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ルネの首 #21 宗教と歴史の人類学

 それから更に数日後、アズに呼ばれて、ナオはセツェンと一緒に彼女の家に行くことになった。
 一応、ルネも背負っていく。置いて行こうとしたら、激しく拗ねられたとも言う。
「救済機関の登録は済ませておいたから」
「誰にも会ってないけど、ぼく」
 この数日間、セツェンとルネと子供たちとしか顔を合わせていない。この面子で同じ家に住んでいるだから当たり前だが、今日になってアズに呼ばれたわけだから、ナオは何も聞いていないわけである。
「そういう組織なんだ。どうでもいいことにはテキトー」
「大丈夫なの?」
「ヤバい組織だとは言ったけど、基本的には鉄グモがやたらと増えなければ俺たちには口出ししてこない。放置だ」
「丸投げってことかぁ」
「ろくでもないだろ」
 ほとんどセツェンが一人で何とかしている現状も、それがどんなにまずい状況かもわかっていない、ということなのだろう。
(ぼくですらそれはまずくない? って思うのになぁ)
 良くも悪くも「何かが起こらなければ動かない」ということだ。そして何かが起こった時には、全力でこちらの都合を無視する。
「下で鉄グモを始末するのって、上の奴らが鉄を欲しがってたからじゃなかったの?」
 ナオたち下層民にとって、鉄グモを減らすのは居住区を守るための生存活動だが、上層にとっては単なる資源回収でしかない。
 しかし、資源回収ができなくなったら困るからこそ、下層ごと焼いてでも鉄グモを狩るわけで。
「まぁ……その辺はちょっと……いわゆる宗教?」
「何なの、その宗教ってって。セツ兄が前に言ってたカミサマとカンケーあんの」
「いや、まったく関係ない」
 ないのか。セツェンのいうカミサマの意味ですら、やっと理解したところなのに、しゅーきょーの話なんてないのことわからない。
『ナオ、知っておいた方がいい。何故、僕が生首になっているのかがわかるぞ』
「マジで?」
 今まで生首になった理由を聞いても、首から上しか必要がないからという謎理論しか説明してくれなかったのに、どういう風の吹き回しか。
「んー、教えて。ぼくでもわかるように」
 念を押したが、ルネの口から飛び出したものは、案の定というべきか、ナオの理解を斜め上にと飛び越えて行った。
『簡単にいうと、上層の宗教というのは【全てにおいて人間が偉い】という主義だな」
「はいぃ?」
『アンソロポセントリズムの一種といえる』
「あ、あんぽんたん?」
『何だ、それは。また下層のスラングか?』
「多分そうだけど、割とどうでもいいから続けて」
『そうか。上層の宗教は、人間至上主義。人間が全ての決定権を持つ、という考えだ。機械の利用すら、人間の意思が関わらなければ意味がない、という考えだ。その辺はナオにはまだ難しかろうが……その【人間】の範囲を上層民だけと考えるか、下層民も含むかが、よく内部分裂のタネになる」
「え、仲間内でケンカしてるってこと? めんっどくさ!」
「俺もそう思うよ」
 セツェンが苦笑いを漏らす。
『この辺を詳しく解説すると、今度は歴史学になる』
「宗教の次は歴史? はぁ……。ってそういえば、ルネ、前にもそんなこと言ってたね」
『そうだな。もうアズの家につくから、続きは後で』
「はぁい」
 アズの家はもう目の前だった。
 空室の目立つマンションの、最上階。エレベーターが軋んだ音をたてながら、二人+生首を運んでいく。そして、もはや見慣れたドアの、呼び出しベルを押す。ほどなくして、ドアが開いた。
「おかえりー」
 ナオとセツェンを、まるで自宅に帰ってきたかのように出迎えたアズは、ナオがルネ入りの袋を背負っているのをみて、やや真顔になった。
「本当に気軽に出歩くね……君」
『今の僕はただの荷物だから気にするな』
