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織田信長はなぜ天下を取れたのか?織田信長に学ぶ目標設定と行動の重要性

こんにちは!さわい @sawapp です。
何年か前にSlideShareで公開したのですが、スライドだけだとよくわからない部分もあるので、改めてテキストでも残しておこうと思い書きました。

織田信長は知ってますよね?日本の歴史上の人物の中で圧倒的な知名度を誇る戦国大名です。
超略歴を紹介するとこんな感じになります。

1534年 尾張(現在の愛知県)に生まれる
1551年 織田家の家督を相続
1560年 桶狭間の戦いで今川義元を打ち取る
1575年 長篠の戦いで武田勝頼を破る
1579年 安土城の完成
1582年 本能寺の変。49歳で亡くなる

本能寺の変で亡くなった時には、織田家は日本の半分近くの領土を持っていました。唯一対抗できそうなのが中国地方の覇者毛利ですが、この時秀吉の攻撃を受けており、国力の差を考えると毛利が負けるのも時間の問題です。日本統一をするのにまだまだ時間がかかりそうに見えますが、圧倒的な力の差があるためここから一気に加速して行きます。ここまでくれば信長の天下統一はほぼ間違いない状態だったので、この記事では信長が天下統一した前提で話を進めます。そして、歴史認識に関する議論は本記事の主旨ではないのご遠慮くださいm(_ _)m(事実と違っている部分があれば指摘してください!)

なぜ織田信長は天下を取れたのか?


理由は2つです。天下統一をしようと本気で思ったのと、すべての行動のベクトルを天下統一に向けた、からです。それも自分が生きている間に。たったこれだけです。そもそも天下統一しようと思わなければ天下統一はできません。適当に領土広げてたら天下取れました!なんてことは絶対にありません。天下を統一するというゴール設定とそれに向けて行動すること、この2つがなければ天下統一は無理です。織田信長は天下統一というKGIを3つに分解します。

・大名勢力の屈服
・宗教勢力の武装解除
・朝廷・幕府を超える権威の創出

大名は信長と対等な勢力なので、天下を統一するには屈服させるか滅ぼすかどちらかになります。基本的には外交工作で屈服させ、言うこと聞かなければ武力で圧力をかけていきます。KPIは領土の広さになります。

宗教勢力の武装解除は、意外かもしれませんが当時の仏教は大名以上に財力・武力を持っていました。一向一揆(宗教一揆)も頻発しており、上杉謙信や徳川家康(若い時)もだいぶ苦労しています。織田信長も一向一揆で親族を殺されています。そのため宗教勢力が政治介入しないように、武装解除とその財源となる権益を取り除いていきます。KPIは一向一揆が発生した数とかになりそうです。

朝廷と幕府は信長にとって厄介な存在です。大名である限り朝廷や幕府の支配体制の中にいることになります。なので天下を統一するためには、朝廷や幕府を上回る権力を手に入れる必要があります。KPIとしては奪った権力の数みたいな感じかなと思います。

これらを自分が生きてる間に達成する、という時間軸も設定します。特に生きてる間にやるぞ!と宣言はしていないのですが、信長の行動とその結果を見ていれば天下統一は息子に託そうなどと考えていなかったことがよくわかります。

では、他の大名はどうだったのでしょうか?

戦国最強と言われた武田信玄と上杉謙信はなぜ天下を取れなかったのか?

上杉謙信も武田信玄も有名な大名なのでみなさんご存知だと思います。
上杉謙信は非常に強く織田信長も同盟を結んでいます(濃越同盟)。武田信玄はあの徳川家康と三方ヶ原で戦い圧勝しています。めっちゃ強いです。なのになぜ二人は天下が取れなかったのでしょうか?

上杉謙信のゴールは何か?
まずは上杉謙信から見ていきましょう。彼のゴールは天下統一ではありません。義理堅い上杉謙信は、室町幕府の再興を考えていました。幕府での地位を重視しそれに従います。いろいろあって、関東管領という関東エリアのトップになります。戦国時代において関東管領になったところでなんの価値もありませんが、任命された上杉謙信は関東管領として、命令に従わない北条討伐をひたすら繰り返します。北条家は小田原城という難攻不落の城を拠点にしています。天下統一目前の豊臣秀吉ですら、小田原城は力攻めをせずに兵糧攻めをしています。そんな北条に対して何度も攻撃をしかけます。また、北信濃(長野県の上の方)を武田信玄に追われた村上義清が上杉謙信に北信濃を取り返して欲しいと頼みます。戦国時代なので普通なら断りますが、上杉謙信は断りません。これがきっかけになり、あの有名な戦い「川中島の戦い」に繋がります。しかも5回も戦っています。

このように、そもそも上杉謙信は天下を取ろうなんて気はまったくありませんでした。

じゃあ、武田信玄は?
戦国最強の武田の騎馬隊は有名です。武田信玄も天下を取ろうと考えていたのか微妙です。信玄が重視したのは信濃(現在の長野県)を支配することでした。もし、天下を取りたいなら川中島で5回も戦わずにさっさと上杉謙信と和睦して京都を目指すというやり方もありました。でも上洛を行ったのは晩年になってからです。結局、上洛途中で亡くなってしまいます。

