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ルネの首 #19 子供たちは夢を見る

 それからしばらくは、平穏な日々が続いた。
 子供たちは、ここのところずっと、ルネに算数を教わっている。今日は掛け算と割り算。
「簡単な計算はできた方がいいけどさ、掛け算割り算はまだ難しいんじゃないの?」
『驚け、ナオ。イサは算数が得意なんだ。掛け算の九九は全部覚えたし、割り算も簡単なものならもうできるぞ』
「え、マジ……?」
 ナオは割り算が苦手だ。思わず手のひらで指を数える。四歳も年下のイサに先を越されかけているとは。
「俺はこの家で店を開くんだ。だから、計算くらい自分でできないとな!」
 どうやらイサはまだ諦めていなかったようだ。確かに、元は酒場か喫茶店であったのであろうこの家は、テーブルと椅子はすでにある。設備さえ整えれば、すぐにでも飲食店を開店できそうだ。だけど、しかし――。
「客こないだろ。下層のやつらは、みんなビスケットと水で生き延びてる貧乏人と、なけなしの金を酒で溶かすバカばっかなんだぞ! ぼくらだってそうだ」
 ビスケットは、救済機関にいけば誰でも恵んでもらうことができる、下層民の命綱である。一日に必要な栄養素があるというだけのもの。パサパサした食感で、その味わいは安い粉を固めて焼いただけの虚無である。
 ただ、これが配られているから、下層のスラムで育った子供たちも、意外に死なないわけなのだ。虚無の餌で飼いならされている。
 ビスケット以外のものを食べられたら、ナオだって嬉しい。しかし、そんな金を持っているのなら、酒を飲むのが下層の民。お店でホットケーキを食べる、なんて高尚な考えはない。ナオたちだって、アズに作ってもらうまでホットケーキなる食べ物の存在すら知らなかった。
「ナオ、わかってないなー、カネ持ってるやつを相手にするんだよ。上のやつらとかさー」
 イサは得意満面で胸を張る。その胸を軽く小突いてから、ナオは椅子に座って、カウンターに頬杖をついた。
「上のやつらがこんなとこ来るかよ!」
 下層で活動しているはずの救済機関の面子ですら、アズの他にはサリトとリタしか知らないというのに。
 しかし、そこにカウンターの上を滑るようにしてルネがやってきて、ナオの目の前でにまにまと笑って見せた。
『アズのように、役割や事情があって下に住んでいる上層民もいる。上層を追い出されて、下層に渋々住んでいる人間も。ごらんの通り、下層は治安が悪いし、ろくな食べ物屋もない。需要は意外にあるのではないか?』
「な、なるほど……」
 言われてみれば、と納得しかけてから、ナオはハッとしてルネのカプセルを押しのけた。
「……ってさ、絶対これ、イサの発想じゃないよな? 要するに、ルネの入れ知恵なんだよな?」
 ルネはするりと戻ってきて、ナオの目の前に鎮座する。
『入れ知恵とは、人聞きが悪い。しかし、難しい言葉を覚えてくれたことに関しては、先生として嬉しいぞ』
 何を言っているのか、この生首は。
 はぁ~、と大げさなため息をつきつつ、ルネのカプセルをぺちぺち叩く。最近、これにも慣れて来たのか、あまり抗議をしなくなってきた。
「もー、ルネ先生さー、セツ兄が聞いたら頭抱えるよこれ」
『アラク退治をするよりは、ずっと現実的提案だぞ』
 思わぬところで痛い所を刺されて、思わず「んぐっ」と声が漏れた。当然ながら、ルネの言葉はセツェンの手伝いをしたいと述べたことにかかっているわけだ。
「私はアズ姉から、ホットケーキの作り方を教えてもらったんだよ!」
「おれは卵きれいに割れる」
 キャロルとエミルが、無邪気に飛び跳ねている。イサとルネにけしかけられたのだろう。完全に乗り気になっているが、子供たちは肝心なところが抜けている。
