彼の地へ。
米澤穂信『さよなら妖精』を読んだ。
このnoteはネタバレがあると思って読んでほしい。未読の人は読まないほうがきっと良いだろう。
<あらすじ>岐阜県高山市をモデルとした地方都市・藤柴市を舞台に、語り部を務める守屋路行を含む4人の高校生と、ユーゴスラビアから来た少女・マーヤの交流を描いた青春ミステリ。マーヤの帰郷先を特定する犯人当てと同質の謎解きを中心にしながら、マーヤと過ごす中で出会った様々な日常の謎にまつわる推理も展開される。それらと並行して、マーヤとの交流をきっかけに別世界への羨望を抱いた守屋の心理が描かれる。
ユーゴスラビア。この響きに懐かしさを覚えるのは、もう一定以上の年齢の方だけだろう。彼の地はカリスマ性に満ちた指導者・チトーの逝去とともに崩れ去った。1992年のことだ。異なる民族をカリスマでまとめ上げた多民族国家は「民族自決」という甘美な響きの下、一つ、また一つと分裂していった。鉄と血を伴って。
この小説の特異点である少女・マーヤ(Marija Jovanović)はそのユーゴスラビアに産み落とされ、軋んでいく自国を見て政治家になろうと決意する。多民族国家である母国を文化でまとめ上げるため、その見聞として日本を訪れていた。
ストーリーの中で、マーヤは日本特有の文化の中にいくつもの疑問を見出し、親交を築いた高校生たちとその謎を解き明かしてゆく。しかしマーヤはずっと日本にいられるわけではなく、いつかは内戦真っ最中である母国・ユーゴスラビアに帰らねばならない。実際、彼女は突然にもいなくなってしまう。
物語終盤、主人公である守谷は彼女を探すためユーゴスラビアに旅立とうと計画しているところで、彼女の死を伝えられる。そして以前訪れた山に彼女の形見を埋めるところで、物語は終結する。
僕らが生きる日本には、少なくとも第2次世界大戦終結後、内戦が起きたことはない。日本オワコン論が散々唱えられてきたが、どうやら当分の間はこの国が崩壊することもなさそうだ。だからか、「わざわざ内戦中の国に帰る必要などない」と思ってしまう。しかしそれはきっと違うのだ。彼女はむしろその崩壊を止めて再統合することを自らの信念としていた。死の恐怖を抱えてなお、彼女は母国に帰らねばならなかったのだ。
それじゃあ僕は?なにかのリスクを抱えて、それでも抱き続ける信念はあるか?否、無い。むしろ無為に、ただ目の前の日々を過ごすだけで生きている。
マーヤの生き様に、僕は何を思えば良いんだろう。何を感じれば良いんだろう。思うに信念とは、砂鉄のようなもので、それが集まる人のものには幾らでも集まってくる。逆に、適当に日々をこなしているだけの人間が信念を抱くことはないだろう。じゃあ僕はどう過ごせば良いのだ。今は分からない。いつか分かるといいな。
さよなら、妖精。
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