以上のように、そもそも二人とも天下統一を狙っていないので、いくら戦国最強でも天下を取ることはできませんでした。当然の結果ではありますが、ゴールをどこに設定するかが非常に重要になるのです。

アクションが重要、天下統一を目指すだけでは天下は取れない


天下取るぞ!って意気込んでも天下は取れません。行動を起こす必要があります。織田信長は実際に3つのKGI(大名勢力の屈服、宗教勢力の武装解除、朝廷・幕府を超える権力の創出)に対してどんな行動を起こしたか見ていきましょう。

大名勢力の屈服
大名勢力の屈服については下記の4つのことを実施しています。

実力主義の導入
天下を統一するにはすべての大名を攻略する必要があるため、多くの優秀な人材が必要になります。代々仕えている家臣だけでは人が足りません。そこで信長は実力主義を導入します。身分や勤続年数に関係なく実力があるメンバーを活用していきます。羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益などが抜擢され、後々軍団長として活躍します。

常設軍の設置
当時の軍隊は農民兵が主体でした。そのため、田植えをしてから稲刈りが終わるまでは原則戦争を行うことができません(やってもいいけど収穫量が減る)。必然的に秋から冬の終わりまでが戦争シーズンになります。地域にもよりますが1年の3〜6ヶ月くらいしか戦争をすることができないのです。そこで信長は常設軍(傭兵部隊)を設置します。これにより農作業に影響を受けずに1年中戦争ができる体制を整えます。

兵力の均質化
常設軍を設置しても当時の傭兵はプロフェッショナル化されていないので、戦争で形成が悪くなるとすぐに逃げてしまったりと、実は農民兵の方がモチベーション高くて強いということもありました。そこで誰が戦っても一定の結果を出せるように、鉄砲や長槍の導入を進めます。特に鉄砲は純粋にテクニックの問題なので、練習すればするほど強くなります。兵力を個人の能力やモチベーションに影響されないように均質化を図っていきます。

重商主義
常設軍を維持するにはお金が必要です。もちろん他にもお金が必要です。農業だけではなく商業も重視します。有名な楽市楽座で経済を活性化させたり、自分の領土内については関所を撤廃して商品が流通しやすい環境を作っていきます。

宗教勢力の武装解除
当日の宗教勢力は関所を設置してお金をとったり、一向一揆を起こし大名を攻撃したり、ライバルの団体に攻撃を仕掛けたりと、様々なことが行われていました。信長は宗教団体の利権の剥奪と武装解除を進めます。天下統一しても宗教勢力がいうことを聞かないで一向一揆を起こしたりすれば、統一したとは言えません。比叡山延暦寺の焼き討ちなど宗教に厳しいイメージがある信長ですが、実は武装解除・利権を放棄した宗教団体については寛容に扱っています。宗教の役割を明確にし、その役割以外のことはやらないでってことですね。

朝廷・幕府勢力の屈服
朝廷と幕府も信長が超えなくてはいけない大きな権力です。幕府については最初その権威を活用し自身の権力を拡大していきますが、最終的には15代将軍足利義昭を追放して幕府を滅亡に追い込みます。
朝廷勢力はどうでしょうか。朝廷勢力を滅亡に追い込む大義名分がありません。そこで信長はシンプルに朝廷を超える権力を作ればいいと考えます。その答えが、神格化です。信長はすべてを支配する神になろうとしたという説があります。日本で一番最初に誕生日会を実施した人を知っていますか?実は織田信長です。これは、当時日本にも入ってきていたキリスト教の影響だと言われています。キリスト教ではイエスキリストの誕生日を祝う習慣があります。それを意識して、信長の誕生日を祝うというイベントを開催することで神であるというアピールをしたのです。この考え方は、家康にも引き継がれていきます。家康は現在も日光東照宮にて神様として祀られています。

目標設定 → 戦略・戦術の立案 → 実行 が大切


どんなに優秀は人でも設定したゴール以上の結果は出せません。ゴールをどこに設定するかが重要です。ゴールを設定しても何もしなければ、ただ夢を見ているだけです。ゴールに到達するために、戦略・戦術を立案し、そして実行する必要があります。織田信長はここまでやったからこそ、天下統一直前まで到達できたのです。それでも、本能寺の変という想定外要素が起こってしまいますが、織田信長が示した方向性は豊臣秀吉・徳川家康に引き継がれていきます。

自分が担当する事業の視点で考えてみよう


担当サービスのゴールは何か、すべての施策がそのゴールに向かっているか、ゴールに繋がらないことに時間を取られていないか、時間軸を意識しているか。これが重要なんですよね。

織田信長について知るならこちら

逆説の日本史10

日本の歴史12


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株式会社才流(https://sairu.co.jp/) でBtoBマーケティングのコンサルタントやっております。趣味はマーケティング。歴史、SaaS・IT・ポケモンGO好き。noteではBtoBマーケティングや日々感じたことや自分が書きたいことを書いています。

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