「お前ら、どこからどうお金作ってホットケーキの材料を買って、どうやって客集めるんだよ?」
「「「あっ」」」
 三人は顔を見合わせ、そろって「うーん」と悩んだ後に「まぁいいか」と問題を投げ出した。
 浮浪児特有の「考えてもどうしようもないことは考えない」謎のプラス思考である。
「計算が完璧にできるようになるころには、何か思いつくかもしれないじゃん」
「そうそう」
「なんとかなる~」
「セツ兄が今ここにいなくてよかった……」
 ナオがカウンターに突っ伏すと、慰めているつもりなのか、ルネがそっとカプセルの側面をつむじあたりに押し付けてくる。痛いだけなのでやめてほしい。
「ルネのせいだからな」
『いやいや、知識獲得による恩恵の実例を出しただけであって、選択は子供らの自由意志であるから』
「小難しい言葉づかいでごまかすなよぉ!」
 とはいえルネの発言は、あながち的外れでもないのだった。子供たちに下層で生きていく上で、ある程度の目標や選択肢があるのは悪い事ではない。
 今までは、選択肢を考えることすらなかった。セツェンが「市民権を得る」という曖昧な目標にすがったのも、そういった選択肢のなさゆえだ。
「ぼくにも何か別の道を見つけろっていうの?ルネ」
『そうは言わないさ。下層でできることには限界がある。ただ、ナオやセツェンにとっては、アラクがらみは子供らにはやらせたくないことだろう?』
「うん……」
『危険を承知でナオが選ぶことに、僕が文句をつける筋合いはない』
 だけど――子供たちに同じ道を歩ませてはいけない。
 ルネの言い分は、つまりそういうことだ。たまたま、セツェンという強いリーダーに恵まれて、ルネという教師役を得られた。その、下層民としてはこの上ない幸運を、子供たちには最大限に活かしてもらうしかない。
 ナオが納得したのを見て、ルネは子供たちを部屋へと追い立てていく。
『イサたちは算数の復習をしろ。僕らはやることができた』
「え、新しいのを教えてくれるんじゃないの?」
『完全に覚えるまで復習しなければ、新しいことを覚えてもすぐに記憶が抜けるぞ。イサ、君はそれで字をなかなか覚えなかっただろう』
「う、うーん……頑張る」
「私もやる~」
「おれも」
 突然子供たちに復習を言い渡した後、ルネはふわりと浮いてナオの頭の上に来た。
『でかけるぞ。背負ってくれ。アズのところに行く』
「え、ええー?」
『手伝うも何も、彼女に相談なくしてどうするんだ』
「あー、うん、そうだね」
 アズのように機械を扱えるわけでもなく、ルネに少し知識を与えられたくらいで天才的なアイデアが浮かぶわけでもなく……。
 セツェンは、なまじ自分で色々なことができてしまう分、できない人間がするべきことがわからない。だからサポートをするアズにも、前線に出るなと言ってしまう。
 もちろん、アズはキューブを扱う技術者でもあるし、上層民でもあるので怪我をされるとまずい。セツェンの言い分も間違ってはいない。が、その代わりになるアイデアを思いつくには、彼は「自分一人で何とかできる」状態に慣れ過ぎている。
 ゆえに、ナオが手伝うとしても、セツェンを通すよりもアズに相談する方が近道になる。
 ナオにできることがあるとして、それが危険なことでもそうでないことでも、セツェンはそれを思いつくほど融通がきく性格をしていないのだ。
「ナオ、アズ姉のとこ行くなら、お土産にホットケーキの材料もってきてくれよ」
 イサが顔を出してそんなことを言ってきた。頭が痛い。
「いやいや、アズ姉の家のホットケーキの材料は、お前らのもんじゃないからな!」
『……お店を出すなら、まずは金を出して物を買う仕組みを、最初から教えた方が良さそうだな』
