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永住権までの長い長い道のりの話

2018年8月31日に、念願の永住権を取得した。デンマークに暮らし始めて7年目あたりからずっと取得したいと願ってきたが、私の思いを知ってか知らずか、毎年の度重なる法改正、政権の交代などに振り回され、在住16年目を迎えた今年8月にようやく取得という、途方もなく長い時間がかかってしまった。

永住権の話をデンマーク人とすると、たいてい始めは国籍取得のことと勘違いされる。そして次に「あなたは一体何年住んでいるのか?」「そんなにデンマーク語が話せて家族がいるのになぜまだ永住権(でさえ)出ていないのか」という展開になる。そのたびに、なぜなのかを説明するはめになる。

私がこの国に暮らし始めた2003年頃は、7年間暮らせば自動的に永住権が出ると言われていた。しかしその当時、政界に影響力を及ぼし始めたデンマーク国民党(Danske Folkeparti) によるEU外からの移民への締め付けも、同時に本格化してきていた。

2010年。7年へあと一歩という段階で、厳しい法律改正が行われた。俗にいう「ポイントシステム」だ。一定の語学力取得に加え、2年半のフルタイム労働、ボランティアあるいはそれを補う試験の合格など、様々な条件をクリアし、100ポイント中70ポイントを取得すれば永住権が取得できるというものだった。

当時の私は、3歳の娘を保育園に通わせながらフルタイムで学生をしていた。フリーランスでいくつか仕事をしていたが、この国で生活していくためには、この国で認められている教育や資格がないと仕事を得るのが難しいと痛感し、学生をすることを決めたのだった。就労が絶対条件である限り、当時の私には永住権取得は非現実的であり、まずは学校を卒業して仕事に就くまで取得はありえない、遠い存在だった。

2011年10月、デンマークでは政権が交代。自由・保守の連立政権から、社会民主党系の連立政権となり、外国人法も大きく改正された。前政権時に導入された申請の有料化がまた無料にもなった。

私は2011年1月に二人目の子どもを産んだ。一年間の産・育休を取得した後、2012年1月に復学。1歳になったばかりの息子を慣らし保育へ通わせながら、大学院の最後の単位、修士論文を書き始めた。5歳と1歳の子どもがいながら外国語(デンマーク語)で修士論文を書くという作業はなかなか大変で、予定より1か月延長を大学に申請しながらも、7月末に無事書き終わり、大学へ提出した。

論文の口頭試問が8月21日になったと知らされた時、同時に新しい情報が舞い込んできた。なんと大学・大学院生であっても将来の社会貢献を見込んで永住権の申請が可能になったという。しかし2012年8月現在の私は、口頭試問に合格すればもう学生ではなくなるはずだった。そして次の私の身分は求職者。審査期間である最低8か月間は学生でなければいけないこの制度は、私には導入が遅すぎて使えない。では卒業しなければ良いのか、留年すると言えばよかったのかというと、そういうずるいことをしたくはなかった。それに、子育てしながら通った学校をきちんと修了することには何も落ち度はない。社会的に考えても、これがもとで永住権申請ができないのはおかしいと思った私は、学生である時期があと数週間で終わるとわかっていながら永住権の申請をした。

数か月後に移民局から来た手紙には申請却下と記されていた。理由はもちろん、私が大学院を修了したことがわかったからだ。こうなることは初めから予想していたので、すぐに不服申し立てをした。もちろんこれで永住権を取得できるとは思っていなかったが、あまりにもルールが変わりすぎてフォローできないこと、そして在学を延長するより修了することの方が好ましい私の状況や法律改正直後であったことも鑑みてほしいと再審査を求めた。勝ち目はないと思っていたが、これをせずにはいられないほど悔しかった。数か月後、当然のように再審査請求は棄却された。

2012年夏、学生から求職者になった私は仕事を探し始めた。求職中に就労経験を得ることを目的とした制度を使い、いくつかの図書館で研修を受けたり、週30時間公共図書館のカウンター業務をしたりしながら時は過ぎていった。いくらこの制度で働いても、外国人法では労働とはカウントしてくれない。一日も早く正規の仕事を見つけなくてはいけなかった。この当時、私たち家族は引越しをしたばかりで息子の調子が非常に悪く、また引越し先で保育園を確保できなかったこともあり、保育園児2人をバス2つ乗り継いで毎日送り迎えしていた私は、正直、今仕事が決まったら家族共倒れだなと思っていた。だから仕事がなく、子どもたちと向き合える時間があったことは正直ありがたかった。しかしこの求職期間の長期化が後で影響を及ぼす。

2014年5月、臨時職だったがフルタイムでの仕事が決まった。子どもたちも新しい環境で落ち着いてきていたし、私も求職状態であることに疲れを感じてきていたので、とてもありがたかった。この頃は毎日とても大変だったが、充実していた。

2014年2月に政権はまた自由・保守系に交代、外国人法は政権交代前以上に厳しく締め付けられていった。しかしまだ抜け穴はあった。大学院在学2年間で取得できるECTS単位を1年間の就労とカウントできるという、また新しいルールができていた。これは使わないわけにはいかない。過去5年間で、合計2年以上の就労という新ルールになったこともしっかり調べ上げ、1年契約だった仕事が半年延長された時、すぐにまた永住権申請をした。

