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ルネの首 #26 病気のネズミは夢を見た

 ずいぶんと長い夢を見ていた気がする。
 夢の中で、セツェンは青と緑の髪をしていなかった。
 まだ黒い髪で、隣にはナオと面差しの似た少年がいた。
「なかなか下のこと覚えているやつ、いないからさ。お前の本当の名前がわかって嬉しいな」
 ――トキ。研究所で出会った、ナオの兄。
 恐らく、セツェンにとっては唯一友人と呼べる相手。
「トキ、ぼくは、どうすればいいだろう」
 自分の声が、いまよりも幼い。
「どうにもできないよ。だって、お前ができないこと、他のやつらができるわけないじゃん」
 トキは笑っていたけれど、何故かその顔がわからない。
 ナオに似ているはずの、その顔を思い出せない。
 ――そうだ、あの人に聞いてみよう。
 ふと思い立った。
 あの人。あの人。誰だっけ。
 あの人だ。アズの――。
 そこに『彼女』はいた。微笑んでいた。
 だけどやっぱり、顔はわからなかった。
 髪の毛がいつのまにか、青と緑に戻っていた。
 元は黒かったはずのセツェンの髪は、実験を繰り返すうちに白髪になっていた。せっかくだから染めようと言われたから、彼女に任せた。そしたら、こんな色になった。
 この髪は、彼女が空と海の色だと言って、染めた色。
 気が付いたら目の前の景色が変わっている。一瞬で、研究所の景色が下層の景色にとって代わる。
 死体が積み重なっている。
 地面を血が赤黒く染めている。
 悲鳴が合唱のように聞こえてくる。
「誰かたす……」
 その言葉を飲み込んだ。
 誰も助けになんかこない。自分が助けにいかないと。
 トキと約束をした。あの人がここに連れて来てくれた。
 誰の助けもいらない自分にならなければ――。
 痛い。苦しい。どこからくるのだろう。
 死体で道がふさがれている。どこへ行けばいいのだろう。
 ――カミサマはもういないよ。
 これは誰の声だ。自分の声か。トキの、彼女の、アズの。
 誰のものでもない。
 誰も助けてくれない。助ける義務もない。
 助けてくれる人は、助けるべき人は。
 カミサマは――ここにも、どこにも存在していない。
「た……す……」
 なおも漏れかけた悲鳴を呑み込んだ。
 誰かのために、カミサマにならなくていい。誰か助けるために生きなくても良い。誰かを頼ってもいい。
 ナオはそう言った。だけど――カミサマなんていないのだ。そんなもの、最初から信じていない。
 カミサマは、所詮自分を支えるための言い訳だから。
 ――助けて、と。
 一度でもその言葉を口にしてしまったら、もう二度と立てない気がしたから。

「なぁ、アズさんよ……」
 サリトは覇気のない声で、腕を組んで壁にもたれかかっていた。視線の先には眠っているセツェンがいる。
 麻酔が切れたのだろう。熱と痛みでうなされて、時折何やらうわごとを言う。
 聞き耳を立てたわけではないが、すぐそばで容態を看ているので、どうしても聞こえてしまう。
「夢の中ですら助けを求められないようなヤツに、俺らがしてやれることなんかあるんかね」
「うっさいですよ。私は今頭パンクしてるんで、話しかけないでくださーい!」
 アズはほとんど涙声になって、セツェンの枕元に突っ伏した。
「どーーーしろっていうの!」
「どうしようなぁ……」
 ヤケになったアズの嘆きに、サリトは気まずそうな苦笑いで答えた。いつも飄々とした態度を取る彼をもってしても、この状況に答えは出せていない。
 何せ主戦力が戦闘不能だ。
『アズ、ひとつ質問なのだが』
 急に、キューブを通してルネの声が降ってきた。
 アズとサリトは一瞬、目配せをしあって、そろってキューブを見上げた。
「ルネ君、お察ししていると思うけど、新種の巨大アラク退治に、セッちゃんは頼れないわ。もうズタボロです。色んな意味で」
『それは知っている』
 ルネにはすでに、新種アラクのことを伝えてある。アラクの大きさや強度などは、セツェンが討伐した一体目のデータを送った。データがなければ対策のしようがないわけだから、怪我をしているのに制止を聞かなかったセツェンは、ある意味現場に応じた対処をした、と言える。