「頼むぜ、ルネ……」
 下層育ちの子供たちが覚えるべきことは、文字や計算以外にもいろいろとありそうだ。

 新居からアズの家まで、徒歩十分ほど。以前住んでいた郊外の廃屋や、市街地の外れとは違い、この辺りは比較的身なりの整っている人間が目立つ。
 とはいえ、下層街には間違いなく、少し路地裏に入れば酔っ払いが転がっていた。
 浮浪児はこの辺りにあまりいない。変に目をつけられているところがあるので、ややこしい相手に見つからないのは助かる。……が、逆に言えば子供があまりいない場所なので悪目立ちするともいう。
 通りすがり、たまにじろじろと見られる気配がして、ナオは足早に駆け抜けた。曲がりなりにも機密情報のルネを背負っている。
「あだっ」
 急いで路地をまがったところで、誰かにぶつかった。
 顔を上げると、いかにもな酔っ払いの中年オヤジが立っている。それもそこそこに屈強そうな。
「おい、ガキ、ぶつかっておいてゴメンナサイも言えねえのかぁ?」
「うわ、絡み方がザコっぽい!」
『ナオ、思ってもそこはおさえろ……』
「やっべ……」
 やっぱり、身近にいる比較対象が、大体の人間を片手で放り投げられるセツェンなのは良くない。ナオにその力はない。つい、いつものノリでツッコミを入れてしまった。
 さて、どう逃げるか――と考えたところで、突如男の身体が崩れ落ちた。
「はいはい、ザコはどいてね~」
 倒れた酔っ払い男の向こう側には、わき腹に渾身の蹴りを放ったポーズで、美女が立っている。褐色の肌、赤色のウェーブヘア。つい最近、見た――。
「リタさん?」
「よ、ナオちゃん。いくら市街地でも女の子の独り歩きはあんまりオススメできないわ」
「アズ姉は好き放題に出歩くのに」
「そりゃ、この辺に住んでる連中は、アズに手を出したらヤバいってわかってるもん。あの子、キューブと銃で完全武装してるから」
「あ、あー……うん、納得ぅ」
 いつぞや、廃屋のドアをぶち抜いたキューブの破壊力を思い出した。
「アズん家行くなら、あたしが一緒についてってあげる。あたしもこの辺では顔が通ってるし、一緒なら手出しはしてこないわ」
「サリトさんは?」
「アイツは出不精なのよ。呼ばれないと来ないわ」
「え、意外……」
「そうよね。ナオちゃんにとっては、あいつ、セツ君いじりする大人げない兄ちゃんでしかないもんね。……ま、あたしがいても困らないでしょ。ね? 生首君」
『ルネだ……生首なのは確かだが、それを呼び名にするのはやめろ』
「ふーん、布被せてても状況わかってるのね」
 リタは興味深そうに、背中のルネ専用袋を見る。
 ルネが話す前から、ナオが背負っているものがルネだと気づいていたのだろう。アズから教えてもらったのか、それともルネと小声で話しながら歩くナオのことを、しばらく観察していたのか――。
(信用していいのかなぁ?)
 まだ、リタとサリトのことはほとんど知らない。
 アズがわざわざ連れてきたのだし、少なくとも敵ではないのだろうけれど、いまいち何を考えているかわからない。
(まぁ、アズ姉だって最初はそうだったし、そのうちわかるのかなぁ?)
 少なくとも、サポーターを務めるという点では、リタはナオが目指すところに一番近い存在だ。
 打算と好奇心と、少しの希望観測。
 そして、少なくとも、明らかに不審な点があるならば、ルネは恐らくリタが来る前に警告をしただろう。彼はリタたちの個人情報を調べていた。
 だから、多分大丈夫だ。
 ルネと自分の勘を信じることにして、ナオは誘われるままリタに引きずられていくのだった。

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