた涙をぽろりと流すのだ。

「泣くつもりはないのに泣いてしまう」
その状態が結構精神的に極限の状態を表すことを知っていたわたしは、そのまま彼女を抱き寄せて、「泣きな!」と言って背中をさすった。そうすると、ゆっくりと彼女は嗚咽をもらしはじめた。


彼女はある日、ちょっとした知り合いと留学先で揉めた。本当に、事故のようなものだったのだ。そこでその相手は彼女に「フランス語ほんとに下手だし、勉強してる姿勢も見えないんだよな」といった趣旨のことを言った。彼女がわからないと思って、フランス語で。

しかし彼女は聞き取れてしまった。その内容も、わからないと思われてフランス語で侮辱されたという事実も、彼女にとっては二重にショックだった。その時期、彼女はちょうど自分の言語能力が伸びていないように感じて悩んでいたので、その人の言葉は凶器となって、彼女の胸を深く貫いた。

現地の人と会うのが、フランス語を話すのが、そして「よくわからない」みたいな顔をされるのが怖くなって、彼女は部屋から出られなくなった。

「そんな言葉気にするな!そいつが悪い!そんな奴の言葉に意味はない!」と言いたかった。けれど、言えなかった。なぜなら、そんなこと彼女はとっくにわかっていたからだ。
彼がひどいことを言っているだけで、私は悪くない。私はずっと努力し続けている。彼女は自分をそう肯定しようとした。しかしその瞬間、もう一人の彼女が囁くのだ。「本当に努力したの?」と。

要するに、彼の言葉は、彼女の中に眠る「自分自身を嫌いな彼女」を引き出してしまったのだ。そして過去の自分を信じられなくなった彼女は、部屋の隅で静かに追い詰められていき、ゆっくりと自分自身に絶望していった。


「涙は流したほうがいいんだよ。感情は溜め込むとどんどん身体が重くなっていっちゃうから。泣きな泣きな。たくさん泣きな」

そんな彼女の背中をさすりながら、わたしはこう繰り返した。これは、『ノルウェイの森』のレイコさんという人物の台詞であり、かつてのわたしを救ってくれた言葉だった。

実際、涙は積極的に流していったほうがいいと思う。ちょっと辛いなーと思ったら、泣ける映画を観たり、泣ける本を読んだり。泣きそう、と思ってから泣くのではなく、不意打ちで涙が溢れてくるようになってからでは、遅いのだ。その状態はおわりのはじまり。

自分がそうなったことがあるからよくわかる。昔、もう何が何でもうまくいってほしいことが、どうにも叶わなかったことがあって、そのときわたしはずっと泣いていた。
まず明け方、その願いが叶う夢を見て幸せな気持ちで起きて、現実に気がついて布団で少し泣いて。でも家族にはそんなこと言えなくて、涙を拭ってなんともない顔で食卓に向かって。
それでも学校に行けば大好きな友達が待っているから、なんとか向かって友達と盛り上がって、その瞬間だけはつらい現実を忘れられて。
でもまた帰りの電車、ひとりでふと窓に映る自分を見て、なんとなく悲しくなって泣けてきて。 
朝起きたときの落差が怖いから、寝るのがどんどん遅くなって。
でもそんなに悲しんでいることをほとんど人に言えなくて、ただただ自分の心を掘り下げて、悲しさの海に沈んで泣き暮らす、そんな一ヶ月を過ごしたことがあった。いやぁ、いま振り返ると本当にしんどかった。

本当に悲しいときの涙は、「あ、泣きそう」という感覚を与えてくれない。鼻がつんとしてくる隙もないまま、ただただ目が熱くなり涙が溢れてきてしまう。止めようと思っても止めようがない。

ベッドではらはらと涙を流す友人を見ていると、そんな昔の自分が思い出されてくるのだった。そしてそんなわたしが彼女を励ますために思いついた言葉は、かつての苦しかった自分が求めていた言葉だった。

あのときは、世の中にこんなに辛いことがあるのかと驚いてしまうくらい、本当にどん底にいた。自分をこんな目に遭わせた神様を本気で呪った。それでもこんな風に、理由は違えど同じように底にいる人の気持ちがわかって、そんな人を少しでも救えるのならば、あの経験も必要なものだったのだろうな、と今なら思う。人生に無駄なものなどないのだ。

次の日、別れるとき、駅で彼女はわたしを抱きしめてくれた。「本当にありがとう。このタイミングであなたと旅行に来れてよかった」という言葉と共に。彼女は笑顔だった。

わたしの方こそ来られてよかった。泣き続けるあなたに対して言葉をかけることで、昔の自分も救われた気がしたんだよ。

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