 最適解が『ナオと彼女が見つけた少女を見捨てる』であったことは言うまでもないが、すでに起こったことを後悔しても仕方がない。そして、その最適解が後悔を残したであろうこともわかりきっている。
「ルネには、セッちゃん抜きでもどうにかできる、いいアイデアがある?」
 データの扱いで言えばアズよりもルネの方が優れている。彼は、救済機関や研究所から引きだした膨大なデータを保有しているからだ。ここは素直に頼るべきだった。
『君の頑張り次第、といったところかな』
「できることならやるよ。っていうか、やるしかない」
『できないことはやらせない。とりあえず、君に聞きたいのは、ブルグリと同じものを短時間で量産することは可能かどうかということなんだ』
「ブルグリやキューブの出力じゃ、あの巨大アラクには通用しないよ」
 ナオに持たせたブルとグリは実戦用にかなり出力を上げているが、その分、一度のエネルギー充填で撃てるレーザーの数に限りがある。再充填には時間がかかるし、ブルグリの出力でもあの新種を足止めするには不足していることが、実戦によって証明されたばかりだ。
「あれ以上出力あげると、実用的にならない。固定兵器クラスになっちゃう。あと、かなり良いエナジーコアを使っても、エネルギー充填効率が下がる」
 エナジーコアは、アラクの心臓となる『核』を加工したものだ。外気から化学反応物質を取り込んで、エネルギーを発生させることができる。しかし、大きければ大きいほどに制御が難しく、充填にも時間がかかる。エネルギー放出時に発生する放射線の防護も必要だ。
 要するに、新種に対抗できるレベルのものを開発するのは、時間もかかるし資源もたりない。
 が、ルネの返答はシンプルなものだった。
『現状の性能で、できるのか、できないかを聞いている』
「…………上にゴリ押しすればできる」
 ここまで言うからには、ルネにはそれなりの根拠と策があるのだろう。アズはそれを信じることにした。
『何機くらい作れる?』
「上に保管されてる材料次第だけど、三十機は確保する」
『では、ひとまず作ってくれ』
「オッケー。どっちみち、何かしらやんないとだしね」
 アズは技師だ。本来、セツェンがこういう事態にならないように、手段を考えるのが仕事だ。
 だから、これは未来への投資だ。セツェンを追い詰めないための、そしてナオをはじめとした下層の人間を犠牲にし続けないための。
 本当なら、こんな事態になるためにやらなければいけなかったはずだ。
『上手くいけば、セツが回復するまでの時間稼ぎができる』
 いやに自信満々な声音で語るルネに、アズは若干の不安を持って尋ねる。
「まさか、上の兵器を動かして云々じゃあないよね?」
『さすがに上の連中も、そんな簡単に何度も乗っ取らせるほど、アホではないだろうな』
「デスヨネー」
 さすがに、上の兵器を気軽に使いまくられても困る。アズでも、上層の戦略兵器の使用履歴を改訂することはできない。それに、上層からの攻撃でアラクを殲滅しようとしたら、下層街が無事では済まない。
『今はこのルネ先生を信じてくれたまえ』
「信じるも何も、セツが戦えないならもとより俺たちが何とかする他にないんだ。ルネサンスの脳みそにあやかっておくのは、俺たちがない頭ひねるよりずっといい」
『おや、サリトもいたのか』
「今んところ、実働部隊が俺とナオしかいないんだ。人手不足で休みもないわけよ。ここにアズとリタを加えたって、セツ一人の働きにほど遠い」
『それも知っている。最低限、できることはしよう。いずれ、こういう事態になるのはわかりきっていた。思っていたよりも早かっただけだ』
「ムカつくくらいに冷静だな、生首氏」
『そう聞こえるか?』
「俺からしたらな」
『これで僕は怒っている。もちろん、セツやナオに対してでも、君たちに対してでもない。あの鉄のクモにでもない』
 ルネの声には、いつになく熱がこもっていた。それは確かに、怒りといってもいいように聞こえた。
『僕は下層の暮らしが本当に気に入っていた。一生、生首ニートでいいとすら思った。だから本当に怒っている。上の連中と、生首でいる自分に』
 首しかないルネは、兵器の制御をしない限り実戦要員にはならない。知識は貸せるが手は貸せない。そして上層から逃げている立場上、協力を求めるわけにもいかない。
