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【『逃げ上手の若君』全力応援!】⑭「めんどい」ってそんな……古典『太平記』に見る後醍醐天皇の政治(少しだけ風間氏そして忍(しのび)についても)

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2021年5月1日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕

 「風間」が諏訪の一族であることは、こちらのシリーズの第11回でも触れました。『逃げ上手の若君』でも、貞宗が「風間と言えば信濃に住む諏訪氏の支流」と言ったその説明のとおりです。信濃国の式内社である風間神社(水内郡)がその起こりとされています。
 ※式内社…延喜式内社、式社ともいい、平安中期、『延喜式《えんぎしき》』の神名帳《じんみょうちょう》に記載されている神社をさす。3132座、2861社の記載がある〔「座」は祭神を数える語、「社」は神社〕。

 また、「忍《しのび》」が、古典『太平記』に初出の語だというのも興味深かったです。『日本国語大辞典』に用例が掲載されていました。

 或夜の雨風の紛(まぎれ)に、逸物の忍(シノヒ)を八幡山へ入れて、神殿に火をぞ懸たりける〔巻二〇・八幡炎上事〕

 足利尊氏が征夷大将軍となった後、対立した後醍醐天皇方の武将として奥州から攻め上ってきた北畠顕家と顕信兄弟が立てこもった八幡山(石清水八幡宮)での戦いでのことでした。
 北陸から兵を率いて脇屋義助が比叡山延暦寺の戦力と合流する前に、八幡山は放棄して京に戻るようにという尊氏の命を受けた高師直《こうのもろなお》が、やはり八幡山は落とさねばならないと判断してとったのがこの、「逸物の忍」を使って放火するという策でした。
 ※逸物(いちもつ)…群をぬいてすぐれているもの。

 風間玄蕃も火を巧みに用いていたのが思い合せられますね。
 「忍」(手の込んだ噂を流す人や盗人など)については、このシリーズの第10回や第12回でも書いていますので、興味のある方は目を通してみてください。

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 そして今回、予想以上の強烈さを見せつけてくれたのが後醍醐天皇ではないでしょうか?

 「めんどい」

 ーー御簾の向こうから鋭い眼光で発した言葉がコレ!?

 「おのれえええええ諏訪ああああああ!」
 綸旨が無効になってしまった貞宗の悔しさはいかばかり……とはいえ、帝が悪いとは口が裂けても言えません(笑)。

 後醍醐天皇は、歴代の天皇の中でもとにかくエネルギッシュ(言い方を変えるとかなり異色)で、現代にも残る「無礼講」という言葉は、古典『太平記』で語られる後醍醐天皇の討幕計画の集会に由来しているということからもおわかりいただけると思います。
 ※無礼講(ぶれいこう)…[意味]かた苦しい礼儀や身分の上下にこだわらない、くつろいだ宴会。[語源]後醍醐天皇が催したとされる、鎌倉幕府打倒のための会合の名に由来する。密議をカムフラージュするため、身分の上下なくくつろいだ下着姿で飲み、美女をはべらせて大いに歌い騒いだという。〔日本語「語源」事典〕
 
 古典『太平記』での後醍醐天皇のイメージを擬態語を使って表現するとしたら、登場はキラキラ、討幕から建武の新政でギラギラ、尊氏の裏切りで最後はギトギトでドロドロといった印象です(すみません……)。

 天に承《う》けたる聖主、地に奉じる明君なり

 「天の意を受けた聖主、地上の万物が仰ぎ見る明君だ」というのが、後醍醐天皇登場時の評価です。
 その後は、討幕のかどで幕府に追われて御所から逃げ、逃げた先の笠置城が落ちて逃げ、配流先の隠岐から逃げ……などなど、高校の頃の私にとって後醍醐天皇イコール〝脱出王〟だという印象が脳裏に焼き付いています。
 しかし、討幕が成功し、教科書でも有名な建武の新政は、『逃げ上手の若君』の説明にもあったとおり、主として武士たちへの「恩賞」をめぐり(もちろんそれだけではないのですが……)失敗に終わります。
 
 叡慮《えいりょ》ことごとく日比《ひごろ》に似ず、政《まつりごと》を閣《さしお》き、御遊日《ごゆうび》を易《か》え、宴を尽くさずといふ事なし。

 つまり、後醍醐天皇はまったく人が変わってしまったかのように政治をしなくなり、毎日遊びほうけたというのですね。これを見かねて諫《いさ》め続けた万里小路藤房《までのこうじふじふさ》という賢臣も、最後は出家して後醍醐天皇のもとを去ってしまったという出来事まで起こります。

 ギラっと目を光らせての「めんどい」発言、当たらずとも遠からずの可能性は否めません。

 とはいえ、やはり後醍醐天皇は、その偉大さが『太平記』ではおおいに評価されてもいます。興味のある方は、以前作成したこちらの動画もご覧になってみてください。


 こうして、武士たちの期待を一身に受けて足利尊氏が立ち上がる、つまり、後醍醐天皇に反旗を翻します。これによって、後醍醐天皇のこれ以降の人生とその最期は、尊氏をめぐってのギトギトでドロドロな展開となるのです。
 それについてはまた順を追って紹介できればと思います(実のところ『太平記』の足利尊氏は、『逃げ上手の若君』のキャラクターイメージのようなスマートさが感じられないエピソードがたくさんあるのです……。それらも追々お話しできればと思います)。

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 さて、最後の一コマでイケメンパーフェクトヒーローな足利尊氏が登場して終了した『逃げ上手の若君』第14話でしたが、我が推し・諏訪頼重負けないで!と思いつつ、圧倒的な〝格〟の違いにちょっぴり悲しくなりました。頼重のインチキ感ハンパないですし……って、いや、そうではないですよね。
 『脳噛ネウロ』や『暗殺教室』で常に人間という存在を深く探求してきた松井優征先生が、尊氏という乱世を統べる役割を担った人間に潜む〝闇〟を、虚実の狭間よりどのように描くのか、そしてそれに時行と頼重がどう挑むのか……、とても楽しみです。

〔日本古典文学全集『太平記』(小学館)、ビギナーズ・クラシックス日本の古典『太平記』(角川ソフィア文庫)、および『姓氏家系大辞典 第1巻』(
姓氏家系大辞典刊行会)を参照しています。〕


 私が所属している「南北朝時代を楽しむ会」では、時行の生きた時代のことを、仲間と〝楽しく〟学ぶことができます!


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