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危険だから楽しい?大人対子ども?いいえ、これは子どもの自己決定のお話。

ロックダウンでデンマークの公共図書館が閉鎖される直前に、たまたま図書館で手に取った絵本が、実はとても深いテーマを描いていたことを、わたしは全く知りませんでした。最近は、めっきり絵本と触れる時間が減ってしまっていたのですが、そんなわたしにとって、とても大きな出会いとなった絵本です。

『穴』のあらすじ

『穴』というタイトルのこの本。著者はスウェーデンのイラストレーターで児童書作家のEmma Adbåge。彼女は他にいくつも作品を発表しています。

「運動場の横にある体育館のうらがわに、大きなくぼみがあります。わたしたちは、それを 穴 と呼んでいました」という文で始まるこの作品。ここでは、小学校低学年の子どもたちが、休み時間に体育館の裏にある大きな 穴 で、転がったり、岩に登ったり、飛び降りてみたり、切り株の下にもぐったりして遊んでいます。休み時間には先生たちが子どもの遊ぶ様子を監視しているのですが、どの先生も、子どもたちが体育館裏で遊ぶことをあまり良く思っていません。

「いつかのように、またこけて怪我をするよ」
と、直接子どもにうったえる先生もいます。

それでも子どもたちは、

「こけたのは体育館だったよ」
と返事をするだけ。

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そんなある日、休み時間に教室から飛び出したある女の子が、階段でこけて鼻をひどく打ちます。血が出てとても痛そうな様子を子どもたちは不安そうに見つめます。

「だから言ったでしょ⁉」
担任の先生は教室で子どもたちを諭します。そしてこれからはもう  穴 で遊ぶのは禁止と言うのです。

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「えーー、なんでーー?」という子どもたちに、担任の先生はただ、
「そうだから、です!」と答えるのみ。

その事件があって以来、子どもたちは一週間ストライキを始めます。休み時間になると皆ブスっとしてただブランコや地面に座って過ごします。石けりも、空気がパンパンには入っていないボールにも飽き飽きしたと、子どもたちは態度で示します。

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その後、今度は例の 穴 のそばで遊ぶようになります。穴の中までは入らないので先生たちとの約束は守っているものの、そのギリギリのところで石を投げたり、バランスを取って遊び始めるのです。当然、この行為が気になる先生たちは少しイラついた表情で子どもたちを見つめます。

「そんな顔してぼくらを見るのは止めて!」
と、子どもたちは叫びます。だって穴の中では遊んでないのですから。

金曜日の昼休み、トイレに行きたくて校舎にひとり入っていった主人公のわたしは、先生たちの会話をたまたま聞いてしまいます。

「このままで良いはずはないでしょ!」と担任の先生。
「そのうち、きっと穴でまた遊び始めるだろうし!」
「もうあの穴はふさいでしまうべきだな」と別の先生は話します。

翌週月曜日。子どもたちが学校に来てみると、穴は完全にふさがれていたのでした。もう転がる場所もありません。ぶら下がったり、すべり落ちたりもできません。ただまっ平らな地面が広がっていたのです。子どもたちは、呆然と立ち尽くしました。

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でも!なんとその先に、子どもたちはまた別のものを発見するのです!

それはなんと小さな土の山!そこには、大きな石や切りかぶ、丸太がゴロゴロと転がっているのです。子どもたちは急いでその土の山に登り、遊び始めます。

「穴」は「山」にとってかわられたのです。
先生たちはまた子どもたちを監視する日々が始まりました。


子どもと大人の言い分

この本を読んできっと多くの人々が思い出すことがあると思います。子どもの頃、近所で「危ないから遊んではいけないよ」と言われると、逆にそこがいかにも魅力的な場所に思えたこと。面白い遊びをして夢中になっているところを「危ないからだめよ」と大人に止められたことがある人も多いのではないでしょうか。

その逆に、子どもがいる人であれば、何でうちの子はこういうところで遊びたがるんだろう…?という、怪我をしそうな場所でお子さんが遊んでいた経験もあるかもしれません。子どもにとって面白い遊び場は、たいていの大人にとっては、できれば遊ばないでほしい場所だったりします。

この本でとても良く描かれているのは、そんな大人側の視点と、子ども側の思いがくっきり描かれているところ。少なくとも、大人が読めばどちらの立場も理解でき、うーんと唸りたくなってしまうジレンマを感じさせてくれる本です。

…と、わたしの読解力はそこまででした。
ここからがまたすごいのです。


ヨーテボリ市の「今年の本」

著者でイラストレーターのEmma Adbåge は、この作品で2018年にスウェーデンの名誉ある文学賞、アウグスト賞を受賞しています。そして、この本はスウェーデンで2番目に大きな街、ヨーテボリ市のプロジェクトとして、就学前準備クラスの子ども全員に配布される絵本として認定されます。2017年から始まったこのプロジェクトでは、2019年と2020年の2年連続で、この『穴』が「今年の本」として配布されることになったそうです。

そして、ただ配って終わらないのがこのプロジェクトの素晴らしいところ。図書館訪問を通して配布されるこの絵本を、市では1年を通して、6歳の子どもたちが、学校の授業や学童保育所、図書館などさまざまな場所で、多様なテーマで掘り下げていくのだそうです。職員や教員、司書のための研修も準備されているとか。図書館司書のはしくれとしては、何でこんなに面白そうな企画が海の向こうでは実現できるんだろう!となんとも羨ましい気分になります。

テーマのひとつは「子どもの自己決定権」

さまざまなテーマで掘り下げられるというこの作品。特に注目なのは、
「子どもの自由な遊び」と
「小さくても自分の声を聞き入れてもらう権利」
です。子どもの権利条約に触れている解説もありました。

子どもの安全を守りたい大人側の立場や視点が当然のように重視される、現代の子どもの遊び環境においても、子どもたち自身の声を聞き取っていくことや、子ども自身のもつ権利、その表現の仕方にもテーマは及んでいます。そして、そういったテーマを子どもたち自身と、絵本を通して話していくのです。

子どもたちが1年を通して、何度も何度も1冊の絵本に向き合いながら、色々なエピソードや場面について多様な視点で語り合う。なんと贅沢なプロジェクトだろうと思います。そしてこの本は、いくらでも掘り下げていける深みをもった本なのでしょう。2年連続でプロジェクトに選ばれたという『穴』。日本でもし出版されたなら、どんなふうに受け止められるでしょうか。

"Gropen" Emma Adbåge, Rabén & Sjögren 2018. 
(参考にしたのは、デンマーク語翻訳版 " Hullet", Klematis)

Alla barn i förskoleklass får bilderboken Gropen
”I Gropen får alla vara sig själva”
"Gropen” är årets bokgåva till alla barn i förskoleklass i Göteborgs Stad



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