 この状況においては、ルネは知識を貸す以外に全く役割がない。それを、彼は本気で腹立たしく思っているということだ。
「生首氏に仲間意識があったとはな」
 サリトはややいつもの調子に戻ってそう揶揄したが、キューブごしに聞こえてきたツネの声は、まだどこか苛立っているような声音だった。
『バカにしてくれるな。僕はグループの一員だ。そう言ったのは、ナオでありセツだ。このグループの約束は、仲間は見捨てず助けることだ。セツがなんと言おうが、ナオがどれだけ凹んでいようが、僕は僕の意思で、このグループの約束を守る』
 アズが顔を上げる。
 セツェンは、誰も何も得をしないのに子供を拾って、そして小さなグループを作り上げた。あまり器用な性格でもないのに、無理をしてでも仲間を信じる約束を守って、危ういバランスを保ちながらもそれを形にした。
 その仲間の中に、自分は入っていない。アズは、セツェンとあまりに関係が近すぎて、彼の知られたくないことまでを知り過ぎていて、だから彼が自分の心を守るために作った小さな約束の中には含まれなかった。
 だけど、セツェンは誰にも助けを求められなかっただけで、アズの手を離したわけではない。アズも、彼の手を離した覚えはない。
 キューブを握りしめて、祈るように呟いた。
「ルネ君、セッちゃんを助けて」
『君には一番に働いてもらうことになるぞ』
「いいよ。何もできない方が嫌だもの。こっちは下層で生きている時点で、とっくに覚悟決まってるのよ」

 翌朝、ナオはベッドの上で目を覚ました。
「あれ? もう朝?」
 途中でアズと交代するはずだったのに、起こされなかった。もしかすると、起こす暇もないほどの何かがあったのだろうか。
 慌ててセツェンのベッドを確認すると、アズはセツェンの枕元に伏せて寝息を立てていたし、何故かサリトもベッド脇の椅子にすわっていびきをかいていた。セツェンもまだ寝ている。寝息は昨晩よりも穏やかだ。
 どうしたものかと立ち尽くしていると、ブルとグリがふよふよと飛んでくる。
『夜中に色々あってな。朝方まで話し合っていたら、二人とも寝てしまった』
 ルネだ。話し込んでいた、ということは、つまり二人は徹夜させられた上に寝落ちしたということだ。
「そう……ルネと違って人間は睡眠が必要なんだよ」
『僕だって組成は人間と変わらないのだが』
 ソセーとは何だろうか。知らなくてもいい気がする。ナオの嫌味ははぐらかされたということだけは、絶対的に理解できた。
『状況は大体聞いた。さすがの君も多少は落ち込んだだろうが、元々、セツ一人にやらせていたのが無理筋だったんだ。切り替えて、自分にできることを考えろ』
「っていうけどさぁ……」
 思わず恨みがましい声をあげる。
 今回のことで、自分が改めて無力であると思い知らされたばかりだというのに、何をどうしろと。
『君にセツ並みの働きなんぞ、誰ひとり期待していない』
「うっ、サリトさんにも似たようなこと言われた……」
『事実だろう。立ち直りの速さが君の取り柄なのだから、しっかりしろ。セツの方がメンタル面では被害が甚大だ。君が落ち込んだ分だけ、セツが無駄に重荷を背負いこむぞ』
「……何かその状況はすごく想像つくんだよな」
 ナオが気にすれば気にするほど、助けてくれた当の本人が「俺がもっと早くこなかったせいだ」とか言い出しかねない。こういう時に、とりあえず自分が全部責任を負うべき、と考えるのがセツェンである。
『君は頭を使う係ではないのだから、へらへら笑ってセツのメンタルを保護しておけ。それと、あの巨大な新種のアラクはもう一匹いるそうだ』
「ふーん、そっか~…………って、今なんて?」
『もう一匹いる。セツが相手にした、あのデカいのが』
「ええええーーー!?」
『大きな声を出すな。三人が起きる』
 ルネの声は呆れ混じりだ。しかし、声が出るのも仕方がない。何せ、唯一あの鉄グモを倒せる戦闘要員が、瀕死の重傷なのだから。
「どどどどうすんの!?」
『だから、大きな声を出すな。セツがあの場で無理をしてでも一匹潰しにかかったのは、つがいの片割れの二匹とも残すわけにはいかなかったからだな。そういう点も含めて、君は落ち込んでいる場合じゃない』
 そういえば、鉄グモがつがいで行動するのだった。豆知識を思い出して、急に気が遠くなった。寝ている場合ではなかったのでは?