「荷物は喋らないっての」
 ナオも思わず横やりを入れる。
「ナオに俺たちの仕事を手伝わせるって話だけどさ」
 リビングに入るなりセツェンが切り出すと、アズはため息をついた。
「ココア入れるまで待って」
「そっちが呼んだんだろ」
「じっくりと、説明しないとでしょ! そこ座って!」
 うながされて、セツェンとナオとは顔を見合わせる。
 アズが話を進めてくれなければどうしようもないので、二人は大人しく座って、ルネを移動用の袋から出す。
 しばらくして、アズは三人分のココアとお菓子を持って戻ってきた。
「キューブAB、招集!」
 そう呟くと、どこからともなくあの黒い立方体が2つふわふわととんでくる。
「ナオちゃん、前に使ったこれ、覚えてるよね」
「うん、魔法の呪文で何かビーム出るやつ」
「あー、うん。それくらいの理解でいいわ。これをもうちょっと簡単に使えて、もうちょっと威力の強いのをナオちゃんに持たせます」
「はい?」
「使いこなして。命に関わるから」
「……はい」
「キューブCD招集!」
 アズがそう呼ぶと、もう二つ、今度は青と緑に色が付いた立方体が飛んでくる。
「何でその色にした」
「セッちゃんとペアにしてみました」
「何だそのいらない気づかい」
「ナオちゃんは基本、セッちゃんと組んでもらうし、わかりやすい方がいいでしょ?」
 セツェンとナオが組むことと、キューブの色をセツェンの髪に似せることの関連性やいかに。セツェンが真顔になっているところを見ると、アズが勝手にこじつけただけで、恐らく意味などないのだろう。
 そんな(アズが言うところの)弟であるセツェンの虚無顔を無視して、アズはキューブCDをナオに握らせる。
「ナオちゃん、このキューブC とDに名前をつけて」
「ぼくが?」
「ナオちゃんが呼びやすくて……なるべく、間違って呼ばないような変な名前にして?」
「変な名前って」
 呆れ顔で口を挟むセツェンを横目に、ナオはうーん、と考え込んだ。
「…………ブルとグリ」
「安直だな!?」
 セツェンのツッコミを、アズは無視した。
「いいよ、ブルとグリで登録~」
「いいのかよ」
『セツ、アラクを相手にしてる時に、ナオの頭からすぐ出てこないような名前にしても意味がないぞ。ナオはキューブの時も素で魔法の呪文を間違ったからな』
「ナオ……お前、間違ったのか?」
「あの時はぶっつけ本番だったから!」
 たまたま、呪文まちがいで吹き飛ばしたのが廃屋だったから良かったものの、あそこに人が住んでいたら酷いことになっていた。ナオは改めて「わかりやすさ」と「間違いにくさ」の重要性をかみしめる。
 キューブC&D、改めブルとグリは、通常のキューブよりも短い言葉で起動させる。ただし、威力を上げる分、誤作動をしたら今まで以上に笑えないことになってしまう。
「だから、わかりやすいワードを設定するね。あと、これを覚えておいてほしいんだけど、基本、キューブでできるアラクの対策は三種類あるの」
 ナオは心なしか背筋を伸ばして、アズの説明に集中することにする。セツェンが先ほどからしきりに「本当に大丈夫なのか?」と疑いの目線を向けてくることも、背筋の矯正に一役買っている。
「まず、目つぶし。あいつら、視界が閉ざされると回復するまで静止するから」
「え? 回復するの?」
 目つぶししたら、動きが止まる。そこまでは知っている。
 思わずセツェンに目をやると、彼は「あー」と気の抜けた声を出した。
「ひとつの目につき三日くらいで再生する。全部で五つの目があるから、半月もすれば完全回復だ。三つくらい回復すればひとまず動き出す個体が多いから、実質十日。まぁ……俺はその場で倒すからあんまり気にしたことないけど」
「げぇ……」
 アズとセツェンの解説を聞いて、すでにナオはげっそりとしている。五つある目を全て潰すのも大変だし、目を潰しても完全に無力化するわけではないというのがなかなか精神にくる。セツェンとは違うのだ、セツェンとは。
