40代からはじめるBRAHMAN


以前音楽文に書いた文章、音楽文のサイトはその後閉鎖になったけど、下書きは手元に残っていて、時々見返していた。
2020年5月、コロナ禍のただ中、鬱々とした思いを、書くことで保とうとしていた頃。

もう振り返る必要なんてないか、と思える世界がまた戻ってきた。
のか?

元通りのようなライブができるようになっている2023年、私はもう50代に突入してだいぶ経つ。
でもこの頃のことを忘れたくないと思う自分がいる。
当時とはTOSHI-LOWの思いも私の思いも変わってきているかもしれない。
でも根本のところでは何も変わっていないような気もするので、ここに残しておくことにした。


2020年5月某日

私は40代半ばまでBRAHMANを聴いたことがなかった。
音楽雑誌でバンド名くらいは目にしていたが、高校野球もまったく見ないので、『SEE OFF』すら聴いたことがなかった。

初めてBRAHMANを聴いたのは2016年のARABAKIをフジテレビNEXTで見た時。
奥田民生との共演を知りチェックしたので、初聴きは『其限』ということになる。

画面の中で法被を着た実直そうな青年が「うたをうたいたいと思った」と言っていた。
「東日本大震災をきっかけに、うつみようこさんにボイトレを受けに行った」と。

当時はとにかく奥田民生が好きで(今も好きだが)他のことはあまり記憶に残っていないのだが、この初見時のTOSHI-LOWの言葉はとても心に残った。

以来、BRAHMANのことはリスペクトという気持ちで気になる存在に。

そして、いくつかのフェスのライブ映像をチェックした程度で、MONOEYESとBRAHMANというラインナップに惹かれ、 RUSH BALL 2018に行った。
熱中症になりそうな暑い日だった。

まだBRAHMANのアルバムをちゃんと聴いてもいない、リスペクトという気持ちの自分が前方に行くのはなんだか失礼な気がして、後方ブロックの最前にいたのだけど、いざTOSHI-LOWが登場したらもう目が離せない、大型モニターなんて見る気にならない、肉眼で遠くに小さく見えるTOSHI-LOWに釘付けだった。
挙げ句、『鼎の問』で声を上げて泣いている自分がいた。

以来、関西でBRAHMANが出るライブがあれば行き、アルバムも全部聴き、DVDも全部集めて……関東にも遠征……とまぁ、ハマッた。

今年も、ガッツリ、ライブやる、ってTOSHI-LOWがラジオで言ってるの聴いて楽しみにしてたら……新型コロナが来日した。

ので、1/13に横浜で開催されたHOUSE OF SEVEN以来、BRAHMANのライブ観てない。
(太陽と虎でガガガSPとやったのとか、名古屋&浜松でMONOEYESとやったのとかはチケット取れなかった)

3/19に予定されてたFIGHT&MOSHはチケット取ってた。

2月下旬、イベントの自粛要請が出され、中止になるライブが増えていったが、開催するか否かは主催者側の判断に委ねられていた。

ライブには行きたい、が、私は基礎疾患をもつ親と同居していた。
更には仕事で高齢者と接する機会がまぁまぁある。
それまでほぼ娯楽のためだけに利用していたツイッターで、新型コロナに関する情報を収集しはじめた。
ツイッター上では換気や客のマスク着用など感染対策をとるライブハウスの情報も流れてきた。
わかりやすい言葉で新型コロナについて伝えてくれる専門家達にも出会った。

毎日ぐるぐる考えた。
そもそも感染してる人がそこにいなければ……でももしいたら……自分は感染しても軽症で済むかもしれない、でも親にもしうつしたら……職場で出会った人にうつしたら……。
毎日情報を集め、自分に問い続けた。
諦めきれない気持ちのなかで、もしライブが開催されても、自分は行かないことを選択する、という答えに向かい始めた頃、FIGHT&MOSHは中止が発表された。

もし、自分が基礎疾患のある親と同居していなければ、3/19のチケットを取っていなければ、毎日新型コロナについての情報収集をすることはなかったかもしれない。
結果的に、このとき情報収集を始めたことで、良識ある専門家達に出会えたし、その後の情勢の変化にもわりと落ち着いて対応できたような気がしている。

新型コロナとの出会いによって人間は生き方の変革を迫られた。

喉元過ぎれば熱さを忘れる?

収束に向かわせることができてもそれはゼロにはならない。
だとしたら、ゼロリスクを求め続けるのか?

政策による制限が解かれても、そこから先は自問することになるだろう。
各々が状況を見る目を持たなくてはいけなくなるのでは……。

TOSHI-LOWはもう、以前のようなライブはできないと覚悟しているのかもしれない、と最近の配信やラジオでの発言に思う。
ユーモアや反語を含みつつ、希望的観測を微塵も感じさせないTOSHI-LOWの言葉。
考えてみれば、TOSHI-LOWは元々ずっと非常時を生きてきたのだろう。
おそらく東日本大震災以前から。

ライブハウスの受難が続くなか、toeが立ち上げた「MUSIC UNITES AGAINST COVID-19」。
BRAHMANが提供したデモ音源のなかでTOSHI-LOWは「忘れ去られる 流浪の春よ」と歌っていた。
胸がつぶれそうになった。

GW最終日、フジテレビONE/FODで放送された「STAY HOME,STAY STRONG」で、TOSHI-LOWは自宅から『時は過ぎてゆく』(金子由香利 1980年)を歌った。
緊急事態宣言下、私は歌に励まされず、鬱々とした気持ちでその番組を見ていたが、鼓舞するでなく、時の流れや喪失を歌ったその歌は、自分の心境に寄り添ってくれるようだった。
「それでも私は歌に生きる」という詞に、涙が溢れた。

先日、BRAHMANのアルバム『ANTINOMY』(2008年)をまるっと聴いた。
BRAHMANにハマッてから何度も聴いてるけど、なんせハマッたのはまだ最近だから懐かしいも何もない。
ぐわーっと血の巡りがよくなる感覚。これだー!ってなった。

BRAHMANのライブにまた行ける日が来るのか、まだ今は見えない。
ことBRAHMANに関しては音源から感じるものと実際のライブで感じるものはケタ違いというか全く別種。あれは何物にも代えがたい。

なんだけど、私は家でじっくりアルバム聴き込むのも好き。
とにかく音作りがアヴァンギャルドで面白い。
パワフルなドラム、センスありすぎなベースライン、個性的なギター、ありえない曲展開、んで、TOSHI-LOWの声が好き。

40代でBRAHMANに出会えてよかった。
「昔聴いてた。懐かしい」なんて言えない代わりに、今も聴くたび新鮮だもの。

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