2年の就労はこれで確実にクリアしたと思っていた。だが結果は却下。しかもこの手紙が届いたのは12月23日。デンマークではクリスマスイブは、一年で一番家族で楽しく過ごす日ではないのか?そんな日の前日にこんな手紙を送ってくるのがデンマークの移民局なんだなと、その冷酷さをかみしめた。

却下の理由はこうだった。私が取得したECTS単位のうち、いくつかは過去5年より前であるため使えないという。移民局は卒業年ではなく、単位一つ一つ、その取得年を見ていたのだった!過去5年より前というのは、私が大学院に入学して前半のセメスターで取得した単位だった。その後、最後のセメスターを残して1年間産・育休を取得したり、1年半ほど求職中であったために、最初に取得した単位がもう5年以上前になってしまったのだった。つまり、使えるECTS単位は就労1年分には足りず、合計でも就労2年には至らないので却下となったということだった。

泣いた。この国では何十年も前に卒業した学歴がCVでは使えるのに、移民局では、過去5年に数か月足りなければ一切役に立たず切り捨てなのか。しかも古くなった理由は、この国での当然の権利である産・育休だ。求職中の時も実際は仕事をしていたがそれはカウントされない。就業者の場合、産・育休期間は就労期間としてカウントされるのに、学生だと単位取得の年月のみを採用するこの制度は、今でもとても不公平だと思う。
またこの時、職場では期限付き職員として働いていたポジションの正規職応募に落ちたところだったこともあり、まさに踏んだり蹴ったりで辛い時期だった。

捨てる神あれば拾う神あり。2015年2月からは別の職場から声をかけてもらいブランクなく採用された。これもまた期限付きだったが、仕事を続けられればいつかは永住権の申請にも役に立つと思いありがたく受けた。もう大学院の単位は申請基準からは古くなる一方だったので、純粋に就労年数をかせいで申請しようと考えていた。

それと並行して外国人法はますます厳しくなっていった。就労が「過去5年のうち2年→3年→3年半」となり、私が申請したルールでは、過去4年のうち3年半、しかも審査期間中(約8か月)も在職でなければならなかった。私のように、産休代理など期限付き雇用である限り、永住権申請は難しくなっていた。図書館司書という職業は、デンマークではどんどん必要とされない職になってきている。特に公共・大学・学校図書館では、リーマンショック以降、採用が減らされ続け、一つのポジションに100人程度の応募は珍しくない。私は児童書部門なのでそれほど多くはないにせよ、40~70人程度の応募が普通だ。そんな狭き門の中で、デンマーク人と対等に戦って勝ち取る自信は私にはなかった。

仕事の契約期限が切れる1か月前、何となく応募した産休代理の公共図書館の職が決まった。またしてもブランクなく次の仕事につなげることができた。経験も少しずつ重ね、期限付きの職であれば面接に呼ばれる手応えは感じ始めていた。

産休代理職へ異動したあと、前職の上司から連絡があった。なんとかして枠を設けるから戻ってこないかと声をかけてくれたのだった。これは、期限なしの職、正規職としてのお誘いだった。嬉しかった。やっとこれで不安から脱出できる、いつか永住権を申請できると思った。もちろんすぐに返事をした。ただ、もらった労働時間は週20時間。これは永住権申請には足りなかった。

もう永住権なんて良いや、とやけくそな気持ちにもなっていた。やっとの思いで手に入れた正規職、期限なしの職。これさえあれば、週20時間でも他にしたいこともできるし、自分らしく生きれば良いと思っていた。でも、仕事を進めていくについれて、やっぱり永住権が欲しいという気持ちが戻ってきた。永住権は、私にとってはもう、どうしても手に入れたいものだった。

「過去4年間のうち3年半の週30時間以上の就労」に、あと4か月、週10時間の仕事を上乗せすれば永住権の申請はできる、と分かった私は、あちこちに問い合わせた。上司にも「3年半の週30時間労働という条件に、あと4か月足りません。4か月だけ契約労働時間を増やしていただけないですか」と直談判した。管理職で相談すると言われしばらく待った結果、無期限で30時間という提示を受けた。嬉しかった。これでやっと申請できると思った。

2018年1月。政府が難民の滞在許可を厳しくすることに躍起になっていて、在住外国人の永住権に珍しく手を入れなかったこの年に、私は3度目の正直で永住権申請をした。4000クローネ、日本円で約7万円ほどの審査料も支払った。かなりの確証がないとこの金額を収めてまで申請できない。でも今回は継続した仕事があったから申請できた。

そして8月31日。電子ポストに移民局からの手紙が来ていると、翌土曜日に私のメールボックスに連絡が入っていた。来たなと思った。恐る恐る開けると、目に飛び込んできた文字はこれだった。

「あなたは、デンマークで永住権を取得しました」

長かった。本当に。でもどうしても欲しかったんだなこれが。結婚ビザで不自由なく生活も仕事もできるし、それを3年ごとに延長するだけで問題はなかった。それでも、自分のためにこれがどうしても欲しかった。結婚していることと無関係な、自分の力で滞在できる自由が欲しかった。次は、国籍取得?まだわからない。でも自分が暮らす国で、政府の意向に振り回されておびえながら暮らすのはもう嫌だった。ずっと自分で自分の人生を生きてきたからこそ、私には選ぶ権利もない、自分ではどうしようもない人たちに振り回されて生きるのが嫌だった。それから解放される第一歩が永住権だった。これでやっと自分らしく、自分の人生を生きていける、心の静けさを得た。


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