飲茶のニーチェで最強になれそう

Audibleなのに積読

私はAudibleで本を読む。通勤時間や散歩中に本を聞くのが好きだ。聞く方が読むより簡単だという利点がある。だからといって積読せずに済ませることはできない。次から次へとおすすめ本が提供され、ダウンロードしてしまう。書店に行っては気に入った本をAudibleで検索し、ライブラリにストックする。結局、なかなか読まれない本がAudibleのライブラリに積みあがっていくのだ。これは現実の積読と変わりない。最近一冊消化したので紹介しようと思う。

最強のニーチェ

冒頭を読んで、おバカな女性主人公にうんざりして挫折していた本である。しかし、今回最後まで読んで本当に良かった。後半で筆者が吃音に触れたところは、非常に感動した。単なる解説本ではなかったのである。

生きろ

生を肯定し、その強さを芸術として表現せよ、とニーチェは言う。自分が楽しいと思えることをして、自分の価値を実感し、それを積み上げていくのだ。周囲から与えられた価値観に振り回されるのではなく、自分を重視しよう。そもそも、価値という考え方さえ、後から付与されたものだ。奴隷道徳(弱いものが善で、強いものは悪)という考え方も価値をベースに考えてしまっている。そもそも価値を前提に考えることに疑問を持った方が良い。

ネガティブ思考

ニヒリズム(=虚無主義)に陥ったとしても、「力への意志」があれば、抜け出せる。もともと自分に備わっているものが力になる。新しく何かを身に着けようともがく必要はない。強制される必要もない。もともと持っている能力を伸ばせば良い。のびのびと自由に育てれば良い。やらなきゃいけないとがんじがらめになる必要もないし、何かを探すこともない。すべての価値は、後からつけられるものだ。他の人が勝手に成功だと言ったり、失敗だと言ったりするだけだ。そんな他人の評価軸(=価値)に縛られる必要はない。

著者の「飲茶」先生は吃音

50音表の一部が黒で塗りつぶされてしまったような感覚。どうしても黒で塗られた単語から話し始めることができない。だから、その音から始まらない単語を使ってしまう。好きな食べ物が何かを聞かれたときに本当は「えび」と答えたいのだけれど、「え」を発音しようとするとうまく発音できないから咄嗟に「かに」と答えてしまう。それは嘘をついているんじゃないかと思うかもしれない。嘘をついてはいけないという価値観に縛られているからそう見える。何と答えたって良い。自分の回答よりも他人の価値観を優先させた結果の回答である。しかし、ニーチェが言うのはそれでも良いということだ。

だから生きろ

それぞれの価値観で生きて、答えて、会話をしている。それを嫌だと思う価値、良いと思う価値、それは十人十色で、悪いことではない。民主主義が招いた暗黒時代もあった。だから少数派でも良いのだ。自分に最強であれ。

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