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ナポレオンとメディア(2019)

ナポレオンとメディア
Saven Satow
Sep. 13, 2019

お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ。
ナポレオン・ボナパルト

 ニコロ・マキャベリは、『君主論』(1832)において、君主が英雄である必要はなく、そう見えればよいと言っている。近代の政治指導者の中で、ナポレオン・ボナパルトはその教えを本格的に実践した最初の人物の一人である。彼はその手段の一つとして絵画を利用している。

 そうした絵画の代表がジャック=ルイ・ダヴィッドの『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』(1801)である。そこで白馬にまたがったナポレオンが正面を向き、右手で山頂を指さしている。これはアルプス越えをしたカルタゴの将軍ハンニバルに重ね、ナポレオンを英雄に見立てている。

 しかし、この絵画のメッセージはこれだけではない。近代以前、庶民も手にするコインに刻まれた肖像の指導者は横を向いている。彼らは後期であり、庶民が目を合わせられないほど畏れ多い。横向きの肖像画にはそうした意味がある。一方、肖像画のナポレオンは正面を向いている。彼は庶民が目を合わせることができる等身大の指導者である。近代は、理念上、自由で平等、自立した個人によって成り立つ社会である。指導者も庶民も同じ個人だ。ナポレオンの肖像画は見る者にそうしたメッセージを伝える。

 加えて、この絵画は指導者が国家の具体的表象だというメッセージも送っている。しかし、それはルイ14世の「朕は国家なり」とは異なっている。新たに登場した近代国家は国民国家、すなわち国民によって構成された国家である。指導者も国民の一人にすぎない。と同時に、肖像画を見ている庶民も彼と同じ国民である。指導者が国民として国家を表象する時、自分たちもまたそうなのだと自覚せざるを得ない。かくして指導者への忠誠が国民として自分たちが構成する国家へのそれにつながる。

 国民国家は近代社会を前提にしているけれども、すべての近代人が「国民」であるわけではない。革命後、旧秩序が解体していくが、社会の組織化が未整備の状態である。この状況下、個人のアイデンティティはあやふやになる。人々は、理念上、新たに「国民」として国家に統合されるが、その概念定義は曖昧である。何をもって「国民」とするのかは共通理解がない。フランス語を話す人をフランス「国民」とするとしよう。ところが、領域にはそれを日常的に使っていない人たちが共存している。

 このような状況では個人のアイデンティティは国家に直結する。それを具体的に表象しているのがナポレオンだとすれば、彼に忠誠を示す者が「国民」となる。

 ところが、1814年頃のアンドレア・アッピア―二による『ルーヴル宮殿でアテナ像の前に立つナポレオン』では、ナポレオンは横を向いている。ここでは国民国家の理念から逸脱し、前近代へ後退している。この絵画はナポレオンが皇帝時代に描かせた最後の肖像画と言われる。絵画を利用したナポレオンが自らの没落のメッセージをそれを通じて国民に伝えていたとは皮肉な話である。
〈了〉
参照文献
ニコロ・マキャベリ、『君主論』、池田廉訳、中公文庫、2018年

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