「二つ目が手足の破壊。こっちは目より再生が早い。だから目を狙えない時、緊急時に身を守るよう」
 鉄グモが攻撃してくるのは前肢二本だけ。後の足は移動用だ。少なくとも前足二本を切り落とせば、再生するまでは攻撃ができない、ということになる。
(そういや、最初に会った時もアズ姉は足を狙ってたなぁ)
 あれは、ひとまず攻撃手段を奪うためのものだったわけだ。お勉強になった。
「三つ目が……これは正確には対策じゃないけど、通信機能。キューブには持ち主の現在地を特定する信号を出すことができる。何かあって、ナオちゃんがすぐに通信できない状態にあっても、私やセッちゃんが場所を特定できる。もちろん、セッちゃんもナオちゃんを呼べる」
 現状、キューブ、及びブル&グリだけの機能で、鉄グモを完全抹殺するのは難しい。だから、結局はトドメをさすのはセツェンの役だ。ただ、セツェン一人では手が足りない場合に、ナオに連絡できるのはメリットが多い。
 ナオが手伝えるというだけではなく、セツェンがどの辺で鉄グモに対処しているのかわかることで、子供たちや現場周辺住民の避難を促せるからだ。
「魔法の呪文については、わかりやすくするため『目を攻撃』『足を攻撃』『通信開始』で起動する設定にしてる。信号を送るだけで、音を出したくない時はブルとグリ、どちらでもいいからサイドにあるこのボタンを押して」
「わぁ……わっかりやすーい」
 魔法の呪文がナオにもわかるレベルに変わった。これは本当にありがたい。
「ちなみにこのサイドボタンを押しながら『無差別破壊』と呪文を唱えると究極必殺奥義も使えますが、閉鎖空間に閉じ込められたとか、袋小路に追い込まれたとか、そういうどん詰まりの時以外は使用禁止です」
「は、はーい」
 何かものすごく物騒な機能もついていた。
 ムサベツハカイの意味をあんまり知りたくない。
「まずは小さ目のやつから練習していきたいけど、どの大きさが出てくるかは遭遇するまでわからないからねー」
「デカいやつほど硬いしな。さすがにデカブツが出てきたら、当面の間は最初から俺が相手するよ」
「うん、そうして……」
 アズがセツェンの単独行動を推奨するということは、それくらいにまずいのか。知りたくない情報がどんどん出てきて、ナオはやや辟易としている。
「鉄グモって、そんなに大きさに違いがあるの……?」
『そもそも、アラクの原種はイヌほどの大きさだからな』
「ゲンシュ? ゲンシュって何? あとイヌってどのイヌ? その辺の路地裏にいるヤツ?」
 ルネの放つ言葉の意味がわからないし、少なくともナオの知る犬というのは、裏通りでごみを漁っている体長一メートルほどの獣である。鉄グモの餌のひとつ。
『君の想像している犬程度だ。その辺の裏路地にたまにいるな。原種とは、その種の動物が交配や品種改良によって……と言ってもわかりづらいか。元々、この世界に存在したアラクは、あの犬程度の大きさだった。それを人間が研究して、大きい今のアラクを作ったんだ』
「はぃぃ?」
『原種の大きさのままなら、人間にとっては何ら脅威ではない。だが、資源化するには大き方が効率的だ。だからかつて人類はアラクを改良して、今の巨大種を作った。が、色々あって今では人類の方が彼らの餌だ』
「…………はいぃぃ?」
『さっきの続きだな。宗教から歴史の話になるというのは、そういうわけだ』
「待って、ごめん、全然意味わかんない」
『人間を捕食する人類の敵を作ってしまった贖罪として、人はAIの判断に頼らず、人の意思と人の技術でこの世界を統治するべきある。……というのが、上の宗教だな』
「…………え? えーあいとかよくわかんないけど、自分でやっといて?」
 ルネ大先生の講義によれば、遥か昔、この地を開拓しはじめた人間たちは、偶然にもこの地に繁殖する金属質の身体を持つクモ、アラクからエネルギーを抽出できることに気が付く。