「……それで、アズ姉と、サリトさんと相談を?」
『そういうことだな。ひとまず、この件についてはセツがもう少し回復してから、詳しく聞くことになる。現状、もう片方は市街地にまで来ていないのだから、つがいの死骸を見つけて警戒しているかもしれない』
「でも来るかもじゃん!?」
『しばらく来ないことを祈るしかない。セツに任せきりだったツケだな。僕にも考えがある。もちろん、ナオにも働いてもらう』
 ここまで来ると三周くらい回って、少し冷静になってきた。どうにもならないが、どうにかするしかない。予定がだいぶ早まっただけで、いつかはこういう時がくることになるはずだった。
「お、おう……やるしかない……な」
『その通り。死にかけのセツを駆りだしたくないなら、君は相当に頑張らねば』
 ブルグリ越しにルネの笑い声が聞こえる。
(でも、なんでだろな……)
 いつも意味不明なくらいに自信たっぷりなルネが、素直に厳しい状況を伝えてきたからなのか、それとも声だけを聴いているから印象が違うのか。
 何となく、ルネが何かを「覚悟」しているように思えてならなかった。
「今の……ルネ?」
 かすれた声が聞こえた。ベッドを見ると、セツェンが目を覚ましたようで、幾度か眠たげにまばたきをする。
「あ、ごめん起こした?」
「……いい。今何時だ。…………あと、水」
「翌日の朝。コップでいい?」
「……いい」
 身体を起こすのはまだ無理そうだったので、首だけ少し持ち上げて飲ませた。二杯ほど水を飲んだ後、セツェンは長く深いため息をつく。
「けが、痛い?」
「…………痛くないように見えるか?」
「ごめん」
「ナオのせいじゃない」
 予測していた通りの答えを返した後、セツェンはブルグリの方へと目をやった。ブルグリ越しにそれを感知したのか、ルネも反応する。
『セツ、今の話をどこまで聞いていた?』
「お前に考えがあるらしい……とこから」
『そうか。説明の手間が省けた。もう一匹いるアラクは、セツは見つけていたのか?』
「目を三つ潰した。だからナオのところに行くのが遅れた」
『それは君の責任じゃないし、むしろ助かった』
 こちらは目をひとつ潰すことにすら苦労しているのだから、三つでも目を潰してくれたことには感謝しかない。
『三つ目が潰れているなら、少なくとも再生するまでは警戒してあまり動かないはずだ』
「もう少し動けるようになったら俺がいく。危ないことはしないでくれ」
『却下。今危ないのは君だ』
「俺以外に誰が始末をするんだ?」
『何のために僕が知恵を貸していると思っている? 絶対安静の半死人が調子に乗るな』
「お前……言うようになったな」
『僕は最初からエラそうだぞ。ナオもそう言っている』
「自慢げにいうことか……」
 呆れたからなのか、それとも疲れてしまったのか、セツェンはもう一度ため息をつく。
「ふぁ……?」
 会話している内に、目を覚ましたらしい。アズが、目をこすりながら起き上がる。
「あっ、ごめん、ナオちゃん……交代忘れてた!」
「いや、ちゃんと寝てたなら、ぼくはいいんだけど。セツ兄も意識戻ったみたいだし」
 アズがセツェンを見るなり、椅子を転がしながら立ち上がった。
「セッちゃん生きてる!」
「…………人を勝手に殺すな」
「いや、死んだと思ったわけじゃないけど、実際死にかけていたんだから、生存確認はするでしょ?」
「そんな簡単に死なない」
 セツェンは若干白けた顔で淡々と答えたが、アズが寝ている彼の額をべちべちと叩きはじめる。
「おい、アズ……やめろ」
「やめません! お姉ちゃんがどんだけ心配したと思ってるんですか、もー、この子は! 傷は腫れるし熱は出すし、夜中にうなされまくっていたのに、簡単に死なないとかどの口? 説得力ゼロ。ベッドに縛り付けておくから」
「……いや、縛るのは、やめろ。その……子供たちが心配するし、一度……帰らないと」
 もごもごと言い訳を始めたセツェンを軽やかに無視して、アズはナオの肩をがっしりと掴んだ。気圧されるほどの迫力。なるほど、セツェンの自称姉。気迫はキレたセツェン以上にある。
「ナオちゃん、子供たちに、セッちゃんは忙しくてちょっとしばらく帰れないって伝えてきて。今はこっちの方が危ないし、心配のあまり来られてもだから、ケガのことは伏せておいて。オッケー?」
「ラ、ラジャー!」
「おい、ナオ……」
 セツェンの声を、ナオは無視した。強者に従うのが下層を生きぬく術。今、この場での強者はアズ。
「セツ兄の声はきこえませーん」
『重傷患者がやってきて元気そうに振舞うのは無理があるぞ。セツ、ここは素直に聞いておいた方がいいぞ。思春期やっている場合じゃない』
「思春期は関係なっ…………」
 ブルグリを通して聞こえてきたルネの揶揄に、起き上がろうとしたセツェンがそのままベッドに沈没する。
「セッちゃん、お姉ちゃんはね……セッちゃんのそういう素直な反応嫌いじゃないよ。さぁ、ゆっくりとおねんねしましょうね~」
「…………幼児扱いもやめろ」
 セツェンの怨念のような呟きを無視して、アズはセツェンのズレた枕をそっと押してやった。
 とにかく、しばらく復活は無理そうである。
 色んな意味で。本当に色んな意味で。

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