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『クリスマス・キャロル』と村上ファンド事件(2006)

『クリスマス・キャロル』と村上ファンド事件
Saven Satow
Jun. 07, 2006

「売り手よし買い手よし世間よし」。
近江商人

 村上世彰M&Aコンサルティング元代表がインサイダー取引の容疑で逮捕されます。2006年6月5日に東証で記者会見を行い、それまで否認してきたインサイダー取引疑惑を全面的に認めながらも、過失だったと釈明しています。発足時40億円だった投資資金が7年間で4000億円にまで膨れ上がっていますから、それはファンドの経営において手に余るものであり、破滅は時間の問題だったでしょう。

 村上元代表は、記者会見で、「お金儲けが悪いことですか?」と逆に問いただしています。金銭を悪と見る道徳観から自分が非難されていると彼は思っているようです。しかし、CSR、すなわち企業の社会的責任が日本でも認知されつつある状況でこのような意見を発する企業経営者がいるとは驚きです。答えるのもバカバカしくなります。

 村上元代表に対し、カネの亡者という非難が投げかけられています。守銭奴と言えば、「エベネーザ・スクルージ(Ebenezer Scrooge)」がその代名詞です。彼は、チャールス・ディケンズ(Charles Dickens)の『クリスマス・キャロル(A Christmas Carol)』(1843)の登場人物で、欲深く、冷酷で、金儲けのことしか興味のない自己中心的な初老の商人です。

 クリスマス・イヴの夜に、帰宅したスクルージは、かつての共同経営者で、10年前に亡くなったマーレイ老人の幽霊の訪問を受けます。マーレイは、今のような金の亡者でいるといずれ自分みたいになってしまうと諭し、新しい生き方を3人の精霊、「過去のクリスマスの霊」・「現在のクリスマスの霊」・「未来のクリスマスの霊」が教えてくれると伝えます。

 過去の精霊は、スクルージが忘れていた若き頃の自分を思い起こさせます。孤独ながらも、素直な少年です。現在の精霊は、彼をロンドンのあちこちへと連れて行き、貧しくとも、明るく、愛で結ばれたクラチットの家族を見せます。けれども、クラチットの末子ティムは病気がちで先は長くないのです。

 未来の精霊は真っ黒な布に身を包み、一本の手だけを前に差し出した姿をしています。自分の姿がないのです。第3の精霊はエゴイスティックな強欲が何をもたらすか示します。さらに、ティムも亡くなり、誰からも見向きもされない荒れ果てた墓が自分のものだとスクルージは知って、愕然とします。

 夜明けと共に、目を覚ました彼はそんな未来をまだ変えることができると改心し、愛を大切にして、人のために生きようと決意するのです。

 当時の人々は『クリスマス・キャロル』を活字でのみ理解していたのではありません。役者に興味のあったディケンズは英米で公開朗読会を行い、中でも、『クリスマス・キャロル』は最も人気があった演目です。彼はヴィクトリア朝におけるこの精霊だったわけです。彼が使った朗読会用の自著には離し方に関する数多くの書き込みが残っています。

 ディケンズは社会小説の確立者であり、分冊小説の形式によって、資本主義の矛盾や社会問題を鋭く批判しています。ペーソスのある平易な文体ながら、詳細な人物描写と具体的な細部、物語世界の多重性という作風のディケンズの著作は、英語圏において、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』などと並んで、必読書と見なされています。多くの起業家も彼の著作を子供の頃に読んでおり、トーマス・エジソンもその一人です。

 村上元代表は「もの言う株主」を訴えています。けれども、彼が体現してしまったのは「金がものを言う」です。かつてアメリカでもそうしたアクティビティファンドが盛んですが、村上ファンドと似た状況に陥り、結局、今は主流ではありません。クリスマスまでにはまだ半年以上あるというのは、村上元代表にとって、幸いだったかもしれません。
〈了〉
参照文献
チャールズ・ディケンズ、『クリスマス・キャロル』、脇明子訳、岩波少年文庫、2001年

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