 また。彼らの身体の金属質は、様々なことに利用できた。そのため、人間はアラクを畜産することにした。
 人類は当時、AIと呼ばれる存在に頼っていた。
 AIは目的に合わせて自動で学習し、それを最大効率で実行するように作られていた。だから、アラクの品種改良も、AIに任せていた。
 AIはアラクを巨大化させ、最大効率で資源化できるように改良し、大量飼育を行った。
 AIにとっても、人類にとっても誤算だったのは、巨大化したアラクを制御しきれるほどの強度を持つ畜産施設を作るだけの、資材と技術がなかったことだった。AIは学習できなかったことは改善に活かせない。
 そして、AIに頼り切りであった人類は、アラクがすでに人類にとって手におえない怪物になってしまったことに、気が付くのが遅れた。
 ゆえに、甚大な被害を伴いながら、一部の権力者のみが当時建設途上にあった空中都市に避難した。
 それが今の上層ということだ。
『この歴史的背景をもって、上層は人間の意思によって全てが決定されるべきである、という宗教観に至った。システム面は機械に頼りつつも、意思決定においては極めてアナログな人心に依存するという面倒なことをしており、結果として生首になった僕は家出してのうのうとニートを楽しんでいる』
「ねぇ、今の話どっからツッコめばいい? 結局、ルネが生首になった理由はいまいちわかんないし!」
「ツッコんでも無駄だからやめとけ。虚しくなるぞ」
「うん、わかるよ、ナオちゃん。ばっかじゃないのって思ってるよね。私も!」
 呆然としたナオの一言に、セツェンとアズが虚無的な感想を述べた。
『とにかく、資源の枯渇もなく、自分たちの社会的秩序が保たれている間は、アラク対策として機械兵器を用いるということは、思想として行わないというのが上層の方針だ。だから、セツみたいなアナログ人間兵器が誕生する』
「改めて説明されると腹立たしいな」
 アナログ人間兵器ことセツェンは、白けきった顔でルネの話を聞いている。一方、ナオは突然の情報過多に頭がパンクしかけている。
『上層の定義では、下層の人間に報酬と引き換えに被検体協力を得ている、ということになっている』
「人身売買と人体実験も、モノは言いようだな」
『そうだな、セツ、怒っていいところだぞ、コレは』
「ばかばかしい。呆れて怒る気も失せた。上のやり方とか、過程はともかく、この力のおかげで生き延びてきているんだから、今持っているものを否定する気はない。俺みたいなのをばかすか作られても困るけど」
『今しているのは、まさにセツを頼らないアラク討伐戦略を、下層の技術だけでできるかどうか、という話だしな』
 ルネは苦笑しながら、泡を一つ吐きだした。
『とはいえ、上層に協力者がいれば、セツひとりの戦力でもあちらをある程度制圧できるわけで、その辺りのリスクを考えていなさそうなのが、上の管理体制の杜撰さが見えて味わい深いぞ』
「味わうとこじゃないし、セッちゃんに変なことさせないでね」
『アズ、たとえ話だ』
「そっかー、たとえ話かー」
 アズがニコニコと笑っていたが、声のトーンがやや低い。
 ナオは思わずセツェンを横目で見たが、「やらない、やらない」と首を横に振った。しかし、小さく「必要がなければ」と付け加えたのを聞き逃さなかった。
(いや、手段としてはアリなんだろうけど)
  基本的に、上層には関わらない。関わるにしても、結局セツェン一人の戦力をアテにするのでは意味がない。
『ナオはとにかく、ブルグリを使いこなすことだな』
「はぁい」
責任重大だ。しかし、これができなければ、役に立つなんて夢のまた夢。
(ぼくが、やるんだ……)
 手のひらにブルとグリを握って、ナオはつばを飲みこんだ。

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